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【藤田一照仏教塾】道元からライフデザインへ(19/10)学習ノート④

(ここまでの10月一照塾)
オープニング・ワーク「岡田式静坐法」の模様は、学習ノート①にて。
9月塾からのhomeworkをシェアするグループワーク「学道用心集"分かりたい一文"のワーク」の前半部分は、学習ノート②にて。
グループワーク「学道用心集"分かりたい一文"のワーク」後半部分は、学習ノート③をご覧ください。

この学習ノート④では、グループワークで触れられなかった論点についての一照さんの講話について振り返っていきます。

1. 行為は厳粛

それでは、ここまでのグループワークのところで触れていないところで、お伝えしておきたいことをお話しようと思います。
今回は、用心の第四から第六までを読んでいますが、用心第四のタイトルは、

有所得心を用って仏法を修すべからざる事
(何かよいものを得てやろうと期待する心で仏法を修行してはいけない)

と書いてあります。

先月に皆さんで読んだ、用心の第三のところで、

仏道は必ず行に依りて証入すべき事
(仏道というのは修行を通して入っていくものであって、頭で理屈をこねたり、用語をたくさん覚えたりというやりかたでは仏道には入れない)

…と書いてありましたね。
用心第二にも、そのようなことが書いてありました。

正法を見聞して必ず修習すべき事
(正しい仏法を見聞きしたら、必ずそれを実行しなければならない)

仏教は「~ということをしなさい」と説いていて、信じる宗教ではなくて「やる宗教」なのです。仏教は「行為」しないと身につかない。信仰というよりは行為の宗教なのですね。

僕らがこの世の中に具体的にはたらきかけるには、「身・口・意」、この3つのチャンネルしか持っていません。普通は、身口意はエゴ(吾我)のためにはたらいていますが、仏教では身口意を消したり無くしたりするのではありません。


◆ 凡夫印を仏印に貼り替える
坐禅を見れば分かりますが、

もし人、一時なりといふとも、三業に仏印を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる。
(『弁道話』)

…と、道元禅師は「仏のしるしをつける」と言っています。

僕ら凡夫は、仏印ではなくて「凡夫印」がついている。
洋服の襟や裾のところには、ブランドの名前を書いたタグがついていますが、僕が手を上げると、脇のところ…まぁ、どこでもいいのですが、「凡夫印」がついている。僕らが身口意を使う時には、みんな「凡夫印」がついているのですね。
坐禅は、足を結跏趺坐(あるいは半跏趺坐)に組み、手は法界定印を結び、口を閉じて頭は思いを手放す…というあのかたちを通じて、凡夫印を仏印に貼り替えているのです。これは、まさに行為ですね。

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◆ 行為は厳粛
行為の特徴は、「やったら、取り消しが効かない」ということです。
先ほど僕は、中道の説明を言い間違えて「Delete!」と言ってしまったのですが、無理なんですね。僕が言ったことは、もう取り消せない。
いま、この瞬間には、ひとつの行為しかできない。なので、行為というのはとても厳粛なのです。
それで、その時したことは必ずあとに尾を引くのですよ。「歴史性をもっている」と言えばよいでしょうか。

それから、もう一つの特徴は、「あなたがやったことの結果は、あなたが引き受けなければならない」ということです。これは「実存性」と言えるでしょうか……なかなか良い表現が出てきませんが、行為の厳粛性の中身を言おうとすると、「歴史性と実存性」と言えるのかもしれません。

「いま、何をするか」というのは、ほんとうによく考えなければならないということです。このことは、先ほどのグループワークの時間でも触れた、

参禅学道は、一生の大事なり。忽せにすべからず、豈に卒爾ならんや。
(参禅学道は、一生涯において最も大切な事である。おろそかにしてはならない、どうして軽率でよかろうか)

「忽せにすべからず、豈に卒爾ならんや」というところにかかってくると思います。参禅学道は「うっかりしてやってはいけない」ということです。これは、行為が厳粛だからですね。
これは何も、この間の天皇陛下の「即位の礼」のように静々と歩けということではないですよ。普通にしていればいいのですが、その"普通の振舞い"が厳粛だということです。

