セレンディ@発声とAIを軸に健康社会を考える

「声を出すこと」と「AIを使うこと」を軸に心身の健康をキープするためのアプローチをライ…

セレンディ@発声とAIを軸に健康社会を考える

「声を出すこと」と「AIを使うこと」を軸に心身の健康をキープするためのアプローチをライフワークにしています。情報サービス、出版、ゲーム、芸能、福祉などの分野で広報や営業を経て2024年5月からフリー。おひとりや少数でビジネスを切り開かれている方へ業務改善のお手伝いもいたします。

マガジン

  • サクッと生成AIで感じたことnote

    ノンプログラマーで至って普通に面白い生成AIについて感じたことをnoteしています。

  • 発声+健康に関するnote

    声には身体と同じように一人ひとりに違う特徴があります。声は肉体を通して発せられ、日々の発声は健康のために役立つだけでなく、顔や体のメイクと同様に声のメイクは自身の魅力を引き立てたせるひとつの手段になるはずですが、多くの方がそれに気づいていません。ひとりひとりが持っている声の魅力に関心を持ってもらえるマガジンを目指します。

最近の記事

明治座の年表から想像した遥かなる人類美

先日、明治座へ初めて観劇に訪れました。 これまで明治座への関心は薄かったのですが、知れば知るほど興味深い歴史を知りました。 およそ150年前の1873年(明治6年)に開場、それから大震災や大空襲、また漏電やボヤと思わしき火災などで幾多も焼失し、その度に再建を重ね現在へと歴史が続いていて時代時代に関わった人間の興行魂を感じました。 通路の壁にはその歴史を表した年表が展示されていました(サムネイル画像)。 明治時代から令和の現代へと受け継ぎ続く明治座の歴史。 興味を惹いたのは、

    • 声の知カラ

      ※上記の引用元は末尾に列挙しました 7年間ほど声優を目指す人たちに関わったことがある。 それまで声優という職業には全く興味がなかった。 洋画を観たり、たまに面白いと思うアニメやゲームにハマって感動を受けたりするが、こと職業という観点では関心が薄かった。 しかし、住めば都であるように、業界も棲めば興味をひく。 なぜ声優を目指したのか、なぜ声優や役者業が続けられるのか。 出会った人たちのお話の中からさまざまなことを感じて想い描いた。 この独特とも思える業界の中で広報や営業の

      • シニアとAI

        先日、NHKで「激変!?"シニアワーカー"のリアル ミドル世代の未来は」という番組を視聴しました。 かつては一般企業で優秀な社員として働かれていたり、経営者としてご活躍されていたり人生を無駄に生きていたとは思えない方々やご夫婦などが、シニアを迎え苦難期に差し掛かっている。 65歳以上で2500万以上の貯蓄がある世帯は34.2%で、300万に満たない世帯は14.4%、うち100万未満は9.7%もいるらしい(総務書調べ)。これは2人以上世帯が対象のため独居されている方を含める

        • 概念を溶かす

          今、概念を溶かすことに必死だ。 必死というのはオーバーだが、これまでの経験などから形成された薄い思想を一度ぶっ壊して立て直したく思う。 ロミンガーの法則では「経験70:薫陶20:研修10」とあるが、今はこの経験で培った信念ともいうべき塊を溶かさねばいけない。 いわゆる「べき論」だ。自分にはないと思っていたが、他人以上にあると感じた。 ないと思っていたのは、守られていたとき。いざ、進むとなるとあることに気づく。 経験はプラスばかりでなくマイナスもある。ポジティブばかりでなくネガ

        マガジン

        • サクッと生成AIで感じたことnote
          3本
        • 発声+健康に関するnote
          7本

        記事

          演劇的人生のススメ

          人生は演劇、人生は即興 シェイクスピアからはじまり多くのクリエイターから学ぶ言葉 数年前、懇意だった取引先の人から聞いて話が今でも忘れがたい 彼の会社の経営陣が変わった時の話 これまでの体制が大きく変わり 顔見知りだった人も次々と辞めていった 話を聞く限り、相当なワンマン体制で 外部から見てもカラーが一新されていた 彼もまた「もう、辞める」と何度も口ずさんでいた 「もう無理、体がもたない」と弱気を出していた 彼のライフワークは芝居だった もともと小さな劇団を主宰してい

          noteを始めて1ヶ月の気づき

          先月からnoteを始めたが面白い。 なによりの面白さは記事だ。自分の中では意外だった。 意外というのは、もともともの目的はアウトプットだけしか考えていなかったのが、共感するような記事がいくつもあってインプットに時間を置く傾向になっている。 そして、その共感すべき記事は案外と少数の人に共感を与える内容かもしれない。その集合体がnoteにあるような気がした。 ここまで書くと、それはnoteに限らず、FacebookでもX(旧Twitter)でもInstagramや他の何々で

          「アー・ユー・ハッピー?」

          メジャーリーガー大谷選手の側近だった人が起こしたニュースを見ながら、ふと、永ちゃんこと矢沢永吉さんの著書「アー・ユー・ハッピー?」を思い出した。 2001年に刊行された同著は、それから遡ること23年前の1978年に当時の若者を中心にロングセラーを巻き起こした「成りあがり」の長い期間を経た続編みたいな内容で、言わずと知れた糸井重里さんが永ちゃんの語りを永ちゃんらしく書き起こした共著ともいえる一冊。成り上がっていった矢沢永吉のその後、長く付き合い信頼していた側近の裏切り、個人「

          「運動」「食事」「睡眠」健康であるための4つめの原則は?

