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【小説】学校の話。<転①>

▼前話


1)

「3年3組の笹木 凛音さん、欠席です。
体調不良ですって」

翌朝の職員室。
電話を受けた事務員が伝えに来た。
凛音といえば、昨日の昼休みに叱責された三人組のうちの一人である。

「昨日のことが関係してるのでは?」

瀬尾は胸騒ぎがした。

「体調不良と言ってるでしょう。まだ寒いですからね」

「丈二先生。あの手紙、もう一度見せてもらえませんか。
私、気になることが……」

「瀬尾先生は2組の担任でしょう」

新人に難癖をつけられたと思ったのか、小渕沢の口調には棘があった。
しかし、瀬尾も今回は引き下がるわけにいかない。

「丈二先生、あのとき及川先生を呼びましたよね?
私も立ち会いました」

及川が困ったような顔で瀬尾と小渕沢を見比べる。

「最後まで学年で共有すべきだと思いますが」
 
「もう終わった話です。朝の会に遅れますよ」

小渕沢は、瀬尾の訴えに耳を貸すことなくに席を立った。


終わってはいない。
終わらせてはいけないのだ。
 
しかし、千乃たちは自分の受け持ちではない。
彼女たちに話を聞くことも、家族に連絡を取ることも許されない。

瀬尾は焦りを覚えた。
疑問を解消するには、もう一度あの折り紙を見なければ始まらないのに。

「自分ができることを」。
これを実行することの難しさを、瀬尾は早くも感じ始めていた。

「どうしたの? あんなこと言うなんて珍しいじゃない」

隣に座っていた及川に肩を叩かれた。
及川なら分かってくれるかもしれない。でも。

「気になることがあるなら、放課後に時間取るわ。
取り敢えず行きましょ」

今は時間が無さすぎる。
瀬尾は居ても立っても居られない衝動を抑え込みながら、及川とともに教室へ向かった。

2)

三限が始まる前の休み時間に、3年3組を覗いた。
オリバーと子供たちが教卓を挟んで腕相撲大会をしている。小渕沢はいない。

瀬尾はつい、教室の前をウロウロしてしまう。
千乃は、腕相撲を遠巻きに見物していた。隣に葵が立っている。
 

(いつもの千乃ちゃんだったら、もっと前の方で声をあげて応援するんじゃないかしら──)

職員室に教材を取りに行くと、小渕沢が欠伸をしながら三限の教科書を用意している。

通常なら気にも留めない光景が、瀬尾の神経を逆撫でした。



「千乃ちゃん、元気なかったみたいね。
オリバーが言ってたわよ」

放課後の職員室で、及川が言った。

瀬尾は、密かにオリバーに感謝した。小渕沢でなく、学年主任の及川に伝えたくれたことも。
彼のことだから、それとなく、上手い具合に話してくれたに違いない。

「確かに、ちょっと大人しかったようですな」

小渕沢は、顔を上げずに答えた。
ペンの走り具合から察するに、テストの採点でもしているようだ。

「まあ、いい薬でしょう」

その態度に瀬尾は腹が立った。
千乃ちゃんの様子なんて、ほとんど見ていなかった癖に──。

「あの! そのことなんですが」

瀬尾がいつもより強い口調で発言した時、内線が鳴った。
中嶋 千乃の母親からだと伝えられ、小渕沢は訝しげな表情で受話器を取る。
 
少しの間、「はい、ええ」などと相槌が続いた後──。

「ああ……何てことだ、すみません!」

小渕沢が、電話に向かって頭を下げた。


事が発覚してからの中嶋家の動きは、以下のようになる。

娘がしでかしたことに、千乃の両親は激しく動揺した。
しかも、葵は保育園の頃から仲良くしている友達だ。おとなしい性格であることも承知している。伊藤家のことを思うと、母親はさらに胸が痛んだ。