行為は、どんなものでも厳粛なのです。
厳粛な行為(と、厳粛でない行為)があるのではなくて、「行為は厳粛」なのです。

厳粛の反対が軽率ですね。「軽率なことでございました」と、謝罪会見などをすればいいと思っているけれど、この様に行為の厳粛性を考えると、これでは済まないのですね。


◆ "意"の厳粛性
もう一つの考え方は、澤木興道老師がよく仰っていた言い方で「泥棒の真似事をしたら、もう立派な泥棒だ」ということです。これは行為の厳粛さをよく表していると思いませんか?
「泥棒の真似をしたら泥棒」なのだったら、それの反対で、「ブッダの真似をしてみました」という人がいたら、その人は「あなた、ブッダじゃん?!」ということになりますね。

それから、「泥棒になるのに時間はかからない」。盗ってから、そのあとだんだんにボチボチ泥棒になっていくのではなくて、盗った瞬間に泥棒だということですね。
"バレなかったら泥棒ではない"ということではないですね。世間的にはそうなのかもしれません。法律に定められた手続きに従って、裁判所で窃盗罪が確定したら泥棒になるのかもしれないけれど、宗教的には、盗ろうと思った時にもう泥棒だということになります。

聖書にも、

だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのである。
(マタイ福音書5章28節)

…と書いてあります。

これは、この行為が身口意の「意」のところで始まっているからです。
口で(言葉で)相手を馬鹿にしたことを言ったり暴言を吐いたり、身で(身体的行為で)たたいたり暴力を振るったり…ではなくて、「いじめたい気持ち」を持ったときに、いじめたくなった時にいじめは始まっているということです。
これは、「心も厳粛」だということを示しています。行為が外に表れていなくても、「いま、何を思うか」ということもすごく厳粛なのです。

仏教は、インドで生まれたほかの宗教と同じように、カルマを無視してはいません。「カルマは、"意"から始まっている」ということを強調しているのが仏教の特徴といわれています。

身体を動かすのも、口を使って何かを言うのも、"意"がプランを立てて、意図をもって行っているので、これを浄めなければならない。


◆ 七仏通戒偈

「仏教を4つの言葉で簡潔にまとめたもの」というのがあります。

諸悪莫作 (諸々の悪いことはしてはいけない)
衆善奉行
(善いことを慎んで行いなさい)
自浄其意
(自らの意を浄めなさい)
是諸仏教
(これが仏の教えです)

これは「七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)」といって、僕らが依っている"歴史的ブッダ(ゴータマ・ブッダ、釈迦牟尼仏)"とそれ以前にいたと言われている6人のブッダ(過去七仏)が、詩のような言葉で共通に説いた教えです。

道元さんが考える「諸悪莫作」は、もっと深い意味がありまして、「悪いことをやろうという気持ちはあるけれど、それを押さえて、やらない」いうのはまだ途中の段階で、"意"から変わっているので「悪いことがそもそも浮かんでこない」というのが、道元さんの諸悪莫作の考え方です。

諸悪すでにつくられずなりゆくところに、修行力たちまちに現成す。この現成は、尽地・尽界・尽時・尽法を量として現成するなり。その量は、莫作を量とせり。
(『正法眼蔵』「諸悪莫作」巻)

諸悪莫作や衆善奉行の"諸"、"衆"というのは、その時どきでの悪いことをしない、善い行いをするという意味です。
この七仏通戒偈の中に「自浄其意 (意を浄めなさい)」というのが出てきます。身口意の中でも、意が特別の比重を持っていて、意を含めて行為というのは厳粛なものであるということになります。

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2. 身心安楽 - 軸が通る健やかさ

但だ操行の心、道と符合せざれば、身心未だ嘗て安寧ならざるなり。身心未だ安寧ならざれば、身心安楽ならず。身心安楽ならざれば、証りの道に荊棘生ずるなり。(レジュメp.55)
(ただ、修行を行う心が仏道と符合しなければ、身心は未だ安らかではないのである。身心が未だ安らかでなければ、身心は安楽ではない。身心が安楽でなければ、さとりの道に荊棘(いばら)が生じるのである)

