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神州無頼街と神州纐纈城 

 2022年3月から『神州無頼街』の公演が始まり5月28日には東京で大千秋楽を迎える。私は3月21日に東京から大阪まで新幹線に乗り、この舞台を観劇し、見事に極彩色のド派手な演出に魅了されて帰ってきた。帰宅後、まだ観劇後の熱が冷めないまま、観劇直前に購入した舞台パンフレットと中島かずき氏による脚本を読んだ。中島かずき氏のインタビュー記事を読んだとき、この舞台『神州無頼街』の脚本は、明治生まれの伝奇小説家・国枝史郎の『神州纐纈城(しんしゅうこうけつじょう)』から大きな影響を受けて書かれたということを知った。

 国枝史郎は長野県の現在の茅野市にあたる地域出身であり、中部地方の山岳地帯を舞台にした『蔦葛木曽桟(つたかずらきそのかけはし)』『八ヶ岳の魔神』『神州纐纈城』といった三大傑作がある。中でも『神州纐纈城』は最高傑作である。
 彼は東京の学校に進学し、大阪にも住んでいるが、これらの作品には生まれ育った場所と執筆活動中に居住した環境が強く影響しているそうだ。
(参考:講談社大衆文学館『神州纐纈城』,1995年発行,巻末著者紹介,末國善己)

 今回はこの『神州纐纈城』が『神州無頼街』にどのような影響を与えているのかを検証していきたいと思う。

1.『神州纐纈城(国枝史郎,1933年)』について

1.1.主な登場人物
⑴土屋庄三郎
 『神州纐纈城』の主人公。武田信玄の家臣である。父・庄八郎は武田の寵臣だった。母親は高坂弾正の娘・妙子である。しかし4歳のときに父母と生き別れてしまう。16年前の話である。紅の纐纈布がきっかけで父親を捜しに富士の裾野の纐纈城を目指す。旅の途中、富士教団において、纐纈布を所持していたことがきっかけで教団の人々によって纐纈城へと島流しにされる。船底で気を失ったまま流されていくのだが、この物語は未完のため、その後の展開は描かれていない。

⑵高坂甚太郎
 14歳の少年武士。高坂弾正の妾の子。血縁的には主人公・庄三郎の叔父にあたる。黐棹(もちざお)を持ち、鳥刺しの格好をして庄三郎の行方を追って富士へと向かう。剽軽なキャラクターであり、いつも「いざ鳥刺しが参って候…」と唄っている。纐纈城まで辿り付き、無事に脱出した。しかし庄三郎には会えないままである。

⑶光明優婆塞
 富士教団の始祖。主人公・庄三郎の父親の弟である。かつて妙子とは恋人同士で会った。恋に破れ、兄と闘うよりも死んだ方がいいと思い、死に場所を探して富士の裾野を彷徨っていたところ、洞窟の岩壁に刻まれた予言を見つけ、使徒になることを決意する。人々から光明優婆塞と呼ばれるようになり、富士教団を開いた。しかし陶器師とのやり取りの中で自分の無力さに絶望し、教団を去ってしまう。優婆塞が去った後の教団は秩序を失っている。

⑷纐纈城主
 土屋庄八郎。主人公・庄三郎の父親である。また、光明優婆塞(土屋主水昌季)の兄でもある。かつて弟の恋人・妙子を奪い結婚。妙子との間に子をもうけるが、妻と弟の関係を疑い続け、やがて姿を消してしまう。経緯は不明だが、纐纈城主となる。纐纈城の地下では纐纈布が作られている。この真っ赤な布は纐纈城に集められた人々から搾り取った血液で染められている。纐纈城はひどく残忍な場所である。また、城主はらい病(今日のハンセン病)を患っており、仮面をつけて顔を隠している。あるとき故郷である甲府が恋しくなり、纐纈城を飛び出し、一人甲府へと向かった。城主の奔馬性らい患は甲府の人々に瞬く間に感染り、甲府の城下は大惨事となる。最終的に人々の病は光明優婆塞によって癒された。

⑸陶器師
 奇妙な賊。一見素晴らしい美男子であるが、他に比べるものが無いほど残忍である。顔は造顔師・月子によって造られたものである。

⑹月子
 富士の人穴で能面を彫っている。造顔師である。いつか「本当の悪人」の顔を見てみたいと願うが、高坂甚太郎とのやり取りの中で「本当の悪人」はいないのではないかという思いが強くなる。

