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【小説】学校の話。<転②>

▼前話


1)

「困ったことになったねぇ」

畠山教頭が力なく溜め息をついた。
細面の神経質そうな男で、あと数回溜め息をつけば魂が抜けるのではといった様子である。

職員室に隣接する小部屋で、小渕沢と畠山教頭は向かい合って座っていた。
来客を通したり、ちょっとした打ち合わせを行う多目的な場所だ。

(どこで間違えた──?)

小渕沢は、拳を握り締めて自問を繰り返す。

いじめの証拠を見つけたと思ったのだ。
だから、あの場で学年主任の及川を呼んだ。
あれが手紙ではなかったとは……。

(フン。紛らわしい)

しかも、都合の悪い事実も公になってしまった。
伊藤 葵の母親に、注意喚起の連絡をしたことである。

あれで話がより複雑になった。

「報告は明日聞くから。とにかく面倒は困るからね」

丸顔の坂下校長は、そう言って部屋を出ていった。
教育長との先約があるということだが、怪しいものだった。

既に二十時に近く、運動場に面する窓からは暗闇ばかりが迫る。

「この度は大変申し訳なく……しかし教頭」

「この期に及んで言い訳かね?」

「いえ。手紙ではなくても、文章を写させていたのは事実でして」

そうだ。
手紙か手紙でないかという問題だけに惑わされてはいけない。

小渕沢は多少落ち着きを取り戻した。

千乃と葵。
二人の間に、力関係は確実に存在するのだから。

「ふうむ」

小渕沢から千乃らの関係性について聞かされた畠山教頭は、軽く顎を撫でた。

「では、手紙かどうかは別として、いじめの危険性はあるということかね?」

「そうです」

「そりゃマズイよ、丈二先生」

「ですから伊藤家へ連絡したわけです」

「なんだ、ちゃんと対応してるのか」

小渕沢が頷くと、畠山教頭は安心したような表情になった。

「今回は、厄介な保護者に噛み付かれたってとこかねぇ」

小渕沢も畠山教頭と同じ考えであった。
千乃の両親は、娘がいじめの加害者であることを認めたくないのだ。
自分のせいにされたと思うとすぐ牙を剥いてくるクレーマー気質の親は、一定数いる。

母親は「伊藤家への連絡内容を取り消せ」と言っていたが、その必要もないだろう。

「そうだねぇ、危険性があるのは確かなんだし。
何度も電話したら伊藤さんも混乱するだろう」

小渕沢の意見に、畠山教頭も賛同した。

父親の剣幕にされはしたが、冷静になってみれば馬鹿げた話だ。
あのメモだって、実は手紙だったという可能性はある。

ひどい人がいるから、気をつける──。
語尾を「気をつけるんだよ」とし、下に名前を書けば立派な手紙だ。
千乃と葵の力関係を見れば、この考えは妥当なところではないか。

 
ノックなしにドアが開いた。
及川に続いて入室して来た人物に、小渕沢は目を剥いた。

「殿山先生がどうして?」

一瞬の戸惑いの後、小渕沢はキッとなって眼鏡を押し上げる。

「他学年の問題に口を出さないでいただきたい!」

「いいのよ、彼は」

及川が、声を荒げる小渕沢を制した。

(何故──!?)

