マインドフルネス的な概念に一番最初に出会ったのは12年前のこと。
はじめに
先日参加したマインドフルネス×トランステック2019報告会に感化されて「マインドフルネスと私」というテーマで象徴的な昔話をいくつか書こうと思います。その模様を書いた記事はこちら。
まずはその第一弾です。
マインドフルネスとの初めての出会い
私がマインドフルネス的な概念について一番最初に触れたのは、今から約12年前の2007年のことでした。
当時、私は会社員でしたが、夢を語り合う仲間が欲しくて「大好きな仲間と、大好きなことを仕事にし、好きな場所で働く」というコンセプトの起業家育成スクールに入学しました。
そのコミュニティでは、経済的な豊かさと同時に心の豊かさを実現することを目指していて、対話することを大事にするカルチャーがありました。
また、心について学ぶ時間もあり、そこで学んだ内容がのちに日本でマインドフルネスとして一気にブームになる領域の話でした。
当時はこの状態のことを「今ここ」「心の凪」という風に学びました。
講師は、私たちの心の状態のことを海の波に例えていました。
波は、絶えず上がったり下がったりし続けている。そんな波には、凪という状態がある。凪とは、風が吹きやんで波が無くなり、海面が静まっている状態のこと。
私たちの心もこれと同じ、とのこと。
私たちの心は絶えず、ポジティブとネガティブを行ったりきたりし、振れ続けています。(その程度はグラデーションになっている)
そんな心にも凪の状態がある。ポジにもネガにも触れていない穏やかな状態があるということ。
その状態のことを「凪いだ心」「今ここ」という風に教わりました。
そして、具体的なトレーニング方法として3観トレーニングというものを教わったのです。
当時、本質を求めていた私は「これは本当のことだと感じる!」と強く興味を持ちました。
これが私とマインドフルネス(的な概念)との最初の出会いでした。
マインドフルネスのトレーニングをしませんでした
それから私は上記のトレーニングを絶えず実践してきました。
と言えたらカッコいいのだが現実は違います 汗
それからしばらくは「本音を感じて、表現すること」にチャレンジし続けていました。理由は、上記のシンプルなトレーニングをし続ける意義を見出せていなかったからです。
しかし、「本音を感じて、表現すること」のチャレンジの先にはマインドフルネスを実践することが繋がっていて、後に本格的に学び、徹底的に実践するタイミングがくることになるのですが当時はそんなことは露知らず。。。
この頃の私は、極端に思考優位で、基本的に「すべき」で考え、好きなことも嫌いなことも分からない人間でした。
(そもそも好きなことも嫌いなことも感じるものなので、自分の「感じる(感性)」が閉じている時点で分かるはずがなかった。)
そのため、上記のコミュニティに先んじて加わっていた同年代の仲間たちがよく使っていた「心のど真ん中で生きる」ということも「心のど真ん中ってどこだよ!?」という風に全然ピンと来ていませんでした。
感覚の変化が一気に訪れたきっかけ
そんな自分の感覚に大きな変化が訪れたのは、先述したスクールの講師が主催する合宿に参加した時のこと。コミュニティに参加してから約1年が経った頃だったと思います。
その合宿は、すごく奇妙な合宿でした。
通常であれば、教育研修系の合宿であればこの時間にこういうワークをするというプログラムが決まっています。
しかし、この合宿では参加者が車座になって座り、何かを感じた人が自由に話す、というスタイルだけが決まっていてそれ以外は完全フリースタイルだったのです。
場をリードする講師は2人。参加者は10人くらいだったはず。
自由に話しはしますが、
一応のメリハリをつけるために
1ターム50分くらいに区切っていました。
その枠の中でフリートークを行い、
基本的には時間がきたら休憩を挟む。
それをひたすら繰り返すという流れで
確か3泊4日くらいだったと思います。
ちなみに、この形式は非構成エンカウンターグループと言うそうです。
(もっとも講師のオリジナリティが入っていて厳密なルールは違いますが)
このワーク?の軸となるのは
「心に湧き上がったこと・感じたことを話す」ということ。
話すというと、ほとんどの人が「頭で考えて」話すと思っていますが、
この場ではそのように話すと浮いてしまいます。
イメージとしては、ボケたのに誰にも受け取ってもらえず、
場が静まりかえってしまった状況に近い。
(わかりにくいですかね?)
なぜそうなるかというと、
講師がそういう場づくりをしているから。
だからこそ、
本人も自分が「感じること」から切り離された思考だけで話している
ことに気がつけるのです。
(気づかない人もいますが、気がつかなければいけないというものでもないです)
そういう意味では、マインドフルネス状態で対話をする合宿
と言えるでしょう。
当時の私は「感じる」もいまいち分かっていない、
思考まみれの状態だったので(そもそも分かろうとするものじゃないのだが)見よう見まねでその場に居続けていました。
すると、ある瞬間、まるで井戸の中を降りていくように
自分の心の深いところに降りていくことができることに気がついたんです。
(これは確実に場の力、その状態であろうとし続けていたみなさんの影響、おかげです)
その気づきを得てからの時間は、このままどこまで内面を降りていけるのかを試み続けていたように思います。
また、これは仲間が言っていた「心のど真ん中」、
言い換えれば、自分の本当の本当に思っていること、本音の探り方を体感することが初めてできた経験だと思います。
この合宿が終わってから私は、
何か発言する機会がある時、仲間と話す時には、
合宿の時のように自分の内面に潜り、できる限り一番深いところにある自身の声を表現しようとするようになりました。
それはひとえに「本音で生きていきたい」という
強い想いがあったからでした。
<続く・・・>
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