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エリートですが何か?

経歴だけ見れば自分はエリートとは言わずとも勉強を頑張った方だと思う。(早速のタイトル詐欺)
公立小→公立中の後、進学塾に通い私立高校から有名私立大学に進んだ。
私の経歴や成績だけを見た大人はよく私に言う。頭がいいだけじゃ頭の硬いお役人になるだけよ、柔軟な思考回路を身につけられるようにならないとこれからの不安定な時代生きていけないわよ。答えのある問いばかり考えてた貴方にはわからないと思うけどね、と。
そんなことわかっている。わかっているかるこそ勉強したのだ。なぜなら知識がなければ世の中では生きていけないことを前提としてその上で応用して柔軟な発想を持つことが大事だと思うからだ。なのに、西洋の啓蒙思想みたいに上から目線で言われると腹が立つ。確かに世の中には親に言われたからと言う理由で偏差値の高い高校や大学に進学する人が一定数いることは事実で、そういった人がこれからの不安定な時代、自分で自分が何をするべきか考えるのはとても大切だと思う。でもそんな人と一緒にしないでほしい。と性格が悪いながら私は思ってしまう。
私は特に発達障害の関係で数的感覚が全くない代わりに暗記作業が異様に得意だったため、社会などの暗記要素が大きなウェイトを占める科目の点数が良かった。そして特技は早押しクイズだった。だけれど周りの大人はそんな私を見て、はいはい、貴方は機械のように暗記するのが得意なのね、でも論理的思考が出来なければ意味ないのよと馬鹿にしてくる。
昨今、数学が論理的思考に欠かせないとして再注目される。そんな背景もあってかよく言われる。ずっと辛かった。私はただ社会や国語が好きで楽しくて勉強していたのにいい成績を取れば取るほど馬鹿にされる。次第に好成績を取っても嬉しくなくなった。そんな私はここまでの文章を見て分かる通り決して論理的思考ができないわけでもないし何も考えず勉強してたわけではない、色々な知識を学際的につなぎ合わせつつ生きてきたつもりだ。どんなに努力しても数学が出来ないのは脳みその構造上しかたない。計算高く賢くは生きられないようだからせめてたくさん国語して思考し生きていきたい。

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