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【引用】バタイユ『魔法使いの弟子』
今回読んだのは、ジョルジュ・バタイユ(BATAILLE, Georges)[1897-1962]『魔法使いの弟子』(酒井健訳、景文館書店、2015年11月、愛知)です。
以下、引用した文章になります。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2024年4月1日 14:24
そのような有益な労働に身を捧げると、一個の人間存在は自分と自分でないものとに分裂してしまう。このように分裂した人間存在は、誘惑されてはじめて総合的実存を完全な姿で回復できる。
2024年4月1日 14:29
完全な実存は期待と恐怖をかきたてるイメージすべてに関係している。それゆえ、この解体した世界のなかでは、《愛する存在》こそが、生命の熱へ人を返す美徳を保ち続ける唯一の力になったのだ。
2024年4月1日 14:32
そしてもしも《その顔が見えなくなると心が苦しくなる》、そんな顔がこの世界を輝かしく変容させることがなくなるならば、(略)そうした世界では人間の実存は、回想か、《未開の》国々の映画となって存在するのがおちになる。
2024年4月1日 14:34
一人の人間をその心の奥底で捉えているあの失われたもの、悲劇的なもの、つまり《目をくらませる驚異》は、もはやベッドの上でしか出会えなくなっている。
2024年4月1日 14:36
愛する存在のイメージは、はじめに、つかのまの輝きとともに現れる。このイメージを目で追う人はこのイメージに明るく照らしだされ、同時に恐怖を覚える。(略)さらに必要なのは、この愛する存在のイメージが幻影であることに気づいていくことなのだ。
2024年4月1日 14:38
もしも男が女に出会って、今ここに運命があると確信を持つようになったとしても、静かな悲劇のようにこの男に侵入してくるすべてのものが、生活のためにあくせく奔走せざるをえないこの女の姿と齟齬をきたすようになる。
2024年4月1日 14:40
一瞬のあいだ、イメージのなかで運命が生き生き息づいたのだが、そのイメージは、日々の慌ただしさとは無関係の世界のなかで映し出されるのだ。
2024年4月1日 14:42
男は、自分のために運命が受肉したかのように見えるその女の方へ駆り立てられる。だが、その女はもう金銭が支配する空間には属していないのである。この女の甘美な気配は、夢と同じで、この現実の世界に閉じ込められずに、そこを通りすぎ、離れていく。
2024年4月1日 14:44
トランプのカードがある配列で整うと、ゲームの行方を決定してしまうことがある。一人の女との予期せぬ出会いは、めったにないカードの分配と同じに、実存を決定してしまうのだ。
2024年4月1日 14:46
ただし孤立した個人には、一つの世界を創造することは絶対にできない(孤立した個人がそうした創造の試みにでるのは、生の諸力のおかげで精神を奪われた者、つまり狂人になっているときだけだ)。
2024年4月1日 14:48
次々試練にあって心を打ち砕かれてしまった人に、唯一神話だけが、豊かな生を送り返す。人々が集う共同体へと広がっていく豊かな生をイメージにしてこの人に送り返すのだ。
2024年4月1日 14:50
神話は、ただ単に、運命の神々しい形象であるばかりでなく、この形象が移される世界、つまり共同体のことでもあるのだから。神話は、共同体から切り離すことができない。神話は共同体の一部になっている。
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