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「福岡伸一、西田哲学を読む;生命をめぐる思索の旅」を読んでいます〜ピュシスってな〜に?編〜

はじめに

昨年末から最近まで探究なかまと毎週少しずつ書籍『福岡伸一、西田哲学を読む:生命をめぐる思索の旅』を読み進めていました。

今回は、この本で西田哲学研究者である池田善昭さんの発言を引用することを通じて、氏が西田哲学を紐解く補助線として紹介しているピュシスという概念について紹介します。

ピュシスとは何か?①〜池田さんの発言より〜

以下、書籍『福岡伸一、西田哲学を読む:生命をめぐる思索の旅』の中から単体で読んでも何とか意味が通ずる箇所だけ引用します。

ピュシス(physis 、「自然」の意

p40

ピュシスという自然においては、絶対矛盾のものや相反するものが一つになっていることが往々にしてある

p41

ピュシスの世界というのは、主観と客観とが分かれる以前のところで成立する世界

p70

ピュシスとは、「思慮分別」を絶したもの(主客未分の場所において経験されるもの)にほかなりません。

p72

ピュシス(真の実在

p235

本来的な「自然」においては、論理と「実在」とは別々に存在しているわけではない

p274

ピュシスというのは哲学の世界ではスタンダードなキーワードなのでしょうか?古代ギリシア、ヘラクレイトスといった関連するキーワードと共にさらっと紹介された上で、ピュシスとロゴスの対比というフレームを通じて西田哲学の本質理解へ迫っていくという流れなのですが、冷静に考えてみると、ピュシスって何だ?単に「自然」と捉えればいいのかという疑問が浮かぶ人もいるように思います。

本当は、池田さんがその著書に影響を受けられた日下部吉信氏の書籍(例えば、『ギリシア哲学30講 人類の原初の思索から(上下)』)をあたり、日下部氏がピュシスについてどのように記述しているかを紹介する方がより近い質感を掴めそうなのですが、書籍の分厚さもありまだ読んでいません(汗)

そこで私は、同じく読書会で紹介してもらい、購入済みの書籍『ソクラテス以前の哲学者』にもピュシスにまつわる記載があったのでそちらを引用することでピュシスとは?に厚みを持たせたいと思います。

ピュシスとは何か?②〜書籍「ソクラテス以前の哲学者」より〜

以下の引用はいずれも書籍「ソクラテス以前の哲学者」のものです。ちなみにソクラテス以前の哲学者とは、具体的にどういう人がいたかというと、タレス、ヘラクレイトス、ピュタゴラス、デモクリトスといった人がいます。(いずれも高校の歴史で世界史を選んだ私が聞いたことあるなぁレベルの方だけ抜粋してみました)

ソクラテス以前の哲学者たちが、アリストテレスによって「自然について語る者」(hoi peri physeos)「自然学者」(physikoi,physiologoi)と呼ばれた

p187

ソクラテス以前の哲学者たちの主たる関心は、全自然、森羅万象に向けられていたことは広く認められている一方で、その対象を端的に示す言葉は何かと問われると、即答するのは困難だそうです。

そんな中、自然全体、自然の総体を意味するものとして、まず浮かぶものとして書かれているのが今回の記事のテーマである「ピュシス」でした。

霊的な薬草モリュ(※)のピュシスとしてホメロスにより最初に用いられ、それが草木の生長・発育の結果としての形姿を意味したこと

※ギリシャ神話「オデュッセイア」に出てくるそうです。

p187

エンぺドクレスにみられるように、ものの誕生・起源をも表し、他方、生長・誕生の意味から離れて、ものの性格・本性を意味するようになる

p187、188

全自然、自然の総体を意味するものとしてピュシスは、前五世紀半ば頃には成立していたと考えることができる

p188

ものの真の在り方、不変の性格、本質」を意味する

のの生成の過程そのものの在り方、本質を意味する

生成の一方向的プロセスが問われるのではなく、相互回帰的なプロセスの秩序そのものが問題とされる

※用語補足(ネット検索より)
相互:どちらの側からも働き掛けがある。
回帰:ある事が行われてまた同じような状態に戻る。繰り返す。

p193

余談ですが、池田さんが使われている意味でのピュシスという用語は、日本が弥生時代の頃(紀元前10世紀から始まっている説、紀元前3世紀からの説などがあるようですが、ざっくり縄文から弥生への転換期と言っていいのかなと思います)に成立していたようですね。

この書籍では同じく自然全体を表す他の言葉として、「パンタ」「コスモス」という用語も紹介されていました。これらの言葉はピュシスよりも半世紀ほど遅れて使用されているようです。

