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春のような温かさがいつもある学校に… 「ありがとう」に返した「ありがとう」 〜心の宝物220

🌷帰りの会のよさみつけ


コロナ機の学校
「自分自身のよさや存在そのものへの、小さくとも確かな自信」
この思いを、関わる子どもたち一人一人の胸に、何とか打ち込みたい、そうして育み続けたい。それが、今後の人生を生き抜いていく、心の力の土台になる。大切なこの子が、いつか「人生の冬」を生きることを余儀なくされたとき、自分が自分であることを見失いそうになったとき、打ちひしがれて倒れたくなったとき、身を支える杖になる。

それが私の信念です。

学校経営の中心に置きました。「心の宝物」という言葉で、児童、職員、保護者、地域の方と、学校に関わる全ての方と共有し、共に育んでいただくことのお願いや、子どもたちのそれが輝いた事実を、あらゆる機会を通じて発信しました。

そんな思いに呼応するように、学級で、学年で、委員会活動で、「よさ」を見つけ、讃え合い、喜び合う活動を、先生方も展開してくださっていました。

毎日の帰りの会の「よさ見つけ」も、その営みの重要な一場面でした。

🌷「ありがとう」に返した「ありがとう」


この日の3年生の帰りの会でも、よさ見つけが行われていました。
彼が挙手して仲間のよさを発表しました。

「A君が、ぼくに『ありがとう』と言ってくれたことが、とてもうれしくて、心が温かくなりました」

他の児童は、始めきょとんとしていましたが、やがて真意が伝わり、二人に対する拍手が学級全体に広がっていきました。

場面の詳細は記憶していませんが、彼がA君を何かで助けてあげました。A君は当たり前のように「ありがとう」と彼に謝意を伝えます。
A君が、自分の行動に謝意を伝えてくれたことが彼の心を揺さぶり、彼はそれをA君のよさとして、帰りの会で伝えました。

「とても温かい時間でした」
ベテランの担任の先生が、嬉しそうに知らせてくださいました。
「先生こそ、その感謝の交歓を掬い取ってくださってありがとうございます」
担任の先生の共感力の高さと機会を逃さない眼力と指導力に敬意をお伝えしました。
「そんな風に言っていただいてありがとうございます」
おかげで私たちにとっても、温かな時間になりました。

彼は快活で、遊びでも、授業でも、様々な場面で前進的な言動を選択します。弁舌爽やかで、積極的に発言しますが、どんな場面でも、誰に対しても、決して攻撃的になることはありません。伸びやかで、対する人や周囲に安心感を届けられる人でした。

自分がしてあげたことに対する、仲間からの「ありがとう」を、自分の中でその人への感謝に変えられる。
言ってしまうと単純に聞こえるけれど、決して簡単でも当たり前でもないと思う。

「Give&take」という言葉がある。してあげたら、してもらう。それで完結。それでいい。
算数のように考えれば、確かにその通りかもしれない。私も含めた多くの人の心に、無意識に、この計算尺は刷り込まれている。これを指針として、人との折り合いを考える人の数は多いし、それを間違っていると言ってはいけないと思う。

よりよいものに向かって進化を止めないこと。それが人間が人間でありえている理由の一つと思う。そう考えると、君が示してくれた心の営みもまた、人の心の大きな進化の証拠だと思う。
「してあげたのだからお礼を言われて当たり前」でなく、「自分のしたことに感謝を伝えてくれたことに対する感動を、感謝としてその人に返す」

A君も、みんなも、はじめ戸惑ったことだろう。そうして、すぐに、自分を温かな気持ちが満たしていることに気づいたことだろう。
「ありがとうに、ありがとうを返すって、こんなにも素敵なことなんだ」
これは、人間として、他の人とよい関係を築きながら、幸福に生きていくうえでのかけがえのない学びに他ならない。

君のおかげで、今の温かな学校に、更に素敵な文化が生まれた。
自らの姿で、学校で学ぶ値打ちを、自分の力で社会を幸せにすることができることを、君は示してくれた。
ありがとう。

そんな思いでお伝えしました。

かけがえのないあなたへ
素敵なきらめきをありがとう
出会ってくれてありがとう
生まれてきてくれてありがとう
どうか、ありのままで
どうか、幸せで

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