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マドンナ 第6話《デートにおけるマナーとは》【短編小説】

 地上へ出ると、すぐ脇にショッピングモールがあり、モナはこっちと指し示して建物の入口へと向かった。
 入ってすぐの大きなスペースでは子供向けのイベントが行われていた。それを横目に通り過ぎて向かいの出口を出ると、広大なプロムナードの向こう側に浜側はまがわ美術館はあった。
 ルネサンス建築のような趣で中世ヨーロッパの雰囲気をかもしだし、厳かでどっしりと鎮座している。その背後には、高層ビルがニョキニョキと建っており、津先つさきタワーがひと際高く冬の青天を突いている。
 プロムナードには葉を落としたけやきの木が整然と並び、そのふもとに様々な形をしたオブジェのようなベンチがいくつも配置され、家族連れやカップルが腰かけている。その区画を抜けると遮るもの一つないパノラマ。荘厳な美術館の端から端まで見通せた。
 多くの人が行き交っているが、空間が抜けているせいか、まるで混雑している感じがしない。やわらかな陽ざしと、ひんやりとしたそよ風が気持ちの良い休日を演出し、穏やかな空気が流れていた。
 隣を歩くモナは、黒のロングシャツワンピースにチャコールグレーのウールコートを羽織り、長い黒髪をまとめ上げて結び目をパールストーンのバレッタで留めている。キャバクラで会うモナの姿とはまた違う、デートコーデされたモナはことさらに魅力的であった。
 ラセットブラウンのショートブーツのコツコツとした音が、久しぶりに女の子と歩いているのを実感する。
 さて、いよいよ最初にして今日一番のヤマ場である美術鑑賞の時間がやってくる。
 重要なのは、ここでポイントを稼ごうとしないこと。ユースケはそう心に決めてきた。
 圧倒的に知識と経験が不足している。そこで妙な背伸びをして、ちょこまかとポイントを取りにいく行為は、かえって印象を悪くすることに繋がりかねない。
 まずこのステージでは、モナと肩を並べようと見栄を張ったりせず、モナのペースに合わせていく。そしてそのペースが乱れないように邪魔をしないこと。つまり、ポイントを失わないことに重点を置くべきだと考えた。
 やった方がいいことをやるのではなく、やってはいけないことを徹底的にやらない。これに尽きる。
 それでは、やってはけないこととは何か。
 鑑賞マナーというものがある。対策としてできることは、これを叩き込んでおくことぐらいだった。
「美術館ってさ、あんま喋んない方がいいんだよね?」
「うーん、基本そうですね。大勢の人が鑑賞してるような所ではヒソヒソ話すのもやめておいた方が無難です。でも、周りに人がいない空いてるエリアだったら、声が響かない程度に話しても大丈夫だし、休憩用にベンチやソファもあったりするんで、そこは話しても大丈夫ですよ」
 モナが優しく答える。
「あとアレでしょ。飲食もNG」
「そうですね。どうしても喉が渇いたら展覧エリアから外れた休憩スペースなら、こっそり水くらいは飲んでもいいかも」
「フーン。あとは写真撮影ね。これもダメでしょ? 著作権保護」
「まぁ。でも美術館に寄っては特定のエリアだけ撮ってもオッケーってところもあります」
 矢継やつばやにユースケが問い続ける。
「あとはー、なんだっけ? 大きい荷物だ。傘とか。作品と接触するといけないから。受付で預かってもらうんだよね?」
「えぇ……持ってないですけどね、わたしたち」
 モナは小さなショルダーバッグ一つで、ユースケに至っては手ぶらである。
「あっ! 作品も直接触っちゃダメなんだよ。コレ一番ダメなヤツだよね? アレって触ったらどうなんの? 通報されるの?」
「……さぁ……そんな人、見たことないから分かんないけど」
「ま、そうだよねぇ。あとは、何があったっけ? あ、メモ書きは鉛筆じゃないとダメなんだ。ボールペンだったらインクが飛ぶし、シャーペンだと芯が折れて飛ぶし。これも作品保護のためなんだよね?」
「そうですね。ハハ」
 モナは苦笑した。
 初めての美術館で予め鑑賞マナーを学んでおくことは多いに歓迎すべき行いなのに、それを図らずも捲し立てるように一つずつ確認するものだから、どこかうっとうしい。
「あとは、やっちゃいけないこと――そんなもんか。そんなもんだよね?」
「……はい」
「そういうことは徹底的にやらないように気をつけるから、安心して」
 ユースケの言葉は、むしろモナを不安にさせた。
 
 美術館のエントランスを抜けると、上品に輝く白銀の勾配天井が真っ先に目に飛び込んでくる。途端に行き交う人たち全員が品格を備えているように見え、ユースケは慣れない居心地の悪さを感じた。
 チケット売り場へ行くと、眼鏡をかけた、まだ三十前後と思わしき受付の女性が、しとやかな調子で「いらっしゃいませ」と迎えた。
「大人二枚で」
「かしこまりました。大人が二枚ですね。四千二百円でございます」
 財布を取り出し一万円札に手をかけると、横でモナも財布を出した。
「自分の分は払います」
「いいよ、払っちゃうから」
 ユースケは悠然とした態度で言った。こんな所で自分の分だけ払うような、野暮な男ではない。
「こういうのは自分で払いたいんです」
「いやいや、女には払わせられないよ。そんなことさせたら、男がすたる」
「じゃ、すたって下さい」
「え?」
 そこまで意固地になるモナに、ユースケはびっくりした。
 別に損をするわけでもないし、大抵の女性はここで財布をしまう。モナにそんな一面があるとは意外だった。
 だが、ここで女に払わせては男の沽券こけんに関わる。受付の女性に、いい歳をした男が若い女に払わせてダサいなんて思われたら最悪である。
「そんなこと言わないで、払わせてくれよ。ね、お願いだから」
「そんなに言うなら、帰ります」
 するとモナが売り場から離れるように歩き出した。 
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」
 ユースケが慌てて引き止める。
「じゃ、じゃあ、あの、お支払ってください」
 プチパニックになり言葉がおかしくなった。
「はい、払います」
 そう言ってモナは、ぴったり一人分の料金を手渡してきた。
 どういうことだ。自分で払えないなら帰るなんて、そんなことがあるのか。

〈続〉

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