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春のような温かさがいつもある学校に… そう決心して、心のサビを落とす 〜心の宝物134

🌷残暑の午後


コロナ機の学校
9月上旬とはいえ、この日の学校も厳しい残暑の中でした。給食を終えた午後、5年生のフロアでは、定刻の前から、子供たちが続々と掃除を始めていました。
その中でも、ひときわ気迫が伝わってきたのが彼でした。

「時間いっぱい」という言葉が、掃除を指導するときのキーワードになることは少なくありません。
私自身もよく使いましたが、子供たちの生の感情を、「時間」というわかりやすい概念で蓋をして封じ込めようとする、言わば戒めのための、子供たちの行動を縛るため、もっと言えば叱る目安としての言葉として用いることには反対の立場です。

聖人の域にあるような方は別として、私たちが一般論として、したいかしたくないかを正直に言えば、掃除は、多くの方が後者に分類される作業でしょう。

ましてや子供たちです。暑い、寒い、面倒くさい、まだ始まっていない、今チャイムが鳴ったばっかだからそれから掃除場所に行けばいい、もう終わる時間だから早めに片付ける、だって次の時間に遅れるなって言うじゃない…。

こうした感情になることは人として当たり前であることを、大人も共に受け入れること、更に、ならばなぜ学校で掃除をおこなうのか、そこには意味があるのか、どんな意味があるのかを共に語り合うこと。そこを出発点にしたいと願ってきました。
そうして、自身を鍛える、利他を実践し、その心を培う、自分たちの生活する学校に、そうした風土を打ち立てるといった認識や決意が、小学校の1年生なりに固まり、願う姿として自ら発してはじめて「時間いっぱい」という言葉に命が宿ると考えています。

🌷そう決心して、心のさびを落とす


彼は、スポーツを愛する活力ある人でした。遠距離を登校した校門直下の最後の急坂で、なお、大きな声で挨拶を行う自分を選択できる人でした。

そんな彼を先頭に、5年生の子供たちは、「時間いっぱい」という言葉の解釈を実践した姿として、定刻前から行動することを選びました。強い意志で自発的に行う掃除は、細かな部分まで丁寧に、全力で行われ、ずいぶん古い校舎でありながら、タイルや金属部分が輝きを発するほどです。やみくもにカタチを押し付けることでは決して現れない姿がそこにありました。

ありきたりの言い方だけれど、この蒸し暑い中で、君が選び取った行動は、間違いなく君自身の心を、床同様に磨いたと思う。人の心には、どうしたって、金属でいうならさびのようなものが常に発生する。それは、人である以上、避けることはできない。だから、時々でもいいから、意を決して、そのさびを落とす時間が必要になる。そうしないと、いつの間にか心の大切な部分がさび付いてしまう。
決して簡単ではないけれど、その決心が大切なこと、その行動が自分をなりたい自分に近づけることを、あなたの行動から学ぶことができたよ。ありがとう。

そんな思いでお伝えしました。

かけがえのないあなたへ。
素敵なきらめきをありがとう。
出会ってくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。
どうか、ありのままで。
どうか、幸せで。

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