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隠したナイフ

中学の卒業式の卒業生による合唱曲は、スピッツの「空も飛べるはず」だった。

当時、私の地元の中学は少し荒れていて、のちに暴走族になるようなヤンチャな学友がいたり、そういった学友への対応に疲れて先生が休んでしまったりするような状況だった。近くの学校で包丁を使った殺傷事件が起きたこともあった。

そんな状況を鑑みて、先生たちは、当時も(今も)流行っていたスピッツを選んだものの、歌詞の中の、「隠したナイフが似合わない僕を、おどけた歌でなぐさめた」という箇所を何か他のことばで置き換えた。「沈んだ顔が」とか何かそれらしく繋がりの良い言葉だったような気がするが、それが何だったか、もう思い出せない。当時の学友には、言葉狩りに抵抗して、原曲に忠実に歌った奴もいたようだが、私は特段何も考えず、そのまま先生のアレンジが加えられた曲を歌い卒業した。

卒業して何年か経った後、ふとそのことを思い出し、実家に帰った時に卒業式次第を探したり、卒業アルバムに書いていないか開いて確かめてみたものの見当たらず、結局分からなかった。

本当にその部分の歌詞は記憶から隠されてしまって、その代わり、隠したナイフが変えられたことは記憶の中で強調されてしまい、それからは地域の卒業式帰りの中学生を見るたびに、「空も飛べるはず」には「隠したナイフ」っていう歌詞があったから消されたんだよなあ、と毎年思い出してしまうのである。

「絶対に大きな象を思い浮かべないで、絶対にね」と言われるともう象のことしか考えられなくなるように、何年も経ってしまった今も、スピッツの曲を聴くと、ナイフのことを意識から外そうとしても、ナイフのことばかりが思い出されてしまう。おそらく、中三の時にしっかりと原曲を歌い切った学友は、ナイフを隠さずに表現し切って消化されているはずで、もうこんなこと頭の片隅にもないのだろう。

先生方も、そこまで考えて決めたわけでもなく、「なんか物騒だし保護者からクレーム来たらやだから変えよ」くらいの気持ちで変えたはずで、もう誰一人として覚えていないと思う。他の学友たちも、こんなこと何年も経って思い出したり考えたりしているはずもない。人生の中であまりにも瑣末なことだ。

あの時のあの曲のあの空白部分が、なんという歌詞に変えられたのか、今でも気になっているのは世界の中で私だけなのかもしれない。私が死んでしまうと、空白が埋められずに永久に残ってしまうような気がして、毎年卒業式のシーズンにふと思い出しては、努力虚しく、「なんだったかなあ」と呟いて日常に戻る。


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