「身心安楽でなければ、さとりの道にとげやいばらが生じる」、ここは先月の塾でお話しした、Instead of tension, pleasure.」、「Instead of rightness, comfort.に近い感覚だと思います。
「安楽」ということが、身心が調っていることのサイン、proof(証明)になるということです。

「安寧」という語が出てきていますが、これは、「安心」と「康寧」の2つの語が合わさった熟語です。安寧の"安"は、心に関する安らかさを言っていて、"寧"は、おそらく身体の健やかさのことを言っていると思います。健康の"康"の字が入っていますから。

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◆軸が通る健やかさ
"健"という字にも"康"という字にも、「聿」という字が中に入っていますね。これは何を象形しているかというと、「右手で筆を持っている様子」を表わしたものです。

筆を手に持って書く時には、筆軸を垂直に立てて書きます。身体にスッキリと軸が立って通っていることが健康の象徴です。これがブレると、身心安楽ではないということになります。
僕らは「ほんとうの安楽」を探さなければいけませんね。僕らの安楽は「疲れる安楽」、「長続きしない安楽」、「行き詰まってしまう安楽」なのです。

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3. 調える宗教

仏道にきちんとチューニングした修行をしなければならないということです。仏道修行に対する道元禅師の態度は、"仏道を自分に合わせる"のではなくて、「自分を仏道に合わせていく」というものです。これが、

いわゆる操行、道と合せんには、如何が行履せん。
(行いが仏道と一致するにはどのように実践したらよいであろう)

のところで言っていることです。

「操行」というのは、用心第六「参禅に知るべき事」のところで、

心操を調うるの事尤も難し。長斎梵行も亦た難からざらんや、身行を調うるの事尤も難し。(レジュメp.62)

という文章があって、「操」は心のはたらき、「行」は身の行ないのことです。心操と身行が一つに合わさって「操行」という語になっています。
身心がどうやって仏道に合するのかというと、「調う」ということで仏道と一致するということです。

而して身心を調え、以て仏道に入るなり。(レジュメp.62)
(身体と心を調えて、それによって仏道に入るのである)

…という言葉が、学道用心集のこのあとのところにも出てきます。それは僕にとっても大きな発見でしたが、翻って、ブッダも

調えられし自己こそ、真の依りどころである。
(「ダンマパダ(法句経)」160偈(内山興正訳))

…という言葉を遺しているので、仏教において「調える」ということは非常に大切なことです。仏教は"調える宗教"なのです。

「どういう状態が"調っている"ということなのか」をよく考えなければいけません。
「調える、調っている」というと、例えば線グラフが少しも波立たずにフラットな線になっているようなイメージを持つ人がいるかもしれませんが、これは調っているとは呼べない。生理的に言うと、身体が興奮すべき時には興奮するし、落ち着くべき時には抑制するようなダイナミックなリズムがあるのが調ということだと思います。

僕らの問題は、状態が高止まりして興奮が収まらくなること、これは「24時間戦えますか?」みたいな、かつてのバブル期での問題はこちらのほうですね。
現代はというと、「あした会社行かないといけないのに…元気がなくて、行きたくないな、引きこもっちゃおうかしら」みたいな、低止まりで抑うつ的になる状態が続くことですね。

人間の身体は、呼吸も吸う息と吐く息が交互に生じているし、自律神経も交感神経(身体を活動的にさせる)と副交感神経(身体を鎮静状態に導く)が拮抗してはたらいているので、調っている状態というのは、身体に何の対立も変化も生じない、一本調子でStaticな状態ではなくて、実はもっと動的なDynamicなものなので、皆さんもイメージを変えてもらいたいと思います。
「坐禅は調えることです」というと、フラットで静的なイメージを持つ人も多いかもしれないけれど、そんなことはなくて、坐禅はもっとイキイキしたものでなければいけません。

