【作品#19】『悪人』
こんにちは、三太です。
先日、バスケットボール部の地域の大会がありました。
うちのチームは頑張って練習していますが、それほど強くありません。
けれども、この地域の大会でなんとか接戦をものにして1勝することができました。
日頃の練習へのご褒美だと思います。
ただ、プレー面での課題はたくさんあったので、これで満足せず、これからも精進していきたいと思っている今日この頃です。
では、今回は『悪人』を読んでいきます。
初出年は2007年(4月)です。
朝日文庫の『悪人』で読みました。
あらすじ
2002年1月6日、国道263号線、福岡と佐賀の県境にある三瀬峠で起きた殺人事件の容疑者が逮捕されたところから物語が始まります。
『悪人』では、この逮捕に至るまでの関係者たちの群像劇が描かれます。
話に登場するのはこんな人物たちです。
殺されたのは保険外交員の石橋佳乃。
佳乃が好きだった増尾圭吾。
出会い系サイトで佳乃と知り合った清水祐一。
これもまた出会い系サイトで祐一と知り合った馬込光代。
主な登場人物はこの4名で、この4名の親、祖父母、家族、友達なども出てきて、事件について語っていきます。
この本のメインはどちらかというと事件を解き明かすことにはありません。
犯人自体はエンディングを迎えるまでに早めに分かります。
そのため、途中からは逃亡劇のような感じになります。
ただ、なぜそのような犯行(結末)に至ったのかが様々な視点から語られるので、とてもスリリングな展開です。
悪を通して人間が描きこまれた作品です。
文庫本の裏表紙の紹介文も載せておきます。
まずは上です。
少し書きすぎているような気もしますが・・・こんな紹介文でした。
もう一つ下はこのような感じです。
本当に傑作だと私も思います。
そのため今回、感想が長めです・・・。
その前に、出てくる映画の確認をしましょう。
出てくる映画(ページ数)
①「バトル・ロワイアル」(上巻 pp.102-103)
②「処刑人」(上巻 p.122)
③「夏物語」
④「クレールの膝」(上巻 p.123)
⑤「死刑台のエレベーター」
⑥「市民ケーン」(上巻 p.249)
⑦「釣りバカ日誌12」(下巻 p.61-62)
→この会話が行われているのが、2001年12月ぐらいなので、2001年8月18日公開のこの作品と思われます。
今回は以上の7作です。
そして、『悪人』は映画化もされているので、合わせて8作の映画を見ていきます。
感想
あらすじでも言いましたが、私の中では現時点でこの作品が吉田修一さんの最高傑作だと考えています。
本当に素晴らしい作品です。
そう考えるポイントを思いつくままに列挙していきたいと思います。
まずは吉田修一さんの九州への愛が感じられるところ。
この物語は福岡と佐賀を結ぶ263号線の描写から始まります。
もうここがめちゃくちゃしびれます。
これが冒頭です。この冒頭で描かれる三瀬峠で事件は起こります。
そして、何より深く深く人間が描きこまれるこの作品の冒頭が、この道路の描写というギャップにしびれてしまいます。
他にも、鹿児島や熊本、そしてもちろん長崎出身の登場人物が出てきて、こちらも九州全体に目配せがいっているようです。
(強いていうなら、そしてここまで来るなら、どこかで大分と宮崎も出してほしかった・・・)
次のポイントは登場人物同士がどこかズレていて、そこがなんともせつないということです。
今で言う「格差」みたいなものがあるように感じました。
祐一と佳乃のずれ、佳乃と増尾のずれ・・・。
そんなズレが多様な語り手により、浮かび上がってきます。
このズレが本当にせつないです。
けれども、最後は違うんです。
ズレているのに、合っているんです。
ここは少し分かりにくいですが、この話のポイントだと思うので少し説明します。
物語も終盤、祐一と光代は一緒に逃げているときに、光代がコンビニに買い出しに行き、そして光代だけが警察に連行されてしまうシーンがあります。
