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飲みニケーションと言うあなたはシラフコミュ障ではないか

対偶を取ると物事の性質がよく見える気がする。

会社員をしばらくやっていると、必ず飲み会というものを経験することになる。

飲み会というのは、仕事仲間たちとお酒と食事を囲みながら、ビジネスの話をしたり、仲の良い社員と歓談したり、上司のことを愚痴ったり、意中の人を口説いたりする場である。

私がこれまで勤めた会社では、飲み会はそこまで盛んではなかったが、関係先や社内での飲み会は月に一回程度は発生していた。

働くうえでは、社内外の人間関係の構築がある程度必要で、それはビジネスが人と人との信頼で成り立っている限りは、避けて通れない。飲み会がその中で一つの手段なのは納得している。

しかし、したり顔で、「飲みニケーションも大切だからね」と言われると、仕事における飲み会というものの重要性をこれみよと高められたような気がして、また、仕事をする上では飲み会は必須条件だからね、と言われたような気がして、そして、コミュニケーションにお酒がベッタリとくっついてきたような気がして、その軽薄な結合に抵抗したくなるのである。

そういうときは、言われたことの対偶をとって物事を見てみると、抵抗の糸口が示せそうな気がする。

対偶は、「AならばB」という命題に対して「BでないならばAでない」という形で表現される。対偶のすごいところは、元の命題が正しければ、対偶も数学的に正しいということである。

「飲みニケーション」は「飲んだら(A)、コミュニケーションができる(B)」と表していいと思う。

これの対偶を取ると、

「コミュニケーションができないなら(B)、飲んでいないということだ(A)」と表すことができる。

つまり「シラフコミュ障」なのである。もう飲まないとやってけない、くらいの表現になってしまっている。

だから、「飲みニケーション」だと息巻く人は、オフィスの中で、商談の中で、シラフの場で、十分にコミュニケーションをとることができないと言っているに等しくなる。コミュニケーションに飲み会をドッキングしてしまったが最後、その瞬間シラフだと私仕事できませんと数学的に宣言してしまうのである。

「お仕事仲間と一緒に飲んだ時に重要なことを話すこともあるよね」、くらいで留めておくのが良く、無邪気に言葉をつなげてで表現しない方が良い。してしまうと、私が対偶をとってあなたをコミュ障扱いして反撃するよ。


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