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ベースになるもの(その1)


 「正しい」


 って、最近怖くないですか?

 令和の時代にあって、どんどん高まるコンプライアンス。
高まり過ぎて、昭和の不適切な表現と対比するドラマまでやりましたね。

 学校に勤めていると、ありとあらゆる場面で、いろんな「正しさ」が現れます。教師から生徒へ、教師から教師へ、生徒から教師へ、保護者から生徒へ。お互いが自分の正しさを主張し合います。

 正しさって、お互いが共感するととてもよい関係を築く土台になります。
お互いにそこを目指して向かっていけます。

 でも、、、最近はめっきりそんな事はなくなりました。

 もう、お互いに自分の正しさを主張するだけ。

 相手がどう思ってるかなんてお構いなし。

 それが、子どもだけじゃなくて、保護者も、教師も。

 でも、明らかに、「それって間違ってるんじゃ?」という主張を展開する訳ではなくて、結構「正論」だったりします。言われると、一瞬、何も言い返せないことが多い。「くっそ〜、、、」って悔しさだけが残ったり、、、

 もちろん、自分にない発想や考えは学ぶ必要がある。でないと成長できないから。

 でも、やっぱり人の「正義」ばかりを受け入れてばかりだと心が耐えられない。

 そう考え始めた頃に、あのブームがやってきました。

 そう、ラグビーワールドカップ2015年大会です!

 すみません、話題はずいぶん飛んでしまいましたね。。。

 長くなりました。次回はこの大会後に得たヒントのお話をしたいと思います。
 
 ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

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