けれども、光代はなんとか派出所から抜け出し、必死になって祐一が隠れている灯台のそばの小屋に戻ります。
このことが祐一の人を信じる心を肯定してくれる瞬間だったと思います。
そして極端に言うなら、祐一にとって全てだったのではないでしょうか。
それで、ズレと合うの話なんですが、もう少し続きます。
このあと、結局は警察に見つかってしまうのですが、警察が小屋に踏み込んだ瞬間に祐一が光代の首を絞めた状態で発見されます。
そのことによって、光代は被害者のポジションとなり、普通の生活に戻ることができます。
もちろん祐一は逮捕されてしまいます。
ここがズレているのに合っているところだと思うんです。
祐一はそうなるように、わざと光代の首を絞めたと思います。
それが分かるように、祐一の過去の知り合いである金子美保という人物が語っています。
ここに出てくる「あの人」とは祐一のことです。
祐一は幼い頃に母親に一度フェリー乗り場に置き去りにされたことがありました。
その母親と随分経ってからまた会うようになって、会うたびに金をせびるようになったのです。
でも、それは本当にお金が欲しかったわけではなく、どっちかが悪者、いや悪人になるべきだと思って祐一が取った行動でした。
そのことと同じことを光代にもしたと思うのです。
光代とはもう一緒にはなれずズレてしまうけれど、思いが合っているからこそ光代の未来を思っての行動だったと思います。
こんなことからも本当に、祐一はなんで佳乃を殺してしまったのかと思います。
でも、それは理性では抑えきれないものでもあったのかなと。
人を殺すとまではすぐに発展しませんが、人間には大なり小なりそういった要素はあるようにも思います。
いわゆる「魔が差す」というものです。
(もちろん魔が差したからといって、人を殺していいとはなりません)
この思いは祐一も同じで、祐一の後悔の言葉が出てきます。
と、祐一も光代に吐露しています。
また、祐一が佳乃を殺してしまうシーンでとても不思議な表現があります。
真冬なのに、祐一には蝉の鳴き声が聞こえます。普通なら有り得ないことです。
なぜこんなことが起こるのか。
その秘密は先ほども少し紹介した祐一の過去にありました。
祐一が母親にフェリー乗り場に置き去りにされた日は路面電車に乗るおふくろが「水を浴びたように汗だく」になるぐらい「暑い日だった」のです。暑いことについて下巻のp.78で執拗に描写されるのでなんでかなと思っていたのですが、そういうことだったのかと。
つまりこういうことです。
祐一が佳乃を殺してしまうときに、暑い日のそのときの記憶が蘇っているのです。
祐一にとっては幼い頃の母との体験(一言で言ってしまえば、トラウマのようなもの)が、ずっと尾を引いているのです。
心象風景を描写せずに、蝉の鳴き声で見えないもの(祐一の心)を読者に提示しており、とんでもないなと感じました。
他にいくつか思ったのは、『悪人』は読み始めのワクワク感がずっと続くということです。
それはもしかして単行本・文庫になる前は新聞連載で発表されていたからかもしれません。
毎日興味を引っ張るために山場を設定していた効果なのかなと。
あと、個人的なことで言うと、祐一と光代が行く呼子の灯台が唐津にあることは衝撃でした。
佐賀の唐津は私の母方の祖父のふるさとで、あまり行ったことはないのですが、共通点みたいなものを感じました。
映画と関連させて言うなら、増尾の友達で鶴田公紀という人物がいるのですが、この登場人物は大学生で将来映画を撮りたいという設定になっています。
このあたりは吉田修一さんの映画への愛が出ているのかなとも思います。
ずいぶんと長くなりましたが、以上になります。
色々と読み手が解釈したくなるという意味でも素晴らしい作品だと思います。
峠道馬乗りとなり冬の蝉
次回は一度閑話休題する予定です。
では、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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