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崖っぷち。ど素人から商品開発をスタート。

プロフィールには「ベビー用品メーカーで30年間、……開発してきました。」と偉そうに、商品開発のプロのようなことを書いています。

実際30年も同じ職業をしていれば、それなりの経験と知識は身に付きました。

でも入社したころは商品開発の仕方をまったく知らない、ど素人。
当時はマニュアルもなかったので、先輩(といっても年下)を手本に見よう見まねだったんです。

モノを宣伝する側から、作る側へ

前職はグラフィックデザイナー。
学校もグラフィックが専門。
卒業後はずっと広告畑で働いていました。

カタカタの職業名って、カッコいいお仕事のように聞こえますよね。
青山あたりでモデル撮影しているのをイメージされるんじゃないですか。

私自身、それに憧れたミーハーな動機ではあるんですが。

実際の仕事は、スーパーのチラシ、新卒向けの会社案内、商品のリーフレット(1枚広告)など。
有名タレントが出るような雑誌広告なんて手掛けたことはありません。

時はバブル絶頂期。
良いときも少しはありました。
でもバブルがはじけると、どの企業も真っ先に削る経費は広告。
コピーライターの夫(今は元夫)と会社を起業してみたものの、わずか数年で閉鎖。
残ったのは借金だけでした。

その頃になると、求人雑誌にグラフィックデザイナーなんて職種はほとんどないです。

あっても面接に行くと、(サービス)残業は必須との回答。

あのころの広告制作会社なんて、みーんなブラックでしたから。

子ども3人、下はまだ生後6ヵ月未満。
とても残業なんてできる状態ではなかったんですよ。

そんなとき、たまたま求人雑誌で見つけたのが「子育て経験者募集」と大きく書かれたベビー用品メーカーの募集記事。

子育て経験だったら、ある。
しかも現在進行形で。

募集職種は「商品企画」でしたが、資格欄に仕事経験の有無は記載されていませんでした。
もう職種の選り好みなんてしている状況ではありません。

未経験、子ども3人、勤務地は遠い(往復3時間)。
しかも年齢制限ギリギリ。

普通だったら書類選考で落ちるな、と思いました。

ダメ元で頼まれてもいないのに、勝手にスケッチ5~6枚描いて履歴書と共に送ってみました。

育児中にあったらいいなと思ったアイテムを漫画タッチで。
しかも目立ちやすいように、マーカーペンで色付けまでして。

30年前に履歴書と一緒に送ったスケッチ
控えより抜粋。実際は色付き。

幸いそれが選考者の目に留まったようで、数回の面接を通過して無事採用。

どうやって借金返済しようかと、もがいていた崖っぷちの子持ち30代。
絶対にこの仕事を逃すまいと、ものすごい気迫で面接官に念力をかけていたような気がします。

入社してから同僚に聞いた話だと、数百名の応募があったとか…。
採用されたのは、私を含めてたった2名。

漫画でスケッチをさっと描けるのは、その後の仕事でイメージを伝えるのにも役立ちましたね。

無事に仕事にありつけたのはいいですが、1年更新の契約社員。
保育園に子どもを預けるには働き先が必要だったので、まずその目的は達成しました。

勤務地も遠いし、翌年も契約更新できるかわからない。
ここで働きながら、もっと近くで働ける前職の仕事を探そうと考えた訳です。

それでも30年も働けられた理由は、下記で紹介していますので、興味がある方は是非読んでみてくださいね。
施設向けベビー用品の開発を30年も続けられた理由【開発秘話】|河村 眞弓 / 赤ちゃんとのお出かけ環境プランナー (note.com)

