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シニアのチカラ〜自然言語からの自然健康と自然生活の持続について考える〜

少し前に平均年齢が80歳前後の方が集う会に呼ばれたことがあります。

総勢17名でACPをテーマとしたいわば勉強会のような集まりでした。ACPとはアドバンス・ケア・プランニングの略で、人生会議とも呼ばれ、高齢を迎え将来の万が一に備え、自ら希望する医療ケアを家族や医療関係者と話し合い共有しておく取り組むものです。「若い人にも参加して欲しい」と、彼らから見ると若い私も参加の機会をいただきました。

ファシリテーターを務める男性がテーマであるACPについてご自身や他の参加者の取り組みなどを紹介し、それぞれに意見を聞いたりしながら進行されていたのですが、参加者から活発な意見は出ず、参加させていただいたものの少し拍子抜けした感じがありました。意見が少ないのは年齢的な要因もあるかもしれないと早合点すらしたものです。

しかし、ACP(ご自身にも関わるテーマ)から話題が脱線し、地域の街づくりやその現状など地域社会の未来についてのような話になった時、それまで意見が少なかった場が一転して熱を帯びてきました。

住宅や交通や公園など公共施設への不備の指摘や、行政や企業の取り組みに関する賛否の評価、戦前から遡っての街開発の流れから特定の施設や道路整備における不備な点など、そこには自分たちというより、子どもたちや若者たち、また同世代で体や生活に不自由な人たちなど様々な角度からの白熱した討議が行われ、その熱量に圧倒されました。それは令和でも平成でも昭和後期のバブル時代でもなく、それ以前の日本躍進の高度成長期に企業戦士として、または学校教員として、またその妻であり、その夫として一時代の仕事や家庭を築いてきたという血が騒ぎ出してスイッチが入っての熱い討議に映りました。それぞれのご自身に向き合ったACPより、議論を重ね築いていく(創造していく)話題が彼らにとって”好物”だったと思えました。お顔、笑顔にもツヤを感じました。

エイジフリーという言葉がありますが、私たち老若男女は誰もが、ある場所では「若い」と言われ、ある場所では「年長」と言われるものです。そして、様々なシーンで「○歳以上」とか「○歳以下」とか年齢制限フィルターもかけられ、時にはそれに憂いたり、時にはそれに踊らされたりもするものですが、私はその会に参加して「シニアのチカラ」熱量・パワーをまざまざと感じとれました。

肉体は年齢とともに衰えます。
しかし知恵は工夫を凝らす頭を動かしている限りは増します。
視力や聴力も衰えますが、メガネや補聴器でカバーできたり、必要以上に見たり聞いたりしなくても経験からの想像でカバーできたりもします。

そして言語。ことば・発声。誰も聞いてくれないから、と思うなかれ。
ネットの中、そして生成AI活用により建設的な意見の叡智が共有されていくと素晴らしいと思ったりもします。

90歳を過ぎてなお酒場を仕切る女将がいます。お客からはお母さんと呼ばれているその方に心身健康の秘訣を尋ねたことがあります。「毎日、起きたら料理のことを考える、仕込みに入る、その前に馴染みのカフェ(喫茶店)で一杯のコーヒーを飲んで顔見知りとお喋りをする、店が始まるとお客さんの相手をする、中には酔っ払って周りに迷惑かけるお客さんもいる、和ませたり注意したりしないといけない、毎日そういうことをしているとが健康」だとおっしゃていました。別のお店を仕切るシニアの女将も同じようなことを言っていました、加えて冗談混じりに「あとは毎日お金を数えること」とも。たしかに1日の稼ぎ(成功報酬)だけでなく、シニアの方が仕切るお店ではまだ現金のみも珍しくないですが、正しくお釣りを渡すことまで含め当たり前の動作が脳内を休ませない結果がそうさせているかもしれないと感じました。

80歳を超えてExcelを覚えたという女性が話題になったことがありますが、シニアとAI、シニアとプログラムは、違った側面からのアプローチもありかと想像さえします。

発声とAIの2軸での健康のあり方に興味を持つ身としては、言語の持つ意味、言語を放つ意味は、ますます面白くなってきたと感じています。


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