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4. 正師と出会うreadiness

「正師を求むべき事」に関して、道元禅師は別の書物でこういうことも言っています。

師はあれどもわれ参不得なる憾(うら)みあり。参ぜんとするに師不得なる悲しみあり。
(『正法眼蔵』「行持」巻)

「師はいるのだけれども、自分がそれに気がついていないので、参じることができないという憾みがある。また、参じようとして師を探し求めているのだけれどその時に師はいないという悲しみがある」ということを言っています。師と弟子がうまいタイミングで出会わないというかなしみや憾みがある。

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また、師というのは、師の側から「オレが師だよ!」と言わなくても、弟子がその人を師にすることができるわけです。

挙す、幽州盤山凝寂大師、嘗て因みに市肆に行きて、一客人の猪肉を買うを見るに、屠家に語げて云く、精底一片を割し来れ。屠家、刀子を放下し、叉手して云く、長吏、那箇か是れ不精底。師、言下に於いて省有り。
(『正法眼蔵三百則』)

盤山宝積禅師という中国の禅マスターがいました。
盤山さんがある時、肉屋さんの前を通りかかったら、お客が「良い肉を一切れくれないか?」と肉屋に言った。すると肉屋が、手に持っていた包丁を置いて、叉手してお客に挨拶して「どこに悪い肉があるというのか?」と言った。"俺の店で売っている肉は全部が良い肉で、これが良い肉でこれが悪いやつとかいう区別はないのだ"というわけですね。
このやり取りを傍で聞いていた盤山さんは…悟っちゃったんですね!

「ここで盤山さんは何を悟ったの?」という解釈が公案になるのですが、肉屋さんとお客のやり取りが、盤山さんの中にあった何らかの問題にふっと触れて、曇りが晴れて洞察を得たわけです。
この時、肉屋とお客は、盤山さんに向かって何かを教えようとしていたのではないけれど、盤山さんの「readiness (メッセージを受け取る準備)」が、この2人を正師にしたということです。

なので、僕らも「正師がいない、正師と出会えない…」なんて言っていたら、それは僕らの"受信装置"の具合が悪いということになるでしょうね。動物だって正師になり得るだろうし、天気だって、"雷が落ちた時に悟った"ということだってあるかもしれませんからね。「自分の中に何が問題意識としてあって、それが何と出会うか」ということです。

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5. 正師は未完成でいい

為他の志気を衝天せしむる
正法眼蔵の「自性三昧」という巻があります。これもおもしろくて重要な巻なのですが、解説書が多く出ていないので、あまり読まれていない巻です。
道元さんの文章というのは、たくさん読んで覚えておくと、「あの時に勉強したことはこういうことだ」というのを、referenceして引いてくることができるんですね。

道元さんは「自性三昧」巻で、こういうことを言っています。

おおよそ学仏祖道は、一法一儀を参学するより、すなわち為他の志気を衝天せしむるなり、しかあるによりて、自他を脱落するなり。
(『正法眼蔵』「自性三昧」巻)

「仏道というのは、何かひとつのやり方でも学んだら、それを他の人の仏道修行の為に教えよう、伝えたいと、志を燃え上がらせるべきだ。そうしていると、自他が脱落する」と書いてあります。
習ったことを「これは私のものにしておこう、誰にも教えないぞ」という態度でいると自と他ができてしまうのだけれど、習ったことをすぐに他の人に伝えていくことをしていると、自他が脱落しちゃう…ということ。自分の為に学んでいるのか、他の人の為に学んでいるのかが分からなくなるのでしょうね。「正師というのは、完成されたものでなくてもいい」ということです。

東辺にして一句をききて、西辺にきたりて一人のために説く
同じ「自性三昧」巻に、こういう言葉もあります。

東辺にして一句をききて、西辺にきたりて一人のために説くべし。
(『正法眼蔵』「自性三昧」巻)

これなどは、すごくinspiringな言葉だと思いますね!

