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明治座の年表から想像した遥かなる人類美

先日、明治座へ初めて観劇に訪れました。
これまで明治座への関心は薄かったのですが、知れば知るほど興味深い歴史を知りました。
およそ150年前の1873年(明治6年)に開場、それから大震災や大空襲、また漏電やボヤと思わしき火災などで幾多も焼失し、その度に再建を重ね現在へと歴史が続いていて時代時代に関わった人間の興行魂を感じました。
通路の壁にはその歴史を表した年表が展示されていました(サムネイル画像)。

明治時代から令和の現代へと受け継ぎ続く明治座の歴史。
興味を惹いたのは、明治から昭和までは白黒写真で紹介され、平成の時代に移ってからカラー写真で紹介されている点でした。
「え?昭和も中期からはカラー写真が当たり前なのに」と、まずは思いましたが、あえて昭和を白黒にしたという何かのメッセージ性を勝手に想像してしまいました。

明治〜大正〜昭和〜平成〜令和
昭和に生まれた私が子供の頃は、明治生まれの方も多くいました。
祖父や祖母あたりがそうでした。そして、私の中の明治や大正はイメージとしては白黒でした。リアルにその時代を知らないから色褪せていたのです。
今は95歳の方も昭和生まれ。ど真ん中に立つ30歳の方は平成生まれになります。
真ん中に立つ方の昭和は、私が思う明治や大正だと想像しながら明治座の年表を微笑ましく見てしまいました。

話は脱線しますが、少し前にアニメ「鬼滅の刃」が大ヒットしました。
身近にいた平成女子たちも、いや平成女子だけでなく隣にいる昭和女子もハマっていました。私はそれほどでもなかったのですが、ひとついいなあと感じたのは時代背景から彩られた映像でした。そこには自分がいたことがない大正時代を思わすセピアな情景がありました。その前には「サクラ大戦」というゲームも流行りましたが、そのゲームにもそのような情景描写があって、その世界観に楽しめました。

時代はどんどん変わり進んでいき、その時その時で断絶のような冷たい壁を感じる場合があります。一方で進化をたどるケースを見た場合、そこでは先代から続く研究や経験が人間から人間へと引き継がれ、よりよく変わっていっています。
例えてあげるなら、コンピューターの世界も日本でいう明治〜大正〜昭和〜平成〜令和と進化を遂げ、その時その時の真ん中に立つ人たちを中心により豊かな物へと改良されています。

人間は火を起こし、稲作という技術を生み、肉体も精神も遠くへ飛ばし交流・交信・発掘する術を作り、一方では独占を好み、一方ではオープンに分け与え繁栄の道をたどっている。明治座の年表ひとつを眺めながらそんなことを感じました。

そして、私たち個々の人間もまた挫折や高揚を繰り返す中で知恵を活かし、今ある道具を知り、それぞれの年表を編んでいくことへの価値の大切さを感じました。


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