1.2.あらすじ
 月の美しい春の夜、土屋庄三郎は布売りの老人に声を掛けられ、纐纈布という紅巾を買うことになる。その紅巾に父・庄八郎の名前が浮かびあがったことから、何か父の行方を知る手掛かりになるものと思い、肌身離さず持っていた。あるときこの紅巾が風で飛ばされ、追いかけていくとそこは富士の裾野であった。そこで本栖湖に纐纈城という水城があるという話を耳にする。庄三郎は父が纐纈城に捕らわれているものと考え、城を目指して行くのだった。

2.『神州無頼街(中島かずき,2022年)』について

2.1.登場人物
⑴秋津永流
 『神州無頼街』の主人公。医者。俳優・福士蒼汰が演じている。10年以上前に父親に連れられて大陸から琉球、九州と渡ってきた。しかしその父親は数年前に姿を消した。

⑵草臥
 俳優・宮野真守が演じている。口出し屋。主人公・永流と共に富士の裾野の無頼の宿を目指す。『神州無頼街』の中で最も歌唱パートが多い。この舞台最大の歌い手である。

※この先、重要ネタバレあり※

⑶御堂蛇蝎
 無頼の宿を縄張りとするやくざの親分。奔馬性蛇蝎毒を京の都に放ち、帝を無頼街に拉致するという野蛮な計画を立てている。

⑷御堂麗波
 表向きは御堂蛇蝎の妻だが、実は主人公・永流の父親であり、その強さに惚れ込んだ蛇蝎の手によって女の姿に変えられ、生き延びた。この主人公・永流の父親は大陸から渡った殺し屋であり、蛇蝎毒という大陸にのみ存在する毒を操る。

2.2.あらすじ
 清水湊で博徒の集まりがあった。清水次郎長の元に集まっていた博徒たちが何者かに殺されてしまう。そこで使われていたのは蛇蝎毒。生き残った次郎長から話を聞くと、蛇蝎毒を使ったのは無頼街を縄張りとするやくざの親玉・御堂蛇蝎であった。父親の行方の手がかりを探るため、主人公・永流は富士の裾野を目指す。

3.『神州纐纈城』と『神州無頼街』の比較

 以上の内容を踏まえて、『神州無頼街』との比較をしてみる。

表1 『神州纐纈城』と『神州無頼街』の比較

『神州纐纈城』と『神州無頼街』の概要をまとめたもの。キーワードとは、主人公が富士の裾野を目指すことになったきっかけという認識で書いた。

3.1.富士の裾野
 いずれの作品も富士の裾野が舞台となる。因みに、纐纈城は本栖湖、無頼街は西湖にある。

3.2.父親の行方
 いずれの作品においても、主人公が父親の行方を追うという目的を持ってストーリーが進んでいく。

3.3.歌い手
 いずれの作品にも歌い手が存在する。『神州纐纈城』においては鳥刺しの高坂甚太郎、『神州無頼街』においては口出し屋の草臥である。いずれも陽気なキャラクターである点も共通している。一方、相違点としては、鳥刺しの甚太郎は主人公を見つけ出すように指示をされて行方を追っているのに対して、口出し屋の草臥は自らの意思で主人公と共に旅に出る。

3.4.奔馬性らい患と奔馬性蛇蝎毒
 いずれの作品においても、「奔馬性〇〇」という病や毒が登場し、これが物語の展開に大きくかかわってくる。『神州纐纈城』においては奔馬性らい患、『神州無頼街』においては奔馬性蛇蝎毒。「奔馬性」というのは、ここでは馬が駆けるようなスピードで病態が悪化する、感染が広がるという意味で使われている。(らい患というのはハンセン病のことで、現在はこのように呼称しない。かつては治癒しない病とされていた。『神州纐纈城』には現代における常識とは相容れない描写もある。)

3.5.造顔師の月子
 『神州無頼街』において、主人公の父親すなわち男性が古くから朝廷に伝わる技術で御堂麗波という女性に作り替えられたという設定は、『神州纐纈城』において人々の顔面を作り替える月子の造顔術からの発想ではないかと考えられる。

4.まとめ

 以上のことから、『神州無頼街』は、ストーリーの大きな枠組み、物語の展開に関わるキーワード、キャラクター設定など、幅広い部分において『神州纐纈城』の影響が見られることが分かる。しかし影響が見られるといってもそれはほんの一部であり、無頼街と纐纈城は全く別物である。どちらも鑑賞してみた感想としては、無頼街がド派手でパンチが効いた作風なのに対し、纐纈城にはもの悲しさが感じられる。それぞれ作者の個性が良く表れていると思う。国枝史郎氏と中島かずき氏の共通点をあえて挙げるならば、文体のリズムの良さだと思う。

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