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【閑話休題#51】乃南アサ『美麗島紀行』

こんにちは、三太です。

今回はこちらの作品を読みます。

美麗島とは「麗しき島」を意味する、台湾の別称です。
本書によると、1544年にはじめて台湾を発見したポルトガルの船員が上げた感嘆の声がもととなっているようです。
本書は「台湾とは何か」という問題意識を持ち、乃南さんが台湾をめぐる紀行文です。

台湾について知りたいと思い、この本を手に取りました。

実は吉田修一さんは台湾好きを公言されています。
エッセイで何度も取り上げられています。(例えば『作家と一日』の「豆乳、揚げパン、牛肉麺!」や『素晴らしき世界』の「三年ぶりの台湾!タイワン!TAIWAN!」など)
台湾を舞台にした小説『路』も書かれています。
そして、これまで紹介してきた作品内に出てくる映画の中にも、台湾の映画がいくつかありました。

これに影響されて自分も台湾にかなり興味が湧いてきました。
そんな折に『美麗島紀行』に出会ったのです。
また乃南アサさんの著作はこれまで読んだことがありませんでした。
これを機に乃南さんの著作にも触れてみたいなという思いもありました。

『美麗島紀行』は2015年の11月に刊行された本です。


あらすじ

本書は上にも書いたように、とても簡単に言うと乃南さんが台湾をめぐる紀行文です。
ではなぜ乃南さんは台湾をめぐろうと思ったのでしょうか。
それは東日本大震災がきっかけでした。
東日本大震災が起こり、他国から義援金が集まったのですが、台湾からはアメリカの三十億円に次いで、世界で二番目に多い二十九億円あまりというお金が送られました。
国の規模からアメリカと比較してみても、これは大変な数字です。
このことへの感謝がきっかけのようでした。
乃南さんは「台湾とは何か」という問いを持って、この島の歴史・文化・そして現在の風景に迫ります。

感想

台湾の歴史は、戦争抜きには語れないと思いました。
日清戦争ののち、台湾は1895年から1945年まで日本の植民地となります。
本書の中でも乃南さんは嘆いておられましたが、日本人として学校教育の中でこの近代史についてはあまり深く学習しません。
私も学校でこの事実を習ったというよりも、恥ずかしながら今回吉田修一さんの映画ガイドを作る中で、台湾について調べ知りました。
日本の植民地となっていたせいで、台湾人には不幸なことが起こります。
それは家族でありながら世代によって言葉が通じないということです。
おじいちゃんは日本語を話す、お父さんはミンナン語を話す、自分は北京語を話すというような事態です。(p.87)
それは日本が台湾を去った後にやってきた、蒋介石率いる国民党軍の影響もあります。
「本省人」(もともと台湾にいた人)と「外省人」(戦後中国から渡ってきた人)の大きな対立もありました。(本省人には「半山」という日本の植民地時代に中国に渡り、戦後台湾に戻ってきた人のようなさらにややこしい立場の人もいました(p.128))
そういう歴史的背景を知ると、より映画「悲情城市」や「牯嶺街少年殺人事件」などへの理解も深まったのかなと思います。

ただ、本書では「本省人」「外省人」の他にも、先住民族の話や、オランダ・スペインが島に駐留していた話まで出てきて、その複雑さにも驚かされました。

少し台湾に関して意外だなと思ったエピソードがありました。
それは信号の表示に色が変わるまで「あと何分」「あと何秒」で具体的に示されるようなのです。
意外にせっかちなのかもしれないと乃南さんは言います。(p.57)
吉田修一さんの『路』を読んでいると、けっこう時間には大らかな台湾人が描かれていた気がしたので、ここは私も意外でした。
信号はそうだけど、人の心持ちは違うのかもしれませんね。

乃南さんはガイドの方とともに台湾をめぐります。
そのガイドの方の中に陳さんという方がいました。
その陳さんが当初のとは違う想定外の予定を示すこともあったようです。
その想定外を楽しむ乃南さんが描かれていて、面白かったです。(p.72)

今回本書を読んで自分はあまりにも台湾のことを知らないなと感じました。
吉田修一さんのエッセイには台湾のオススメどころ、オススメの食べ物が列挙されたものがあります。(先ほど紹介した「豆乳、揚げパン、牛肉麺!」)
その文章を片手に、自分も一度台湾をめぐってみたいです。

今回は乃南アサ『美麗島紀行』の紹介でした。
台湾を知りたいと思い手にとり、自分の知識不足を痛感して、さらに知りたくなりました。
 
それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

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