東の方へ行って、「"Instead of rightness, comfort."、いいこと聞いたぞ!」と思ったら、西の方へ行って、「ねえみんな、一照さんこんなこと言ってたよ、"Instead of rightness, comfort."」…受け売りでいいのですね。

『正法眼蔵随聞記』にも「ひとつでもいいことを聞いたら、すぐ伝えなさい」と、同じようなことが書いてあります。「教えるのは、正師になってからにします」なんて言っていたら、いつ正師になれるか分からないからね。この瞬間に、このことに関しては正師になれるかもしれない。

その点で、facebookなどはいいのではないかと思いますね。僕がシェアする動画を見て「あれを見て悟った!」というフィードバックはまだないけれど(笑)、そういうものを見て悟りを開くことになるかもしれない…皆さんの準備ができていれば!

「西辺にきたりて一人のために説くべし」、一度に大勢に向かってでなくても、たった1人にでもいいんですよ。その1人に教えているうちに、何かひらめくかもしれないし、その人からフィードバックを受けると「ああ、もっとこういう深い意味もあったのか!」という気づきもあるかもしれないから、出し惜しみ・物惜しみしてはいけない。あるいは、自分のプライドでブロックをかけないほうがいいということになります。
僕も、東京の仏教塾で皆さんと学んだことを、西の方の京都へ来てシェアしている…ということをやっているわけです(笑)。

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6. 聞思は猶お門外に処するが如し

禅が強調していることとして、道元さんは「言葉尻を追っかけるような時間の無駄遣いをしてはいけない」ということも言っています。

所以に須らく言を尋ね語を逐うの解行を休すべし。
(『普勧坐禅儀』)

道元さんの当時のお坊さんというのはインテリゲンチャだから、例えばお経を読んだらそれがどこに書いてあるかというようなことを調べて、ノートを作るみたいなことをしていたわけです。
禅は特に、そういう「学問仏教」に対するアンチテーゼとして出てきているので、「経典などは尻を拭く紙だ」とか「燃やしてしまえ」みたいなことを言ったりするわけです。
それは文字通りの意味ではなくて、"経典の中に仏教がある"と誤解している人が多かったのですね。経典を勉強して注釈書を作ることが仏道修行だと思っている人がいて、「そういうことではないよ」というのを言うための言葉です。

仏教の学び方は、「聞思修の三慧」というかたちでデザインされています。
「聞」は、お寺で法話を聞くとか、今の時代だったらYouTubeでお坊さんの説法の動画を見る…というようなことです。

「思」は、聞いたことの意味を頭を使ってよく考えて、自分の言葉で理解するということです。

ここで、こういう言葉があります。

聞思は猶お門外に処するが如し。坐禅は直にすなわち帰家穏坐するなり。
(『宝慶記』)

「聞と思で留まっていたら、そはまだ門の外にいるのと変わらないよ」というわけです。そこでどうするかというと「修」です。
「坐禅は直にすなわち帰家穏坐するなり」、家に帰って穏やかに坐るような坐禅を「直に」、身と心を動員して直接にやるというのが「修」です。最終的にはこの修によって智慧を育てなければならない。なので、聞と思は修のサポートなのです。あるいは、学問は修のための「資糧」、資材・リソースであり糧であると言ってもいい。

旅をするためには、地図やガイドブック、水や食料などをザックに詰め込みますよね。そこで終わってしまったら、まだ旅には出ていませんね。「道具は揃えましたけど、行かずに終わりました」というようなことになってしまう。
荷物を背負って、家を出て、地図を見ながら、水を飲んだり食べ物を食べたりしながら、旅をする…これが「修行」なのです。

聞や思をやる時期も必要です。聞や思なしで修をやろうとすると、先ほど言いました「自分の物差し」でもって修行してしまうことになります。
何を「聞」して、何を「思」するのかというと、かつての行者たちが言ったことが遺されているのを"聞いて"、自分で考える、そして、自分も彼らのように修行をして、旅をしなければならない。
禅宗の場合、修の中心にあるのが坐禅です。

