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バカボン軍が行く。「アイダよ、どこへ」


閲覧ありがとうございます。
今日は、映画「アイダよ、何処へ」を観た感想やコレアレを書いておこうと思います。


「アイダよ、何処へ」の、あらすじをザックリと書いておきますと、

1995年、ボスニアヘルツェゴビナの端にある町、スレブレニツアが武装したセルビア人勢力に占有され、それにより、町の住人、
25000人もの人々が保護を求めて、国連基地に押し寄せてきます。
そんな中において、通訳として働くアイダという女性が、なんとか自分の二人の息子と夫を助けようと奮走する内容です。


アイダは金網の中

アイダは、職員なんで、国連基地の中にいます。しかし、二人の息子と夫は、一般人のため、金網の外にいます。アイダは、なんとか、家族を入れたいため、国連の上司に「特別に入れてちょうだい!」とヒステリックに嘆願します。

金網の外には、入れない町の住人が二万くらいはいます。後ろから、セルビア人がいつ襲ってくるかもしれません。住人の恐怖は計り知れません。
町では、すでに虐殺が行われているのだから。


財産は諦める人々

国連平和維持軍は、はっきり言いまして、無力です。現場の国連職員が「攻めてくる軍勢を空爆してくれ!民衆が犠牲になってしまうから!」と、必死に本部に連絡しますが、本部からの指令は「撤収せよ」でした。なんと、町を追われてきた民衆は、見放されてしまいます。追ってきた武装勢力に、いいようにされてしまいます。

危機を察知したアイダは、自分の家族だけ助かるように、国連のパスの偽造を頼んだりしますが、拒否されます。そんなことをしたら、「国連」という団体の権威が落ち、インチキ集団になってしまうからです。どうしょうもなくなり、大量虐殺が行われてしまいます。とてもむごいことです。


映画のポスターに書かれていますが、

そこに神はいなかった。

神様は、「人間が止められる出来事だった。だから、介入はしない。」
と、思っておられたのかもしれません。
そして、何でもかんでも、神様のせいにされても
困る。とも、感じていたのかも。


「アイダは何処へ」は、衝撃作です。遠い昔の話しではありません。つい最近も、似たような出来事が世界で起こっていますよね。


「家を追われる」、「今までの身分が無くなる」って、考えられませんが、そういう出来事が、なんと24時間以内に起こるなんて、不幸とかそういうレベルではありませんよね。猶予も無くですから、心の準備もできません。


ドラちゃんが言ってますが、深い事情を知ったら、「そういう考え」もあると思いますが、

ケンカもそうだけど、「振り上げたこぶし」を先に振り下ろした方が悪いと思います。

現在進行中の争いも、仕掛けた国の住民は、自分の生活が安泰ならば、大半の人が無関心のようなイメージがあります。進行後も、自国で変わらず、うどん食べたり、ハンバーガー食べたり、珈琲飲めたり、変わりませんから、「知らない」だけかもしれません。これが、生活に影響が出だしたら、内部もわからなくなりますよね。自分の権利や自由を剥奪されたら、黙ってはいないと思います。

「お前は、だいたいが、A組じゃないか!なぜ、B組の奴らとつるもうとしてるんだよ!A組のクラス長は俺だぞ!俺の言うことを無視するなら、お前をドッジボールの標的にしてやる。降参するまで許さんぞ!」

と言う独裁者から標的にされている人に

「ケガしたら痛いから絆創膏。頭の保護にヘルメット。提供するよ。ふんばろうね」

と、外野から声援だけ送り、ゲームには参加しない人たち。

「アイダは何処へ」に、かぶっていて、非常に感慨深く観ました。

「アイダは何処へ」は、惨い描写がある衝撃作ですが、観て良かったと、わたしは、思います。

題名に「バカボン」を使いましたが、本家のバカボンくんに失礼なことでした。


また、noteで募集してる「どこでも住めるとしたら」。

わたしは、、独裁者がいなくて、人間の基本的な権利と自由が保証されている場所ならば、

コモドオオトカゲが、家に侵入してくるような土地でも、季節、季節に移動しなければならないスナフキンみたいな土地でも、気合い入れて、住むと思います。


いつも、弱い者から、傷付いているのを、見てるわたしたちも
胸が痛みますよね。画像を見ると。。

現地に残されたペットのことなども、非常に気になります。

1日も早く、あるべき場所に、いるべき皆さんが帰れますように。。



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