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大学院進学と就職で悩んでいる話

私は都内文系に通う大学4年生だ。そしてタイトル通り今、大学院進学か就職かで悩んでいる。しかしそろそろ大学院出願の締切がやってくるし、内定先に断りを入れるにしてもなるべく早い方がいい。

だが、なかなか決めれない。だからとりあえずここで、何に悩んでるのかはっきりさせたいと思う。大学院進学か就職かは、研究に興味のある学生なら大半は迷う問題だ。もし同じように迷っている学生がいたら、こういう考えの人もいるんだってことで参考になれば幸いだ。


歴史学大好き❤絶対院進っしょ!

見出しだけ妙にハイテンションだが気にしないで欲しい。私が専攻する分野は、古代ギリシア・ローマの歴史学である。古代というと考古学?発掘?となりがちだが私はどちらかというと古代人が残した書物や碑文などを対象としている。また、特に古代ギリシア史が専門だ。
私はこの分野が大好きだ。ギリシアにその昔も住んでいた人たちが自分たちの身の回りのことをどのように感じ、どう生きていたか考えるのが大好きだ。少し歴史学をかじった人ならわかると思うが、これはいわゆる「心性史」の部類に入る。思想家とか哲学者のはげのおっおっさんの思想より、もっと一般的な人達の考え方や価値観を探ろうという歴史学の一分野だ。
それだけじゃない。いろんな文献を読んで地道に検証する、研究という営みは自分に合っていると思ったし、一般社会とは距離を置いて好きなことに没頭できるのもとても魅力的だった。

そんなわけで、院進に関する不安が無かった訳では無いが(後述)、大学3年生の最後の3月まで、院進する気満々だった。.........…のだが。

現世への不安

恩師の突然の死

転機は突然訪れた。一番お世話になっていた先生がサバティカル先で突然客死されたのだ。
その先生は食生活の不健康さ以外では本当に理想的な先生で、よく相談させていただいていた。当時でこそのほほんと達観したお方だったが、若い頃は私と同じようにかなりメンタル豆腐めだったらしい。だから、メンタル弱弱な私の気持ちをよく理解してくださった。先生は私の心のバットレスだったのだ。
※バットレス・・・建物本体の壁を支えるための控え壁

ハギア・ソフィア聖堂のバットレス

その先生が亡くなってしまったのだ。それ以来、私の中の将来に対する不安は一気に心を巣食っていった。

院生・院志望生の最大の悩み

具体的に何が不安なのか?それは他の院生や院志望生と全く変わらない。何を隠そうお金である。

私の家は、娘の大学院生活のお金を出すこと自体はできるがそんなに余裕はない、それくらいの家計の家である。だがしかし、修士.…あわよくば博士まで支援してもらったとして、その後は?博士号を取得したところですぐに常勤職に就けるわけではない。文系ならほとんどの人は就けないと考える方が自然な世界である。さらに、数年、十数年経ったら常勤職になれるという世界でもない。当然、将来への不安が湧いてくる。
おそらく、将来博士号ニートになっても最悪親は援助をしてくれるだろう。だが、親の介護費・医療費はどうなる?国が2000万円老後に向けて貯蓄しろと言っている国がどうにかしろよこのご時世、親に頼り続ける訳にもいかない。

バイトをしろ──────それは、ある意味で正しいがある意味で正しくない。院生界隈ではよく言われていることだが、院生・研究者にとってバイトは諸々の費用を稼ぐ手段である一方、本業である研究の時間を削る諸刃の剣のような存在なのだ。研究のためにバイトをしすぎて研究が上手くいかなければ、それは本末転倒だ。だから自然とバイトに割ける時間も限られてくる。
奨学金をとれ──────は妥当すぎる。だが、上述したように私の家は「娘の大学院生活のお金を出すこと自体はできるがそんなに余裕はない」家なのである。つまりどういうことかというと、大抵の奨学金審査で世帯年収でひっかかるのだ。実際、学部時代も何度か奨学金にトライしてみたが全落ちした。なので、奨学金をあてに研究の道へ進むのも一歩引いて考えざるを得ない、そんな状況なのだ。

このように、恩師の死により潜在的な不安が一気に増大してしまい、院進に待ったがかかることとなった。そしていよいよ私は就活へと踏み出すのである。

就活RTA

血迷った私は大学4年生の4月下旬から就活を始めた。4月下旬から就活を始めるなんて無謀すぎるし、この時はまだそれでも院進の気持ちが強かったため、落ちたら落ちたで普通に院進しよっははっ‎^_^なんて思ってた。

が、なんと内定をもらってしまったのである...…。落ちたら未練を捨てて院進できるかと思っていたら内定が来たのである。内定の連絡が来た瞬間、一気に私の気持ちは就職へと動くことになった。実際就職活動も楽ではなかったから、内定もらえたなら就職してしまった方が楽なのではないかと。

しかも、内定をもらった業界が業界だった。名言は避けるが、安定度抜群の業界である。よほど変なことをしなければ、多分終身雇用して貰えるしまず生活には困らない。この切符をみすみす逃していいのか──────私はさらに迷うことになった。

あなたが好きなのは研究なの?ギリシアなの?

