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マドンナ 第7話《玄人の鑑賞法と素人の鑑賞法》【短編小説】

 チケットを手に展示室へと向かうと、入口付近で列ができていた。傍に立つスタッフの誘導に従って列の最後尾に並んだ。
「たぶん皆さん順番に観ていく人がほとんどだと思うんですけど、わたし結構飛ばし飛ばしで行ったり来たりするんですよ。だから、わたしに気にせず自由に観ていいですからね」
 自由と言われても、初めて鑑賞に来て何が自由かも分からない。
「あ、そう――でも、付いてくよ。見方だってよく分かんないし」
 一人にされる方が不安で仕方がない。二十近くも離れた女の子に縋りつくように付いていかなければ、迷子になってしまう気がする。
「あんまり難しく考えなくていいんですよ。説明書きや音声ガイドとかあるけど、なにも考えずにいいなと思える絵が見つかればいいんです」
「そうなんだ。じゃ、そうしてみる」
 前方で列を止めていたスタッフが入場を促し、ぞろぞろと動き出した。
 入ると、淡いピンクの壁に「ルーヴル美術館展 ~愛の描出~」とイベントのタイトルが大きく描かれている。主催者やルーヴル美術館の館長の挨拶文のパネルが掲げられ、脇では音声ガイドの貸出をしていた。
 モナは挨拶文の前でしばらく足を止めた後、音声ガイドを借りに行き、ユースケもそれに倣った。
 序章と銘打ったエリアに入ると、照明がぐっと落とされ、それぞれの作品にスポットライトを浴びせている。
 まずは大キャンバスに羽の生えた裸身らしんの幼子が戯れている絵画が目に飛び込んできた。
 入ってきた鑑賞者たちがそこで足を止めるので、人だかりができている。入口のスタッフが「作品はお好きな所からお回りくださーい」と人を流そうと呼びかけていた。
 モナは人だかりに混ざらず、遠目から作品を見遣りながらゆっくりと歩いていく。作品に見入る壁際の鑑賞者たちを追い越して次へと歩を進めると、〈アダムとイヴ〉と書かれたタイトルプレートが目に入り、それらしき人物の絵画が掛かっている程度に認識して、また次へと進んで行った。
 序章エリアを抜け、第一章では広く空間を取っている。壁に掛かった作品は大小様々なものに加え、円形のキャンバスもあったりする。それぞれ展示されている絵画の前に見入る人だかりも、これまた大小様々であった。
 モナは相変わらずゆったりとしたペースを貫きどんどん人を追い越していく。借りた音声ガイドのヘッドホンは首にかけたまま聴いている様子もない。
 テーマごとに区画されたエリアをサクサクと進み、最終章である第四章の大目玉の作品まで十分もかからずに辿りついてしまった。最後まで見終えると、今度は流れに逆行するように同じペースで進み、また序章エリアまで戻ってきた。
 入口ではスタッフが相変わらず「お好きな所から――」と呼びかけている。その声に紛らせるようにモナが訊ねてきた。
「なにか目にとまったものありました?」
 絵画よりも、どちらかと言えばモナの動きに注視していたから、パッと思い浮かぶものがない。マズイと喉元から緊張がせりあがってくる。
「うん――いくつかあったかな」
 なぜか、しれっと見栄を張ってしまった。
「そしたら、それから観ていくといいですよ。わたしも観たいのから観ていくので、なにかあったらLINEで。あ、マナーモードにしててくださいね」
 見栄を張った手前、気になるものはないとも言えず言葉をつっかえていると、モナはスーッと離れてしまった。
 モナがいなくなり一気に心細くなった。
 入口付近には、後から次々と鑑賞者たちが入ってきて、順々に観ていく流れを作っている。
 モナのように自由に観て周る勇気はない。仕方ないので、なんとなくその流れに合流して観ていくことにした。
 一枚目の大キャンバスの横に〈アモルの標的〉と作品のタイトルがあり、その下に説明文がある。
 アモルとはキューピッドのことらしい。そのアモルたちが結び付けたい相手を見つけ、中心にハートが描かれた的に矢を放ち、命中して喜んでいる一コマを描いているようだ。
(アモル――オレのアモルは、矢を放ってくれているのだろうか。どうだ、アモルよ? 標的がいない? いや、それは一時的なものなのだ。やはりムリにでも付いていった方がよかったと言うのか。でもそれでまた帰ると言われたらどうするのだ? 元も子もないではないか。アモルよ。まだ、始まったばかりなのだ。時間はある。諦めずに何発も打ち込んで欲しい。頑張ってくれるか? そうか、是非頼むよ。どうしても難しいならマシンガンでも台砲でもなんだって構わないんだ。なんでもいいからそのハートに命中させておくれ。頼むよ)
 ユースケは絵と、やや時代がかった会話を交わし両手を合わせて祈った。
 流れに沿って次へ進むと、〈神話にまつわる愛と欲望〉というテーマで区画されたエリアに入り、広々とした空間は一段と静けさが増している。
 独りで鑑賞している者からカップル、友達、夫婦、親子まで老若男女、誰一人として話をしている者はいない。女性のゆったりと歩くヒールの音と、多くの人が入口で手にしている、作品リストが記された紙の音がわずかに空間に響いている。
 ユースケは、この空気を乱さぬようにと、気遣いながら鑑賞を続けた。
 いくつか観ていると、裸婦らふを描いたものが多いことに気付いた。乳房を露わにし、肉感的な身体に白い肌が輝かしく浮かび上がった絵画がそこかしこに展覧されている。
 ――いい乳してんなぁ。
 ユースケが真っ先に浮かんだ感想である。
 眠るニンフのベールをこっそり捲る粗野な獣人、沐浴もくよく中の娘を連れ去る羽の生えたティーターン、騎士を食事に誘う裸身の女。ギリシャ神話・ローマ神話の物語の一コマを描いた絵画だが、ユースケの興味を惹いているのはそこに描写される「人の心」ではなく、「乳」だった。
 目線は乳房から始まり、女の顔、ベールで隠されていたり足に角度をつけて直接的に描かれていない局部へと移ってから、他の背景に向けられる。説明文は気分で目を通したり通さなかったり。そしてまた、背景、局部、顔と、目が移って乳房で終わる。そんな鑑賞法を確立させていた。
 もっぱら感想も、これはいい乳だの、これは好みの形じゃないだのと、なんとも浅はかなものである。
「愛とはつまり裸になることなんだなぁ」
 ユースケはいささか相田みつをのような調子で解釈した。

〈続〉

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