30歳になったのに

30歳になる頃には、大人になり、物事を知り、多くのことに判別がついていると思っていた人…

30歳になったのに

30歳になる頃には、大人になり、物事を知り、多くのことに判別がついていると思っていた人の備忘録。半分真面目。

最近の記事

謝られたって傷は癒えない

誰かの言葉や行動で傷つけられたとき、回復にどのくらいの時間がかかるだろうか。完治する前に相手に謝られた時に、許せるだろうか。 「謝ったんだから許してやってよ」という第三者の言葉や「謝ったんだから仲直りしようよ」という加害者の言葉には、謝罪に、出来事を洗い流し、綺麗にし、元に戻す効果を期待しているようなニュアンスが込められている気がする。 でも、謝られたって傷は癒えない。 傷つけられたことが怪我をすることなら、謝られることは、傷口がこれ以上広がらないということを意味するに

    • 敬語は尊厳の社会保障だと思い直した

      なぜ人との会話には敬語とタメ口があるんだろう。 中学校に入り部活動を始めると、日本的な上下関係の世界が急に現れ、先輩には敬語で、同級生と下級生にはタメ口で話すことが普通になる。 敬語の始まりと共に、言葉だけではなく、態度や人間関係も変化していく。先輩には可愛がられる後輩が、後輩には頼られる先輩が、それぞれ好まれていたし、敬語とタメ口は、そのような関係性を作っていくうえでの下地になっていた。 特に、話し方が変わるだけではなく、話す人によって、僕、自分、私、俺などと一人称も

      • コーヒーにソーサーは必要ないのでは

        カフェでコーヒーや紅茶を注文すると、必ずといっていいほどソーサーにのせられて運ばれてくる。これがいらない。もう絶対にいらない。 どう考えてもソーサーと共に一杯をゆっくりと楽しむのは難しい。ソーサーの多くには傾斜がついており、共に運ばれてくるスプーンやシロップ類は自然と中心に滑ってくる。カップを持ち上げるたびに、スプーン等が中心を占領するため、一杯飲むたびにカップを持っていない方の手でスプーンを動かし、カップを戻す領域を確保しなければならない。こんなこと誰がしたいのだろうか。

        • 飲みニケーションと言うあなたはシラフコミュ障ではないか

          対偶を取ると物事の性質がよく見える気がする。 会社員をしばらくやっていると、必ず飲み会というものを経験することになる。 飲み会というのは、仕事仲間たちとお酒と食事を囲みながら、ビジネスの話をしたり、仲の良い社員と歓談したり、上司のことを愚痴ったり、意中の人を口説いたりする場である。 私がこれまで勤めた会社では、飲み会はそこまで盛んではなかったが、関係先や社内での飲み会は月に一回程度は発生していた。 働くうえでは、社内外の人間関係の構築がある程度必要で、それはビジネスが

        謝られたって傷は癒えない

          継続は力なりと言われるが、継続出来すぎてしまうのも辛い。

          勉強も、仕事も、スポーツも、すぐに上手になるわけではないので、毎日少しづつ、コツコツと努力を重ねていくことが重要だと子供の頃から言われてきた。センスが良くなくても、コツを掴むのが遅くても、頭の回転が良くなくても、記憶力が優れていなくても、ある程度時間をかけて練習すれば、なんでも人並みのレベルではできるようになるのだと実感してきた。 私は特に、目標に必要な投入を、毎日の単位に小さく分け、それを数ヶ月〜1年単位で継続することに秀でていると自認している。 大学生の時に英語を勉強

          継続は力なりと言われるが、継続出来すぎてしまうのも辛い。

          隠したナイフ

          中学の卒業式の卒業生による合唱曲は、スピッツの「空も飛べるはず」だった。 当時、私の地元の中学は少し荒れていて、のちに暴走族になるようなヤンチャな学友がいたり、そういった学友への対応に疲れて先生が休んでしまったりするような状況だった。近くの学校で包丁を使った殺傷事件が起きたこともあった。 そんな状況を鑑みて、先生たちは、当時も(今も)流行っていたスピッツを選んだものの、歌詞の中の、「隠したナイフが似合わない僕を、おどけた歌でなぐさめた」という箇所を何か他のことばで置き換え