また、「ピュシス」単体ではないですが、ソクラテス以前の哲学者たちの自然観について以下の3つの点がまとめてありました。

(1)自然万有は「生み出されたもの」、したがってそれは「生命あるいは生命原理としての魂(プシュケ)をもつもの、生けるもの」である。

(2)自然万有は、生命ある元のものから、同一のプロセスのもとに生み出されたいっさいのものを含む総体(パンタ)、全体包括者である。したがって、この中に含まれる自然世界も人間もともに連続的で類縁の関係にある。

(3)自然万有は、一定の秩序ある構造をなす、あるいは端的に数学的構造を成す秩序世界(コスモス)である。自然万有は、哲学者によって理解の仕方に差異はあるにせよ、その構造を合理的に理解することができるような秩序ある世界なのである。

p209から引用

正直、このまとめものすごいですね。とても有難いというか。この箇所自体、今回の記事を書くに当たって読んでいて見つけたばかりなのですが、私が現時点で書籍『福岡伸一、西田哲学を読む:生命をめぐる思索の旅』から学び取っている西田哲学はこの(3)に書いてある自然万有の持つ秩序ある構造について、解像度高く説明したものと言っていいんじゃないかと思えるくらい繋がっているように思えました。(まぁ、次に書いているようにこの時代の哲学者、ヘラクレイトスの断片と言われる資料を西田幾多郎は大いに参照しているそうなので当たり前と言えばそうなんですが)

西田幾多郎とヘラクレイトス

「ソクラテス以前の哲学者」に軽く目を通しただけでも、ヘラクレイトス以外の哲学者もピュシス的なことについて語っていることが分かります。そんな中、西田幾多郎は論文、書籍の中でなぜヘラクレイトスを論文の中でよく引用されていたのかも興味深いです。

「西田は、当時、ソクラテス以前のギリシア哲学などがあまり知られていなかったわが国において、すでにヘラクレイトスの真意を高く評価していて、彼の断片などを論文の中でよく引用しています。ただ、ピュシス全般について触れるということはしていないんです。」

書籍『福岡伸一、西田哲学を読む:生命をめぐる思索の旅』p58から引用

書籍「ソクラテス以前の哲学者」でヘラクレイトスについて書かれている中で、西田哲学に通ずると個人的に感じた箇所を引用します。

たとえば、ヘラクレイトスにおいて、自己・魂の内的構造は宇宙世界あるいは人間社会のそれとも同延のものにほかならない。大多数の人間たちは私的な智に依存して暮らしているが、宇宙秩序のロゴスはすべてのものにとって共通のものである。それゆえ、私たち人間はこの共通普遍なものに従わなければならない、という彼の言葉は、「真の自己を知ることは宇宙世界の秩序の認識に通ずることでもある」という思想を明確に表現するものなのである。

p196、197から引用

おわりに

今回は西田哲学を紐解く補助線として紹介しているピュシスという概念について書きました。

ソクラテス以前の哲学者は面白いと聴きながらもいまいち読みたくなるきっかけを作れていなかったのですが、今回記事を書くというアウトプットにかこつけることで目を通すことができて、それだけで個人的な満足度は高いです 笑

肝心のピュシスってな〜に?については、分かる言葉に置き換えようとしていないので、結局なんだったの?となっている方も多いかもしれません。

ですが、引用文にそのまま触れていただくことで、何となくニュアンスは感じ取ることができると思います。

この学ぶ対象を自身がすでに持っている言葉、その質感で受け取ろうとするのではなく、その学ぶ対象とある種一つになろうとすることで(それは英語を聴き続けて、ある時ふっと意味が分かる瞬間が訪れるのに似ているかも)、自身の世界を広げることができる(その意味で身になる)学びにできるのかなぁと思っているため、そういうスタイルにしています。

いや、カッコつけました。今の理解度ではこういう記事にするのが限界です 笑

でも、こういう保留型ともいえる読書をこの本についても行っていることで、自身の言葉で語れるところに近づいていってるなぁと感じますので、ゆくゆくは図解しちゃえるかも!?

ちなみにこういう方法は、西田哲学における純粋体験(観察者として分析するのではなく、そのものと一つとなるというニュアンス)の実践例ではないかと個人的には思っています。

いずれにしても、興味が湧いた方はぜひ気になるキーワードを検索してみたり、思い切って書籍を読み始めてみたりしてみてくださいね。

何かのきっかけになれば嬉しいです。


前回の記事はこちら。


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