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7. 活発発地、勇猛孟壮の坐禅

先ほど「坐禅の"調"は、静的な一本調子のものではなく、もっとダイナミックなものだと思う」という話の中で、現代の問題は、エネルギーレベルが下止まりしている人が多いことをお話ししましたが、「坐禅は心を落ち着ける」といっても、こういうエネルギーが下げ止まって抑うつレベルにある人たちは、これ以上落ち着いていたらちょっとまずいのですね。
坐禅というのは「活発発地」、生命力が発揮されるようなものでなくてはならない、ということを強調する必要があると思っているのです。
そういった観点から道元さんの書いたものを見てみると、けっこうそういうことがいろんなところに書いてあるのですね。

夫れ坐禅はすなわち第一瞌睡(かっすい)することなかれ。これ刹那須臾(しゅゆ)も孟壮を先とすべし。
(『永平広録』巻六)

『永平広録』というのは、道元禅師が法堂に一段高く設えられている台の上に上がって行う、修行道場の最も正式な説法、「上堂」で語ったことを漢文で記録したものです。大体において、禅師さま、Zen masterが亡くなった時には、その語録を漢文で遺すのが習わしになっているのですが、道元さんについても、この『永平広録』というかたちで語録が遺されています。

『永平広録』も、文章がものすごい分量で、『正法眼蔵』が和文に漢文が挿入されているかたちで書かれているものだとすると、『永平広録』は全て漢文で書かれていて、『眼蔵』と『広録』は道元さんの著作・語録の中で表裏のような関係になっています。

『永平広録』は『正法眼蔵』ほどには一般には知られていませんが、『広録』もきちんと勉強した方がよいのです。
というのは、道元さんはある時期から『眼蔵』を書かなくなって、上堂で話すようになりました。晩年の道元さんの思想を知るには、『広録』のほうを見なければ分からないし、『眼蔵』の中で扱っている公案を、『広録』で漢文の文脈で話したりしているので、『眼蔵』と『広録』を両方勉強すると、道元さんのことが立体的に分かると言われています。
しかし、何せ『広録』は漢文なので敬遠されているのですが、読んだほうがいいです。

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それで、この『永平広録』の巻六には、こう書いていあります。

「坐禅はまず第一に瞌睡(居眠り、うたた寝)してはいけない」

……いま笑った人は、どうして笑った?

次の文、

これ刹那須臾(せつなしゅゆ)も孟壮を先とすべし。
(どの瞬間も、猛々しく勢いのある状態で坐らなければならない)

大阪の「天正寺」というお寺に、佐々木奘堂さんという方がいらっしゃいます。彼は「坐禅はテクニックなどいらない、"勇猛"であれば、ちゃんと坐れるのだ」と言っていますが、彼はいま、「生きた足」をしているという「ディオニュソス像」の前で坐禅するために、大英博物館にいるそうです。一日10時間以上、ディオニュソスの前で坐っているのだそうです。

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今度、奘堂さんに会ったら「道元も"坐禅は勇猛・孟壮"と言っているよ!」と教えてあげようと思っています。
勇猛・孟壮の逆はというと、澤木興道老師の言い方だと「ネコが日向ぼっこしているように坐っている奴ばかりおる!」ということでしょうね。

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かといって、「勇猛!孟壮!」といっても、力んで坐れとか怖い顔をして坐れということではないですよ。「凛として」坐らなくてはいけない。

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8. 禅僧の勇

もう少し探してみたら、『永平広録』の巻三に、こういう文章があります。

水に入って蛟龍(こうりゅう)を避けざるは漁夫の勇なり。
陸を行って虎児を避けざるは猟夫の勇なり。
白刃の前に臨み死を視ること生のごとくなるは将軍の勇なり。
且(しばら)く作麼生(そもさん)か、これ衲僧(のっそう)の勇。
開単打眠。展鉢喫飯。鼻孔裏(びくうり)出気。眼睛裏(がんぜいり)放光。

(『永平広録』巻三)

海で、鮫とか鯱とか海の化け物のようなものに出会っても怖気づいて逃げたりしないのが、漁師の勇気である。
陸では、虎に出会っても怖気づいて逃げたりしないのが、猟師の勇気である。
戦場で、白く輝く刃が振りかかってきて死ぬかと思うような時でも、生き生きとして動じないのが、将軍の勇気である。

