自己肯定感って何でしょう?


一般的には
自己肯定感とは、その言葉の通り「ありのままの自分を肯定する感覚」のことです。
他者と比較することなく、自分自身が「今の自分」を認め尊重することで生まれる感覚
だと言わています。

英語では、「self-esteem」と書かれる場合が多いです。つまりは、自分の能力・価値に自信があること

それで、その「自己肯定感が高い」が注目されるのは、
そうすると何か良いことがあるように、思うからです。
「主体性をもって仕事ができたり、行動や思考が前向きになる」らしいです。

そして低い人は
特徴①:他者と比較する癖がある
特徴②:過去にトラウマがある
特徴③:承認欲求が強く、他者に依存してしまう

という特徴が主としてあるそうです(出典:グロービスキャリアノート)

自己肯定感が高い人が、本当に多くいるのか?

つまりは、肯定感が低いと
他者と比べて自分が出来ないことが気になって精神的に不安定になったり、他者に認められることを目的として努力をしたり、周囲からの評価を素直に受け入れられなかったり、する。

でも、誰しも、こういう特徴はあるんではないでしょうか?
他人を比較して、落ち込んでみたり、親の喜ぶ顔が見たくてがんばっても、あまり評価されなくてがっかりしたり、または親が喧嘩しているばかりの姿をみて、結婚することに恐れや躊躇したり、しませんか?

「全くない」という人もたまにはいるでしょう。そういう人は「器が大きくおおらか」な感じもしますが、ある種、独善的な人でもあります。

でも、多くの人はこういうことがあって当然だと思うのです。

「人」は社会的生物だから。


ホモサピエンスとして生きる以上、他者と協力して食べ物をとったり作ったりして分け合うしか、生きてこれなかった。
ならば、他人にどう思わているのか、どう役立つことができるか、どうしたら承認されるのか、で下手すると生死が決まったのです。

江戸時代やそれ以降でも飢饉や貧しい時は、子どもを捨てたり、身売りしたりと、他人の役に立つことは生きるか死ぬかだったから、その感覚が身についていてフツーだと思うのです。


でも、今でも自己肯定感が低いと言って悩む。
私もそういう経験はあります。家庭内暴力がはびこる家だったので、父親の機嫌を損ねることは、生死にかかわることでした。

そこでも、何とか生き抜いてこれました。そして父親のことを最期には「何より愛おしい人」だと思えるようになりました。


個人的な例を出してしまいましたが、コーチングクライアントさんを見ていて
自己肯定感うんぬんを越える人の壁は2つだと考えます。

1「何」を「どう見るか」、自分の視点の持ち方を変える

「事実」はひとつです。
例えばガソリンが1リットル170円、それが事実

それを
・「高いな」
・「車ないから関係ない」
・「エネルギー関連の株を買おうか」

色々な味方があるでしょう。
どの見方をするかで、次の行動は変わります。
株式サイトを見る人もいるでしょうし、公共交通機関を使う人もいるでしょう。

例えば「父親」。
本当にろくでもないヤツだ。父親らしい(って何ですが)ことも何一つしない。全然可愛がってもらっていない。
自分だけの目線で考えていると、ただ、そういう人で、憎しみや恐れが続きます。


それを「社会や彼の周囲環境(構造)が、彼にいかに作用したのか」
と外側から見てみましょう。

・会社で上司から、ハブかれていた
・能力があるにも関わらず、病気になったことで会社の評価も下がり、自分の行動も制限されて「不自由」「不満足」でありながらも30年家族のために給料運んでいた
・本当の父親が幼児の頃に死んでに、「父親像」がないまま子供を育てた

そういう彼の「外側」を見たとき、新たな視点や、父親が見えてきます。

内側(自分の感覚や自分への影響)から抜けて、外側(とりまく環境、ひとりの人間)を見る。

そうすると、見方からの「呪縛」から解き放たれて、あらたな見方が得られる可能性が高いです。

それは、自分も相手も、喜びでもおどろきでもなく
「ただ、仕方なく今があるのだ」
という肯定的な諦めに近い。ですが、急に世界の色が変わります。

2自分に対する「あるべきイメージ」からの脱却

自己肯定感が低いと思っている方は
そうでなければ「わたしはこうであるはずだ」があります。

その「わたしはこうであるはずだ」に、自分がなっていないから
「自己肯定感が低くなり」そして、そうでないのは
「自己肯定感が低いからだ」というループに入っている方が多い。

ですので、あなたのあるべきイメージを棚卸することがいいのです。

私は本来ならば、こんな仕事ぶりしていたハズだ。
私は、こういう家庭(パートナーを得ていた)を創っていたハズだ。
私は、このくらいの評価を得て、〇〇円の給与を貰っていたハズだ。
などなどなど。

色々なハズが無意識にあるのです。

そのギャップが大きいほど、「自己肯定感」が低くなり、
そこから改善する行動に移れない理由を「自己肯定感が低い」からにします。

「自分に自信がもてないんです。」という言葉です。

でも自信なんて、ないんです。
無くてフツーです。
エラそうに言う人ほど、実は自信がなくて虚栄を張って、がんばっている例もよく見ます。

でも、唯一つけるならば、行動してみることです、新しいパターンの。

・ちょっと今までとは違う方向でアプローチする
・やろうやろうと思いながらできなかった、ことをする。
・違う切り口から発言してみる。
など。

少しづつ「やること」。

やってみると、ダメなこともあります。
しかし、ダメなこともなければ、良いこともありません。
ダメが先か良いが先か。
およそ、ダメが先です。
そして改善していく過程で

「なんとなく、自分でもよさそう」
「私のままでも、何とかなるな、と思えるようになりました。」
という風に変容する方が多いです。

「ダメ。だけど、行動する」をアスリートのように続けるだけです。
だって、肯定感なんて、感覚だから
その感覚を味わう以外なくて、それはなんらか動く(変化)
することでしか味わえないから。

その過程で、「あるべきイメージが高い」と気づく方もいます。
そういうイメージは、幻想。
幻想世界からやっと出れて、「等身大」の私になっていく方は
本当に現実を生きる力強さがあります。

あなたは幻想をいきますか?現実をいきますか?

現実への新しい「見方」を加えて、認識を変容することや、
「私は絶対無理。もしくは私は完璧でなければならない」という妄想を抜けて、現実を歩きましょう!


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