しかし、いくら諭しても千乃は困った顔で首を傾げるばかりである。

両親は信じられない思いで顔を見合わせた。
この子は、いつの間にこんな風になってしまったのか。

「娘さんは、そういう子、、、、、です」
担任の一言が思い起こされる。

父親から怒号が飛び、千乃はついに泣き出した。

そして、今朝。
親子間がギスギスした状態のまま千乃は登校、両親は在宅ワークのため自宅に留まっている。

昼食時に改めて娘のことを話し合っているとき、現物を見ていない父親が手紙の内容を問うた。

【ひどい人がいるから 気をつける】

どこか変な感じがした。
昨日は頭に血が昇っていたが──。


「それって……手紙か?」

 
帰宅後、「あれは手紙とは違うもの?」という問いに千乃が頷く。

「千乃ちゃん、ごめんね」

母親は、泣きながら娘を抱きしめた。
彼女が書いたのは単なるメモ、覚え書きだったのだ。

事が起こった日の朝に開かれた学年集会の内容は、「手紙の禁止」。
及川は児童の前で言った。「手紙は悪口を書くものじゃないよね」と。

ひどい(ことを書く)人がいるから、手紙はダメなんだ。
そうならないように気をつけないといけないんだ。

あの文章は、それを受けて書かれた。
小学3年生なりに考えて、ああいった表現になったのだろう。

そんな時に小渕沢に詰め寄られ、廊下に出された。
教師に囲まれて萎縮していた千乃は、声を出せなかった。

帰宅後は両親からも叱責された。
千乃は混乱しながらも、自分が良くないことをしたのだろうと落ち込んだ。

学年集会を受けて書かれたメモ。
覚え書きとしては分かりにくい。
しかし。

【ひどい人がいるから 気をつける】

これを手紙と断ずることも難しそうである。
にも関わらず、誰もが手紙だと思った。
何故か。

最初に、小渕沢が周囲に「手紙だ」と伝えたからだ。
そこから、あの文章が手紙だという前提で話が進み始めた。

3)