では、俺たち禅僧の勇気とは何だ?
「開単打眠」、時間が来たら、今まで坐禅していた単を開いて、布団を敷いて寝ることが禅僧の勇気である。
「展鉢喫飯」、応量器を広げて飯を食うのが禅僧の勇気である。
「鼻孔裏出気」、鼻で呼吸することが禅僧の勇気である。
「眼睛裏放光」、眼から光を放って物事をよく見ることが禅僧の勇気である。

「日常でやっていること全てに、俺たち禅僧は勇気を表現しなければならない」と言っているのですね。これって、すごくない?!
この流れで言うと、鐘が鳴ったら僧堂へ行って坐るのが禅僧の勇ということになりますよね。なんか……良いなぁって思いますね。

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9. 得法悟道の条件

まだまだ面白いところがたくさんあります。
用心の第六「参禅に知るべき事」で、

若し粉骨貴ぶべくんば、これを忍ぶ者昔従り多しと雖も、得法の者惟れ少なし。斎行の者を貴ぶべくんば、古従り多しと雖も、悟道の者惟れ少なし。是れ乃ち心を調うること甚だ難きが故なり。
(レジュメp.62)

…という文章があります。
「"粉骨砕身"みたいな荒行苦行をした人というのは昔からけっこういたけれど、法を得た者は少ない。"長斎梵行"、戒を厳しく守って清浄な修行をした人も昔からたくさんいたけれど、道を悟った者は少ない」と書いてあります。

もちろん、粉骨砕身とか長斎梵行というようなことをやって、得法悟道した者がまったくいなかったわけではないけれど、そういう粉骨砕身・長斎梵行は、必ずしも得法悟道の保証にはならないということです。

得法悟道できなかった連中というのは、「心を調える」ということをやっていなかったからだ、と。たぶん、ガツガツした有所得心でもってそういう修行をしたということでしょうね。
人のやらないことをやっていると、競争になりますからね。「あいつが10時間坐ったなら、俺は11時間坐る!」みたいな。

聡明を先とせず、学解を先とせず、心意識を先とせず、念想観を先とせず。向来都てこれを用いず、而して身心を調え、以つて仏道に入るなり。
(レジュメp.62)

僕らが自分を誇るような"聡明であること、たくさん知識を持っていること"は、大切なことではない…と書いてあります。
現代では、"聡明であること、賢いこと"が成功の大条件でしょう?
世間ではそういうことが価値を持つのかもしれませんが、仏道修行ではこれらは優先順位としては高くない。

この有名な例が、ブッダの弟子の「周利槃特(しゅりはんどく、チューラパンタカ)」という人です。彼は物覚えがすごく悪かった。
「僕みたいな頭の悪いのは悟れない…」と自分で思っていたのだけれど、ブッダが彼に会った時、「お前はバカじゃない。自分がバカだと知っている者はバカではない。自分は賢いと思い上がっている者がほんとうのバカである」と言って、

「お前は、掃除をしなさい。"塵を払わん、垢を除かん"とお唱えしながら、床を掃いていなさい」

とブッダに言われたパンタカは、それで阿羅漢になったと言われています。

ブッダの弟子たちの中には、それこそ"目から鼻に抜けるように"賢い人もいましたが、その人たちよりもパンタカの方が早く悟ったとも言われています。なので、聡明であることが必ずしも悟道得法の条件ではないということです。

「心意識」というのは、僕らのような普通の人の心のはたらきのことです。心のはたらきが得道悟道にとって大切なわけでもない。
「念想観」というのは、「四念処」とか「日想観」、「阿字観」というような、仏教の瞑想の方法ですが、そういうことも大事ではないと言っています。

こういうことは全て用いないで、「身心を調え、以て仏道に入るなり」、身体と心を調えて仏道に入る、これが坐禅だということです。ここをよく覚えておいてください。
賢さを磨いても悪くはないけれど、「どうやったら教えをうまく他の人に伝えることができるか」というのは、聡明で学解があったほうがいいでしょうけれど、もっと本質的なところでは、「身心の調い」なくして賢さを磨いたり念想観をしたりということはできないということになります。

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10. 質疑応答

◆ブッダの真似って?