100のアイデアを出して、1つでも商品化できれば御の字

長くは続くまいと思っていた商品開発。
始めてみると、この仕事、結構面白い。

以前の職業グラフィックデザイナーは、いわゆる水モノと言われる一時的な媒体を扱ってます。

一生懸命制作しても、新聞広告などはわずか1日の掲載。会社案内パンフレットでも1~2年。
でもそれこそ鮮度が大事と、小さな仕事でも誇りを持って取り組んでいました。

一方、施設向け製品は、モノによっては20年以上も使われていたりします。

長く飽きさせないデザインで、使いやすくなくてはならないところに面白さを感じました。

特に施設向けベビー用品はニッチな市場です。

毎年、定例調査で大規模なアンケート調査を実施し、〝外出先の困っていること”を探してきました。

それらの調査結果から、課題を抜き取ってアイデアを絞り出すわけです。

絞り出す。まさにそれ。

アイデアは会社で机の上に座って考えているだけでは浮かびません。

刑事じゃないですが、まずは現場に足を運ぶ。
次に関係者と話す。

関係者とは、ユーザー(製品の利用者)であったり、施設の人であったり、建築設計に携わる人だったり。
その他、販売先の代理店、カスタマーセンター担当者など、すべて。

雑学として、新聞、SNS、読書、人とのコミュニケーションなど、あらゆることに好奇心を持ってアンテナを張り巡らせていく必要があります。

思いつきや依頼があって製品化することもありました。
でも、それは30年続けたうち、たった数件だけ。

何回か商品企画の企業向けセミナーに行ったこともあります。

ヒット商品がどのような背景からアイデアが出て、世の中に知られる商品になっていったかは参考になりました。

でも、所詮は別の会社のサクセスストーリー。
または、大学の先生や専門家の考えた理論上のノウハウです。

セミナーに参加して、それを真似したからと言ってヒット商品が簡単に生まれるわけではありません。

子育て経験があるからと自分本位な発想をして、あやうく失敗しかけたこともありました。

私はこれが必要と自信を持っていたのが、他の親はそれほどとは思っていないという苦い経験です。

だいたいが製品モデルを作成する前のヒアリング調査でわかるので、数えきれないほどのアイテム候補をはずしてきました。

アイデアを出すのは大好きです。
自宅でお風呂に入っている時、通勤電車の中、そんなときにひらめいたりしました。

それらのアイデア100のうち、1つでも商品化されたら御の字。
しかも、それが最初のイメージ通りのカタチで発売されるのはごく稀です。

広告をイメージしながら、モノづくり

グラフィックデザイナーから商品開発のプランナーに転職して良かったこと。
それは、商品の宣伝広告をイメージしながら企画書やその前の提案書を作成できる点でしたね。

どんなに良い商品企画であっても、うまく訴求できないとその魅力は半減します。

そういった意味では、前職の経験は役に立ったと思います。

私は30代半ばで未経験の職種に転職しました。
生活のためだったとはいえ、この選択はミラクル。

仕事がなくなり、貧乏になってて良かった。

そうでなければ、出会えなかった仕事。

すごーく、厚かましい想像。
私が転職しなければ、世の中の施設向けベビー用品はがらりと変わっていたんじゃないかなと。
(ほんと、厚かましい)

もっと優秀な人が企画していたら、ベビーキープやおむつ交換台は今とはまったく違う形状で、もっと使いやすくなっていたかもしれません。

それを想像すると、ごめんなさい。
私が携わったばかりに...。

逆に海外製と変わらない製品になっていた可能性もあります。

少なくとも回転寿司チェーンのベビーチェアや防災備蓄のベビーコットなどは、この世に存在していなかったのは間違いないです。

世の中にほんの少しですが役に立てたことが、素直に嬉しいです。

退職までのここ数年は、自分の子どもと同世代の人たちに交じって商品開発をしてきました。

若い世代の柔軟な発想力は、とても良い刺激になります。
一緒に働いていると、なんだか自分もまだ若いような錯覚を感じちゃうんです。

すると、同じように頭も柔らかくなったような気がしてくるもの。
見た目はしっかりおばさんなのにね。

子育ては孫育てに代わり、明らかに体力だけは落ちてきたのがわかります。

でも、気持ちは若く、これからも子育て環境については親目線で考えていこうと思っています。

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