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人生で初めて「グローバルソースになった」体験とは?〜ソースプリンシプル体験記〜


はじめに

今回は、ソースプリンシプルに関する記事です。

ソースとは人物のことを指しますが、誰もが自分の人生の「ソースである」という側面(前提・土台)と、「ソースになる」(役割)という2つの側面があります。

この後者のいわば役割としてのソース(トムニクソンの本でいう「グローバルソース」)とは、特定のアイデアに対して実現するためのイニシアチブを立ち上げる最初の一歩を踏み出した1人の人物のことを指します。

今回は、人生を振り返って、これは「(グローバル)ソースになる」だったんじゃないか、と思える経験を紹介したいと思います。

補足)
グローバルソース以外にサブソース(スペシフィックソース)という表現があります。それぞれの違いは以下です。

・サブソースはグローバルソースの立ち上げたイニシアチブの中で特定の役割を果たす人のことを指します。

・グローバルソースはサブソースが担当しているサブイニシアチブを包んだ、一番、大外のイニシアチブの今後の方向性及びその境界線を司る役目の人のことを指しています。

私の初めてグローバルソース「になった」体験とは?

大学3年生の時の出来事

去る2005年、当時大学3年生だった私は、就活を通じて夢を見つけることができました。

自身が、就活支援も仕事だと知った時に「学生の就活支援」というテーマに対して、内側から湧き上がるものを感じました。こんな感覚は人生で初めてでした。

その後、その想いを色んな人と語っていく中で、友人らといる時に「前よりも輝いているね」と言ってもらえた一方で「みんなだってすぐに輝けるのに」と思ったことから、「どうせ自分が元気ならみんなで一緒に元気になりたい!」と思いました。

その結果、私の夢は「東北(人も地域も)を元気にする」になったのです。

最初は身近な友人までをイメージしていたのですが、その影響の範囲を自分の大学、市、県、さらには東北というエリアまで広げたら?と、妄想は広がりました。

そして、そんなことまでまで発想したことがなかった私は「こんなことまで考えていいんだろうか!?」とドキドキしたことを覚えています。今思うと可愛らしいプチ悩みだなと思います。

その後、身近なところで私のような情熱で「就活に取り組んでいる人」・私のように「夢を持っている人」を見つけることができず、ある種孤立していたのですが、同じく就活を通じて出会った他大学の先輩や人事の方などの中に「君、面白いね!」と言う人や、私が感じたことと同じことを言っている人と出会えたことを通じて、「私はこれでいいんだ。このまま進もう!」と思えたことを覚えています。

色んなアイデアが生まれるたびにノートに書き、行動し、そこで閃きが生まれたら、それもノートに書くことで、妄想がどんどん広がり・言語化されていきました。

とはいえ、その時点ではそこに書いてある内容は「いつか叶えるもの」という域を出ていませんでした。

何がきっかけだったのか忘れましたが、2005年12月後半あたりに「夢を今やらない、今やれない理由はある?」という問いが生まれました。

自分の答えは「ない」でした。

「じゃぁ、動こう!」と思い、妄想を実現するための学生団体を立ち上げようと思い立ち、浮かんだ友人に声をかけていったのです。

これが私が「ソースになった瞬間」だと思います。

その結果、全学部の同学年の男が私を含めて4名集まり、顧問の先生も見つけることができ、学生団体は立ち上がりました。

その後、メンバーでミーティングを行い、一番最初に言語化したものがこちらです。

名前:
TRIGGER(トリガー)

由来:
引き金の意で、人間の心に何かムーブメントを起こすきっかけ、ムーブメントを起こす引き金となる団体になればと思い命名。

理念:
●●大学を元気にする!!

内容:
●●大を活気ある大学にしていくと共に、学生そのものも活動を通じて元気になるように。つまり、意欲が生まれやすい環境を作り、意欲を高める意識を広げること。

主な目標:
就活支援などを通じて個人のキャリア形成のきっかけを作る!

参加心得:
この団体をボランティアのようなものと捉え、その活動が何かしら自分の成長につながると思える方。●●大学に関係ある方。

当時のメモから抜粋

具体的な活動として、始めたのが真剣大学生「語り場」というイベントでした。カタリバというNPOさんがあることは当時は知らず、テレビ番組の真剣20代しゃべり場をパクってネーミングした記憶があります。

これは、全学部、全学年に開かれた場であり、学部棟の1室を借りて、コツコツ続けていきました。クチコミ紹介を通じて何とか毎回人が集まっていたように思います。少ない時は3人くらい。多いと10数人。

