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夜、爪を切りました…(親の前で)

夜、爪を切ったら親の死に目に会えなくなる

この迷信を破るとき、ドキドキしました。

もし本当に親の死に目に会えなかったら…。
「あの日、夜爪切っちゃったからだ」、、、
…なんて後悔するとは、さすがに思いませんが😅

たまたま先日拝読したnoterさんの記事で、

この言葉を思い出し、夜はやめようと思ってから、そういえばもう親はいないんだっけ...と苦笑い。

ジェルーシャさんの記事

というエピソードがあり、くすっと笑ってしまいました。


そんな私も、夜爪を切る前にわざわざ調べました。

ヘイ、Siri。
どうして夜に爪を切っちゃいけないの??
今回由来を知って、
別に切っても良いじゃん! と勇気を出せました笑

説① よづめ(夜爪)とよづめ(世詰)のダジャレ
   世を詰める=人生を短くするという意味から。
説② 暖炉のそばで爪を切ると火葬の臭いがするから
   爪が火に入って燃えるとそうらしいです。
説③ 暗いので手元が狂って死んじゃうから
   昔は夜は暗かったですからね。

どう見ても今の時代、もう関係ないですね!!

でも引っかかったことがあります。
この迷信は、「夜に爪を切ると親より先に死んじゃうよ」という話なのではないかということ。

・・・えっ、勘違いしてた!!

てっきり自分が遠出している間に親が死んじゃうのかと思ってました💦

親の死に目に会えないって、
親が亡くなる瞬間に立ち会えない、という意味じゃなかったんですね…!


親の死に目に会えなくて困る人

この事実を知って、改めて考え直しました。
私は今まで。
「親の死に目に会えないよ」という迷信をこう考えていました。

親の死ぬ瞬間に立ち会えなかったこと、一生後悔するぞ

神様からの戒め

でも今ならわかります。
この解釈は2つもツッコミができる、と。

1つ目。
「親の死に目に会えない」ことで悲しむのは、自分なのか?
死にゆく者(親)が悲しむのかもしれない。
私には、その前提が抜け落ちていました。

2つ目。
自分が先に死ぬのは良いとして。
ありきたりのあの解釈に変化します。

親より先に死ぬなんて、一番の親不孝

結局悲しむのは親なのです。

それでも私は、爪を切った。親の目の前で。

そもそも現代人は、
平日の日中は学校や仕事です。

日中切れるチャンスなど土日しかありません。
しかも土曜日だって学校ありますし、部活は土日両方あります。
買い物で出かけますし、土日でさえタイミングよく時間は作れません。

それに、お風呂などで柔らかくなった爪を切るほうが良いらしいので、
やっぱり夜に爪を切って良いと思います。

そんなことより、なによりも。
本当に大事なのは、親の死に目に会うことでしょうか。

パチンッ。
パチンッ。

親の目の前で爪を切りました。

親「親の死に目に会えないよ~」
私「いいでしょ、別に」
親「えー」
私「だって今、会えてるから」

我が家の会話

慌ただしい平日の夜だけど。
爪を切ってる間くらいは親と会話しよう。
そう決めた夜でした。

パチンッ。
パチンッ。



ぜひ他の記事でもお待ちしております!
またすぐお会いしましょ~!


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