見出し画像

男は、女は、私は。

こんにちは。栗山ゆかりです。
外でPCをカタカタやってる自分にちょっと酔ってます。
それとも、外の気温にやられて頭がぼーっとしているのか。

どっちかわからないので、水分だけはしっかり摂ろうと思います。

隣のテーブルでは男子高校生が筋トレの必要性や、明日から始まるテストへの率直な思い「休もっかな」について語り合ってます。
アオハル。

高校時代、お世辞にも友達が多くなかった者としては、こんな昼休みの会話が憧れでした。

どうかこれからも、健やかに育ってくれよな。


さてさて。
普段は「男性だから、女性だから」、とかそんなに気を配ってないのですが、今日の仕事中に、ふっと思い出した、好きな言葉があります。

これは、前の前の会社の上司が言っていたことです。

当時オフィスで、営業部の皆について話していた時かな。
いや、違う。
管理部(私)に向けて言っていたんだ。

上司はこう言いました。

「男は愛嬌、
女は度胸やで」

小学校くらいの時は、「男は度胸、女は愛嬌」ってよく聞きました。

上司が言った逆の言葉は、最近の世の中でいうジェンダー的な発想とか、
「男は○○女は○○」っていうのは差別だ!
っていう意見とか、そういうのとは1ミリも関係なく、彼自身の価値観として、ポンと発された言葉です。
多分、もう8年位前のことだと思う。
元気でやってるかな。

その上司は大阪の人で、社内の他の大阪出身の人の中でも、群を抜いて気が強・・・というか、竹を、その辺の竹林一帯ごと真っ二つに割ったような性格というか。
良くも悪くも、清々しいほどものをはっきり言う人でした。

そして私は、人の裏表を読むことが苦手なタイプだったので、上司のこういうところは好きでした。
時々、言い方にカチンと来て喧嘩っぽくなったこともあったけど、それを引きずって話しかけづらい空気になるとかもなくて、気が楽でした。

だからでしょう。
あの言葉を聞いたときも、清々しかった。

男も女も、それぞれの性ならではの、イメージや強みがある。
だからこそ、一見逆だと思う部分も、強みとして持て。
そうなったらどんな場面でも、誰とでもやっていける。

最強やんか。

って、言いたかったのかどうかはわからないけど。
私は、勝手にそう思ってました。

8年前に聞いたこの言葉を、時々ふっと思い出します。

勇気が欲しいときに。
初めての場所に、一人で向かうときに。
度胸を持て、私。
と。

そして、最近はこうも思います。

どっちの性に生まれたとしても、
大切にすべきは
「男は」「女は」ではなく、

「私は」

の想いだと。

きっと上司は、女性としての好みとか関係なく(桐谷美玲さんの大ファンだったなあ)
「私」を好きでいてくれたと思うのです。
もし私が男だったとしても、気にかけてくれたと思う。多分。
そうであってほしい。


性以前に、人としてどうあるべきか。

これからも数十年、人生は続く。
今は、「男は」「女は」から始まる意見が、やたらと睨まれる時代。
でも、もしこの先、逆に睨まれなくなる時代に戻ったとしても。

「私は」の想いを大切に、生きれるだけ生きてみたいものです。

なお、先ほどの男子高校生たちは、向こう側に通りすがりのクラスメイト女子を見つけて、からかい半分に「お~い!」て呼んでました。
女子は照れ臭そうに笑いながら、彼らのもとへは行かずにお店を後にしました。
アオハル。

どんな時代でも、青春のワンシーンに罪は無い。
あのまぶしさは、いつ生まれた子たちも変わらない。

自分らしく、自分がやりたいと思ったことを、たっくさん楽しんでくれよな。

この記事が参加している募集

#多様性を考える

27,883件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?