          声です。発声です。 という考えを据えて以下を書いてみました。 普段、生活の中でご自身が持つ「声」について、どれくらい関心を持たれていますか? 「今日は誰と喋っただろうか?」  職場でも学校でもお店のレジや見知らぬ人とでも。 「声を出して笑えたか?笑いあえたか?冗談や雑談ができただろうか?」  家族や友人や同僚、気が置けない人、偶然同じ場所にいた人などと。 「手を動かし書くだけでなく、書いたものを口に出して読んでみただろうか?」  SNSにアップするため書いた文書を音読して

          「運動」「食事」「睡眠」健康であるための4つめの原則は?

          波平さんが出てきて聞き耳した話

          電車で移動中、隣の席から波平さんについて話す声が聞こえてきた。会社員と思しき20代風の男女ふたりで、女性の話を男性が聞いてあげている感じだった。 思わず耳だんぼする。 女性がなにかの研修を受けたという。 そこで波平さんをモデルにした話があったらしい。 テレビにいる波平さんは54歳で会社勤め。 60歳で定年だとするとあと6年で務めが終わる。 そのころの平均寿命は74歳。 といったトークがあったという。 「つまりね、“昭和の人”たちは定年してから10年とちょっとしか寿命がな

          波平さんが出てきて聞き耳した話

          拙作「即興で活かせる職場コミュニケーション心得帳」

          Kindleで電子書籍を作ってみました。 自分にも出来るのか、面倒臭くはないか、と半信半疑だったのですが、案外簡単にできました。 出版とか、拙著とか、そういう類は恐れ多く、とはいえ、愚作というのも抵抗あっての拙作でございます。 内容は職場に限らずコミュニケーションに関する話題ですが、参考文献が多すぎて一度はKDPさんからダメ出しをもらい(苦笑)、思う箇所のテキストや画像をバサーっと削って2万字足らずの短いものになってしまいました。なのでとても読みやすくなっています(汗)

          拙作「即興で活かせる職場コミュニケーション心得帳」

          演劇活動による認知機能

          コロナのころ、2週間ばかり演劇教室に通った。 たしか10回ほどのワークショップで前半は創作ワーク(個人)、後半は参加者それぞれの創作を題材にした芝居稽古(グループ)。そして最後に公演を行うという流れだった。 私の芝居経験(?)は学童時のお遊戯会どまり、そんなシロウト(しかもシャイなミドル)が習うにはちょうどいいサイズかもしれないと思い、恥ずかしさもあったが参加させてもらった。 町が取り組む市民活動の一環で、公演は市民ホールで行う予定とされていたが、コロナ自粛もあって小さな

          …はお客様という話

          時間ができたのでnoteに慣れたく連投。 頭で思ったことをテキストに書くことは慣れないと難しい。 ですます調がいいのか、である調がいいのかまずそこで悩む。 誰に向けてか、自分に向けてか。これにも慣れないといけない。 プライベートな話題を喋る場合はどちらも使わない。 もちろん、これがビジネスを目的とした場合ならば別だが、、 そんなどうでもいいことを思いながら、結局は、である調になっている。 学校関係者と話す機会がある。 どこも(と言っても過言ではないと思うが)、同じことを口

          声圧

          思い出したこと。 声優さんの声についての話。 数年前、ある方のお葬式に参列した。 生前とてもお世話になった方。 声優の業界でお仕事をされていた方で、 葬儀委員長は事務所社長で声優でもある御人が務められた。 葬儀会場はそれほど大きくはなく(一般的とも思えるが、なにせ参列者が多かったため小さく感じたかもしれない)、一般弔問で訪れた私は会場の外にいて、お焼香のときだけ中に入った。外にもあふれるばかりの参列者がいて生前のお人柄が偲ばれた。 会場は、車の通行量がとても多い幹線道路

          日曜洋画劇場

          時代は昭和。 まだテレビの中に松田聖子はいなかった。 山口百恵がドラマ主役をはじめたころ。 私はたしか小学3年生だった。 父とふたりの田舎暮らし。貧しい家庭にいた。 幸い周りには祖母や親戚もいたので、都会の貧しさとは少し違った。 父は青果市場で働き、トラックで農家を回り野菜を集荷する仕事。 深夜の帰宅が多かった。 学校が休みの日曜日は、叔父の家に行き従兄弟たちと過ごしていた。 ご飯をいただき、テレビでゴレンジャーやバビル2世を観たり、 従兄弟は女の子2人だったので、祖