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人の気配、自分の気配を感じてますか??

人の気配というものを、ハッキリと意識する機会はあんまりないように思います。

私が初めてハッキリ意識したのは、2014年に兵庫で合宿をやった時のことでした。そのときにハワイ島から来ていただいた講師の方主導で「Walking Meditation(歩く瞑想)」を体験する時間があったんですね。

歩く瞑想とは、世界的に著名な禅僧・ブッディストであるティクナットハンさん(故人)が考案されたもので、自分の一挙手一投足に5感を張り巡らせながら歩くイメージです。

「歩く瞑想とは?」

これは歩いていることに気づきながら歩くということです。

ただ歩くために歩く。
あせらず、捕らわれず、しっかりと歩きます。
一歩一歩あゆみをすすめながら、今ここにもどります。

このように歩くことは特別なことではありません。

周りを見渡してみてください。
生命の営み、木々、白い雲、そして空は果てしなく広がっています。
鳥のさえずりに耳を傾け、新鮮なそよ風を感じて下さい。

私たちの周りにはいのちが満ちあふれています。
私たちは今ここに生きていて、健康で平和に歩くことができるのです。

開放感をもって軽い足取りで一歩一歩を楽しみながら歩きましょう。
そうるすと一歩一歩が私たちの心身を癒し、養ってくれます。

こちらのサイトから引用

私はガイドを受けた後にふだんの歩くスピードの10分の1くらいのはやさのイメージで取り組みました。

合宿の場所は山奥だったのですが、集まった10数人の人が全員バラバラに散っていきました。

私は1人でぼーーーーーっと山奥の景色、赤みがかかってきた空を眺めていました。




ゴーーーーーン

終了の合図を知らせる鐘がなり、1人1人とまた宿に戻っていく姿が見えました。

私はあえてゆーーーっくり戻っていったのですが、すごい面白かったのは宿が見える距離になったところから人がいるという気配を感じたんですっ

それまでは世界には自然と私1人だった感覚の場所に他の人間が入ったという感覚。

この時に「人気(ひとけ)ってあるんだぁ!」と強く実感しました。

それからその感覚でもって都心に帰ると、至るところで気配の賑やかなこと、賑やかなこと。

特に人がよく利用する駅では「急がなきゃ」という気配がすごくありますね。走る人もいますし。

面白いのは、自分もそれに影響されるということ。

本当は1本逃しても、2本逃しても平気なはずなのに、「今この電車に乗れなきゃダメな気がする・・・!」といった気持ちになるんですよね。

そういう意味では 自分が感じていることって「感じさせられている」時があるなって思います。

そのときに周囲の気配に流されずに、「私はどう感じたのか?」を感じ取り、そこに基づいて動ける・表現できる私でありたいものです。

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