及川も畠山教頭も、当たり前のように殿山を受け入れている。
畠山教頭が事のあらましを説明し、及川が必要に応じて補足していく。

小渕沢は苛立ちを隠せない。
神妙な態度の畠山教頭や及川を、信じられない思いで眺めた。
殿山は立ったまま腕組みし、じっと話を聞いている。

「明日の朝、すぐに謝罪しましょう」

「それなんだけどねぇ」

ここで畠山教頭が口を挟んだ。

「ご両親は3年生の担任を全く信用できないそうだ。
この件は私に一任したいと言うんだよ」

殿山がフンと鼻息を吐く。

「昼休みに瀬尾先生も含めて集まってもらう。
私が立ち会いの下で謝罪しよう」

「どうして昼休みまで待つんですか?」

畠山教頭の提案に、及川は渋い顔をした。

「教頭に一任されてるのなら、やむを得んでしょうな」

「え? 丈二先生、おかしいと思わないの?
教室で顔合わせるのに」

及川はなおも異論を唱え、殿山も不服そうに何か言いかける。小渕沢はそれを遮った。

「ご家族が教頭に一任したんだ。
変に動いて刺激しない方がいいでしょう」

殿山から鋭い視線が投げかけられたが、小渕沢は動じない。
畠山教頭が自分の考えに概ね賛同しているからだ。

「学年集会での謝罪はどうしましょう」

そんなものは無視でいい。
小渕沢は、全部を拾って報告する及川のやり方にまどろっこしさを覚えた。

「ダメダメ! おかしな前例を作らないでくれよ」

畠山教頭が必死で手を振る。

「大体、メモじゃなくて手紙だという可能性もまだ残っているんだろう?」

「その通りです」

小渕沢が畠山教頭に加勢した。
あの時、千乃たちは紙を一斉に隠したのだ。後ろ暗いことがあったに違いない。その後も千乃は、こちらの問いかけに答えなかった。つまり、あれは恐らく”手紙“なのだ。
 
小渕沢が胸を張ると、殿山は自分の顳顬こめかみを指差した。

「認識の違いだ」

「は?」

「お前ら、千乃たちにどういう話し方をした?
“何してるんだ”って詰め寄っただけじゃねえのか?」

「どうなんだ」と、殿山は及川に向かって顎をしゃくった。
及川がサッと蒼ざめる。

話が見えない小渕沢は、畠山教頭と顔を見合わせた。


「“手紙”という思い込みがあったのは大人だけなんだよ。
子供は何について怒られたか分かってない。“手紙”じゃないなら尚更だ」


頭をガンと殴られたようだった。
小渕沢は、信じられない思いで殿山を見上げる。
自分は今、こんな男に指摘を受けたのだ──。

殿山が勝ち誇っているように見えた。

「基本が欠けてた……とんでもないことしちゃったわ」

及川が机に手をついた。

「すぐ謝らなきゃ。昼休みまで待ってる場合じゃない」

「当たり前だ。謝罪くらい教頭なしでできるだろう」

「ええ」

「学年集会での謝罪は効果はないかもしれん。ガキ共はもう忘れてるだろうからな。
ただ、親にしてみれば当然の要求だ。間違ってもクレーマー扱いするなよ」

及川が神妙な顔で口を引き結ぶ。
殿山は、顎に手を当てて嘆息した。

「あとは、伊藤 葵の方に早く連絡してやれ。
子供がいじめられてるなんて報告受けて、嬉しい親なんかいねえだろ」

小渕沢は奥歯を噛み締め、怒りを顔に出さないよう必死だった。
自分の判断をことごとく否定してくる。まるで嫌がらせだ。

「あいつら、普通の昼休みを過ごしてただけじゃねえかよ。
どこに騒ぎ立てる必要があった?」

殿山が、小部屋に集う面々をギラリと睨んだ。


「無能が雁首揃えやがって」

2)