また、その後4月頭にふと企画を思い立ち、学内で先生も巻き込み、後輩たち向けに「決めるチカラ~公務員か民間か、あなたの進路は?~」というタイトルで進路選択支援セミナーを開催しました。準備期間は1ヶ月半。自分の就活が終わってないのにやったという 笑。その結果、65名もの学生が参加してくれました。

他にも、年の後半には就活お悩み相談会も不定期で開催していました。

これらのことはわずか半年以内に自身の就活と並行して行っていたので、まさにモメンタム(勢い)や高い熱量があったことが伺えます。(記憶を辿っても熱く、周囲の人を巻き込んでいたように思います)

目に見えて情熱的であることがソースの要件ではありませんが、「人や資源が集まる磁場のようなもの」が形成される、とのことで、確かにそういったものがあったように感じています。

当時のメンタルブロックは?

ソースが行っている活動が活性化しなかったり、お金や人間関係で困ったことが起こるとしたら、その要因はソース自身に抑圧したアイデンティティがあります。(あるのが当たり前)そのため、重要なことは事あるごとに抑圧されているアイデンティティを解放することなのです。(そのために紹介されているワークが、リクレーミングワークと呼ばれるもの。)

当時の活動は活性化していましたが、大学全体を巻き込むムーブメントにできたかというと、そうではありません。それにはちゃんと理由がありました。

私は仲間と共に、ゼミの前の時間に各ゼミの教室を周り、チラシを巻いたりしていたのですが、何て言われるか不安だったり・恥ずかしかったりで最低限でやめてしまっていたことを覚えています。

また、学内にポスターは貼りましたが、チラシ配りはほとんどやらなかったと記憶しています。これも同じ理由で、恥ずかしい・人に何て思われるか分からない恐れがあったように思います。(それなのによく始めたなw)

そのため、友人・知り合いの知り合いという範囲くらいまでしか積極的にアプローチできず、参加者・関わる人が一気に増えていくことはありませんでした。

他にも、当時はまだまだ未熟でコントロール欲求が強く、想定外なことが起こることをできるだけ避けたい、自分が把握できる・コントロールできる範囲にとどめておきたいという無意識もはたらいていたため、相応の参加者数の推移だったように思います。

ソースの承継は?

その後、この人しかいないと思った1つ下の後輩に代表を託しました。ソースプリンシプル提唱者のピーターカーニック曰く、ソースの承継で大切な2つのこととは、

(1)必ず一人の人の手から一人の手にうつる。グループにうつるということはない。

(2)承継が成功したかどうかは、渡した瞬間が忘れられないものになっているかどうかで分かる。言ってみれば、自分の赤ちゃんをお願いねと渡すようなもの。

ピーターカーニックに質問した際にいただいた返答より

だそうです。

私はその人に頼んだという事実は覚えていますが、肝心の瞬間については覚えていません・・・。

こちらについてピーター曰く「このプロセスを通った人はすぐさま、全部の瞬間を思い出せます。そこで少しでも起きたかな?どうかな?というのが一瞬でもあったとしたら行われなかった」そうなので、少しでもためらいがある私は、承継できていなかったということなのでしょうね(汗)

プロジェクトには業務協力者(ヘルパー)という役割の人もいるのですが、その人はソースの承継相手としてではなく、あくまで、ある種のマネジャーとして場を守ってくれるという観点だけで選んでいたのかもしれません。

ソースプリンシプルにおける承継では、受け継がれるのはバリューだそうです。ビジョンやミッションは受け継がれる人によって変わっていくとのこと。

このバリューについての質感は、トムニクソンの書籍よりも今読み進めているステファンの書籍の方が詳しく書かれている印象なので絶賛学び中です。

さらにその後輩が卒業する前には、その2つ下の後輩(私も知っている人)に代表が託されましたのですが、これは同じくソースが受け継がれたというよりも、「形を守るという役割」が受け継がれただけなのかもしれません。

書きながら記憶が蘇ってきたのですが、その後、3代目の代表は続けていくことに疲弊感を感じていた時があったような気がしたので、その症状が出ているということは、やはりソースが承継されたわけではない可能性が高そうです。

さいごに

その後、社会人になってからもしばらく、自分の中で今の私は夢が見つかった大学生の頃のビッグバンの余波でここまできている、と思って口にしていたことを覚えているので、それぐらいエネルギーが溢れた瞬間だったんだろうなぁと思います。

また、こうして振り返ってみて、当時立ち上げたイニシアチブ(学生団体)のソースを承継できていたわけではないことが判明し、では、すでにあれから15年以上経っていますが、あの時のエネルギーはどこへ行ってしまったのか?今行っている事業や活動に何かに引き継がれているのか?それとも浮いたままになっているのか?改めて考察してみたいと思いました。

おまけ

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