瀬尾は目頭を押さえた。
千乃は昨日の昼休みから今まで、誰にも理解されないまま過ごしたのだ。
及川も隣で項垂れている。
 
「中嶋さんは学年主任にも話を通したいとのことで……」

「当然でしょうね。分かったわ」

小渕沢が申し出ると、及川は居住まいを正した。
すぐに中嶋家へ折り返す。

二度目のコール音の後、電話に出たのは父親だった。
小渕沢と瀬尾は、受話器から漏れる声に耳を傾ける。

父親は、授業を止めてまで執拗に叱責を続けた小渕沢の対応を非難。
また、教師が三人もいながら誰一人としてあの文面の真意に気づかないことに対しても怒りを露わにした。

瀬尾は、氷を当てられたように鳩尾の周辺が冷たくなっていくのを感じた。

今回の件がもし、誰にも気づかれず見過ごされていたら──。
千乃は、どうなっていただろう。

千乃を追い詰めることに、瀬尾自身も少なからず加担したのだ。


『娘に謝ってください!』

「はい。それはもう、もちろんです」

電話口で激昂する父親に、及川が必死に答えていく。

『その上で、学年集会でも詫びてください。
対応を間違えていたと』

「え?」

『当然でしょう。娘から聞きましたよ。
みんながジロジロ見てたって』

確かに、野次馬がたくさんいた。
雨が降っていたため、児童は教室に留まっていたのだ。

『それを受けて、下校前にわざわざ学年集会を開いたとか。
手紙は禁止だと強調されたそうですね?』

想定になかった要求らしく、及川は困惑の表情で唇を舐めた。

『本当に悪いことをしたならいくらでも叱ればいい。
でも、実際あれは手紙ではなかった。娘の名誉に関わる問題です』

「しかし……怒られる子は日に何人かいるんです。
学年集会は千乃ちゃんのことだけではなく……」

『そんな奴と一緒にするなよ!
そっちが勝手に騒いで大事にしたんだろうが!』

父親の怒声は、受話器を通しているにも関わらず職員室中に響いた。
胃が重くなるような時間が続く。

瀬尾の向かい側で、小渕沢は貝のように固まっている。
及川が掌で額の汗を拭った。

「申し訳ありません。
ただ……話を蒸し返せば、また千乃ちゃんが注目されることになります。
逆に傷つくかと……」

これに対して父親が何か言おうとしたが、物音がして母親に代わった。

「あ、お母さんですか。この度は……」

『あの。伊藤 葵ちゃんのお宅へはもう連絡が行ってるんでしょうか?』

小渕沢が「あッ」と顔を上げた。
及川が受話器を押さえて「何のことよ?」と小渕沢を見遣る。

『担任から聞いてないんですか?』

小渕沢は、千乃が葵に強制的に手紙を書かせていると思った。
母親を呼び出し、注意喚起のため伊藤家へ連絡する旨を伝えていたのであった。

あらましを聞かされた及川は、拳で眉間を押さえた。
小渕沢が【連絡取りました】と走り書きした手帳を掲げている。

『既に連絡してるんですね?
うちが弱い子を力で支配するような子供だから、気をつけろって言ったんでしょ?』

激昂する父親と対照的に、母親はやや早口で冷たい口調である。
瀬尾はそこに、学校への激しい怒りと侮蔑の念を感じた。
場の雰囲気は、父親が怒鳴っていた時よりも緊迫している。

『冗談じゃないわ。一緒にメモを書いてただけじゃないですか。
取り消してください、今すぐ』

「は、はい。その……」

『こちらの要求は娘への謝罪と、伊藤さんへの連絡内容を取り消すこと。
あとは校長先生に代わってください』

一旦受話器を置くと、及川は長い溜め息をついて机に突っ伏した。
中嶋家には、時間を置いて教頭から折り返すということで納得してもらっている。

「申し訳ありません……」

「何てことをしてくれたの!」

小渕沢が遠慮がちに謝罪すると、及川は鬼のような形相で声を荒らげた。

「私も瀬尾先生も、丈二先生が呼んだから集まったんでしょう!?
完全にとばっちりじゃないの!
気づけなかったのは私も悪いけど!」

他学年の教師がチラチラと自分たちを窺っているが、瀬尾はもう取りなす気にもなれない。

巻き込まれた。
瀬尾もそこは同感であった。

ただし、この件を小渕沢だけに抱え込まれていたら、千乃がどうなったか分からない。

「しかし、こう言ってはなんですが」

小渕沢は納得していない表情である。

「おかしいと思いませんか。
あの子たちは、手紙を一斉に隠したんですよ?」

「手紙じゃないです」

「ああ……その、メモならメモと言えば良いじゃないですか。
答えられなかったということは、何か後ろ暗いことが」

瀬尾は耳を疑った。
小渕沢に向ける視線が自ずと鋭くなる。

 
「あなたは子供たちと信頼関係ができてないんだよ!」


瀬尾の背後にオリバーが立っている。

「君には関係ないだろう! 何で……」

気色ばんだ小渕沢が、オリバーから瀬尾に目を移した。
その視線は、次第に不審の色を濃くしていく。
 
反射的に目を逸らしてから、瀬尾は「しまった」と思った。
これでは、自分があの件をオリバーに話したと白状しているようなものだ。

挙動不審になったのは、居酒屋の店員に彼とカップルだと間違われたことも少なからず影響していた。

「これだけ騒いでおいて無関係なワケないだろう!
丸聞こえなんだよ!」

瀬尾の心中を知ってか知らずか、オリバーが小渕沢の無言の詮索を断ち切る。

「あなたは、いつも威圧的なんだ!
そんなヤツがズカズカ近寄って来たら逃げたくもなるよ!」

「君は……敬語の勉強でもしたらどうだ!?」

「あなたのために使うケイゴなんて知りたくもないね!」

「何を!?」

及川が頭を抱えて叫んだ。


「あーもう!
うるさいわね、この忙しい時に!!」

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