「おかしいと思います!」

長い一夜が明けて、翌朝の職員室。週末である。
話を聞いた瀬尾が声を荒げた。

「もう登校してるんでしょ?
丈二先生だけでも、すぐ謝りに行くべきです!」

「止められているんですよ。
この件は教頭先生に一任ということになりましてね」

結局、殿山の提案は無視されることとなった。畠山教頭の判断である。
及川は最後まで反対したが、押し切られた形だ。

「一人ずつ行ける時の方が良いと思います。
だってまた……」

「決定事項なんです」

小渕沢は、難色を示す瀬尾を手で制した。
そこへ、事務員から児童の欠席が伝えられる。

「笹木 凛音さん、体調不良。了解しました」

「またですか?」

瀬尾が眉をひそめた。

「この問題、何か見落としがあるんじゃないかしら?
もっとちゃんと……」

「なに、週明けには元気に登校しますよ」

小渕沢は席を立ち、先に教室へ向かう。
後を歩いてくる瀬尾と及川は、何か話し合っているようであった。


「やあ、千乃ちゃん」

「あ、教頭先生」

千乃が人懐っこそうな顔で近寄って来た。
給食が終わり、廊下の流しで手を洗終えたところだ。

「大変なことがあったね」

畠山教頭が慎重に切り出すと、千乃はサッと表情を強張らせた。

「先生たちね、千乃ちゃんに謝りたいって言ってるんだ。
教頭先生と一緒に図書室へ行ってくれないかな?」

千乃は、オレンジ色のタオルハンカチを握りしめて首を横に振る。
予想外の反応に、畠山教頭は焦った。

「でも……いいのかい?」

千乃はわずかに首を傾げたあと、無言で頷いた。


「だから言ったのよ、こういう形はマズいって」

畠山教頭からの報告を受けると、図書室で待機していた及川は溜め息をついた。瀬尾も同様に、沈痛な面持ちである。

「本人の中で解決したということですかね」

小渕沢は眼鏡のブリッジを押さえた。

「前みたいに囲まれるのがイヤなんですよ!
分からないんですか!」

瀬尾が噛みついてくる。

「だったら何故初めに言わないんだ」

「丈二先生、聞く耳持たなかったじゃないですか!」

「まあまあ。今回は作戦ミスだったんだよ」

横から畠山教頭が取りなす。

「やめてください、そんな言い方!」

「ハハ、言葉のアヤだよ」

畠山教頭が言い終わる前に、瀬尾は図書室を後にした。

(仕事に慣れてきて、何か勘違いしているようだな)

小渕沢は鼻白んだ。
彼女は、少しばかり経験を積んで妙な自信をつけたとみえる。
新人の情熱はこじれると面倒くさい。

「私は個人で謝りに行きます。
あとは丈二先生のクラスの問題でしょ」

及川は、これ以上教頭には任せていられないとばかりに宣言すると、小渕沢を一瞥して図書室を出ていった。


「3年3組の中嶋さんから教頭に電話なんだけど席外してるみたいで。
どうします?」

放課後の職員室。
他学年の教師が受話器を片手に呼びかけてきた。

及川も瀬尾も、反応することなく黙々と仕事をしている。

「及川先生」

「私、関係ないでしょ?
教頭がいないなら担任の仕事」

小渕沢の呼びかけに対する及川の返事は素っ気ない。

「急ぎだそうです」

電話を受けていた教師は、さっさと内線ボタンを押した。

『娘は謝罪を受けてないと言ってますが!』

「い、いえ、それはですね」

小渕沢は、電話の相手が父親だったことに驚きつつ釈明する。謝罪は教頭立会いの下で行われることになったものの、千乃がそれを断ったのだ。
 
『顔合わせたら謝るのが普通だろ!
同じ教室にいるのに、どういう神経だよ!』

小渕沢は、向かいの及川と瀬尾を見遣った。
父親の怒鳴り声は聞こえているはずだというのに、二人とも我関せずという顔つきである。

『もう週末だ。土日休みを挟むんですよ?
なにをモタモタやってるんだ!』

父親はなおも非難を続ける。小渕沢は返答に窮した。

『電話じゃ埒が明かない。
週明け、そちらに伺いますので時間を作ってください』

校長・教頭・3年生の担任一同を揃えろというのが父親の要求である。
小渕沢は、調整すると答えるのがやっとであった。
電話口の声が母親のものに代わる。

『葵ちゃんの方へは連絡していただいたんでしょうか?』

「していませんが」

『すぐに、とお伝えしたはずです。この後、早急に連絡してください。
あと、昨日から凛音ちゃんが休んでるそうですね』

「個人の情報はお伝えできません」

小渕沢は切り口上で返した。
ムカムカしてくる。

(何様のつもりだ。教育現場を知らない者が上から目線で)


『あの、大丈夫なんですか?
葵ちゃんと凛音ちゃんも先生三人に囲まれたんですよね?
うち以外もフォローが必要なんじゃないですか?』

小渕沢は目を剥いて固まった。
次から次へと細かいことを──!

「う、必要なことは学校の方で対処しておりますので!」

『では月曜日、十七時三十分に伺います。
変更が必要な時はお早めに連絡くださいね』

母親は「お早めに」という部分をやけに強調し、一方的に電話を切った。
伊藤家へ連絡していない自分への嫌味なのだ。小渕沢は受話器を叩きつけた。

伊藤家へ連絡していないのは、いじめの疑いが拭えないからだ。
(自分の娘の問題を棚に上げて、あの女は!)


「おい、小渕沢、、、

頭上から降ってきた横柄な声に、小渕沢は仰天した。
ゆっくりと振り向けば、殿山が自分を見下ろしている。

(こいつ……)

この男は今、自分を呼び捨てにしたのだ。
教師である自分を。
 
「お前、墓穴を掘る趣味でもあんのか?」
 
「何が言いたい!?」

椅子を蹴倒して立ち上がった。
職員室でなければ殴りかかっているところだ。

 
(どれだけ頭を悩ませたと思ってる!?
それが墓穴だと──!)

 
「あまり人をナメるなよ」


ワナワナと口を震わす小渕沢に、殿山はそう言い捨てて背を向けた。

▼次話


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