ここでもう一度よく考えてみる。私は研究がどれくらい好きなのか──────もし私が死んでもいいぐらい研究が好きなら、研究の道に進むべきではないか。胸に手を当ててみる。

しかし私の脳内にある一言が過ぎる。「お前が好きなのは研究ではなくギリシアではないのか?」と。そしてそれは、あながち間違いではない。
研究は好きだ。もっというと歴史学が好きだ。物心ついた時から伝記漫画を読んでたし、高校の頃から論文も読んでた。家の本棚はほとんど歴史書だし、大学で履修した授業もほとんど歴史学関係だ。「過去と現在との尽きぬことを知らぬ対話」(E.H. カー)である歴史学が好きなことに、間違いはない。
でも、ギリシアはもっと好きだ。紺碧の海、岩肌がむき出しの山(それは誉め言葉なのだろうか?)、オリーブ畑、おいしいご飯、全部好きだ。都心部の落書きが多すぎるところとか、経済状況ちょい不安なところとか全部ひっくるめて。暇さえあればギリシア料理を自分でつくってるし、この間ギリシア旅行をしたばかりなのにもう次のギリシア旅行のことを考えている。私はギリシアが好きで歴史学が好きだからギリシア史を専攻しているけれども、それはギリシアに触れたいという思いに拠るところが大きいのだ。

そこで追い討ちをかけるように私に悪魔の囁きがやってくる。「ギリシアに触れるだけなら、それは研究という形でなくてもいいのでは?」
そうかもしれない。研究の道に進む場合、1つか2つの時代に打ち込まなければならない。もちろんそれはそれで面白いと思う。でも、それ以外の時代にももっと触れたいというのも本心だ。実際、私の卒論は帝政期がテーマで、修士以降(行くなら)は古代末期をメインにしたいと思っているが、他の時代のことだってもっともっと知りたい。先史時代も、ビザンツも、トゥルコクラティア時代も。そんな時間が、あるだろうか?研究対象の時代でいっぱいいっぱいなのではないだろうか?
それに、研究の道に進んだ場合、どれほど現実のギリシアに触れられるかもわからない。まず、お金の問題がある。上述したように、私には金銭的余裕がない。研究費と生活費と学費で精いっぱいで、旅行どころじゃない気がする。留学という手もある。だが、私のような文献史学の場合、ギリシアに留学することがキャリア的に重要とは限らないのだ(悲しいことに)。古代にしろ中世にしろギリシアに関連する歴史学の本場はギリシアではなく、イギリスやアメリカだ。だから、研究者としてのキャリアを最大限に高めたい場合はそちらに行くことになる(私もこの現状はどうかと思っているのだが)。

それならば、いっそ就職してしまった方がいいのではと思ってしまう。私の業界は休みがとりやすいので、ギリシア旅行も行きやすいだろうから現実のギリシアに触れ続けることは難しくない。また、1つの時代だけでなく、様々な時代の文献の時代を読むこともできる。もちろん現実そう甘くはないだろうけど。なんとなくそっちの方が魅力的に映るのもまた事実なのだ。

葛藤と周囲の期待

こうして今では就職の方が優勢になっているけど、大学院進学を完全に捨てきることもできずにいる。

やっぱり、社会人としてやっていけるのかという不安は大きい。単独プレー的な色合いが強く、そして対して社会の役に立たない(役に立たない=意味がないということではない)人文科学系研究に興味がある人間が、社会人として上手くやっていけるのかという問題は常にある。
けれど何より大きいのは周囲の期待かもしれない。ありがたいことに、色んな方が私を評価してくださっている。就職を匂わせると残念がられることもある。亡き恩師も、私の研究者としての資質を評価してくださっていたらしい。もし自分に才能があるのなら、たしかにそれを飼い殺しにするのはもったいないのかもしれない。

どっちの道もメリットがあり、デメリットがある。就職の方に気持ちは傾いているが、決めきることもできない。しかしタイムリミットは着実に迫っている。さて困ったな。


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