(塾生kさんからの質問)
「泥棒の真似をしたら泥棒になる、ブッダの真似をしたらブッダになる」というお話がありましたが、「ブッダの真似」というのは、"勇猛に坐禅する"というのがブッダの真似ということになるのか…もう少し具体的に「ブッダの真似とは何なのか?」ということが知りたいです。

〔一照さん回答〕
先ほど「仏制」という言葉を出しましたが、ブッダが制定した暮らし方というのがあるわけです。これは、先ほども話した武道における「型」のようなものなのです。これに従って生きていくというのが、ブッダの真似ということだと思います。
「ブッダがやったことをやって、ブッダがやらなかったことはやらない」ということが、『正法眼蔵随聞記』にも書いてあります。

『学道用心集』にも、

若し人賞翫すれば、縦い非道なりと知るとも乃ちこれを修行す。若し恭敬讃歎せざれば、これ正道なりと知ると雖も棄てて修せず。痛ましき哉。
(もし、人が褒め、好めば、たとえ仏道ではないとわかっていても、これを修行する。もし、人が敬い褒めなければ、たとえ正しい仏道であるとわかっていても、これを棄ててしまって修行しない。痛ましいことである)
(レジュメp.56)

…と書いてありますので、道元さんからすると「他の人の目を意識して、自分の物差しでもって、仏教を自分勝手に自分用にやるということは、まったく的外れなことだ」ということです。

ブッダが言ったことを、そのまま受け取って、しかもそれを曲げないで真っ直ぐに受け取って行ずる…これを「直下承当」と言いますが、これは「何でも疑ってかかれ」という近現代の人の態度とは全然違うものです。

此の身心を以て直に仏を証する、是れ承当なり。いわゆる、従来の身心を廻転せず、但だ他の証に随い去くを、直下と名づけ、也た承当と名づくるなり。
(この身と心でただちに仏を実証する、これが承当ということである。言ってみれば、これまでの身や心のあり方を特別な状態に変えるというのではなく、ただ、他(師)が実証した道に随ってゆくのを、「直下」と名付け、また「承当」と名付けるのである)
(レジュメp.73)

道元さんは1200年生まれなので、今から800年以上前の第一級の仏教者の態度はこういうものだったということです。
道元さんがゼロから自分で発明したことは何もなくて、全部が如浄禅師を通してブッダから「正伝」しているものだという自負というか確信があるのでしょう。道元さんはくり返し「仏祖正伝の仏法」という言葉を用いています。自分では「〇〇宗」とは言わないのですね、「禅宗」とすら呼ばない。

「仏祖正伝の仏法を私は受け取ったので、それをお前たちにも教えるから、この仏祖正伝の仏法をお前たちも伝えていってくれよ」というのが、道元さんの偽らざる気持ちです。
これを外側から見たら、「結局それは禅宗でしょう?」という言い方もできるかもしれないでしょうし、テーラワーダ仏教から見たら、「それは既に大乗仏教であって、ブッダが言ったこととは違う」ということはあるのかもしれないけれど、それは第三者的な見かたなので、道元さん当人からすると、「これが仏祖正伝の仏法だ」という立場で『正法眼蔵』も書いているし、弟子たちも教えたのだと思います。

昔の仏道修行というのは、いまの僕みたいに言葉で伝えるようなことはしていなくて、説明はもっと少なくて、ほとんど師匠の真似をするだけ。それは職人さんが「技を盗め」というのと同じです。
武術でも「見取り稽古」といって、先生が「ここは足を右に出して」とかいうことは言わないで、先生がササっとやって見せて、あとは「さあ、やってみなさい」と言うだけです。分からない人はいつまでたっても分からないし、分かる人はどんどん稽古が進んでいく。
その感覚を磨かないことには、「師匠のどこを見るか」ということすら学ばないと、そこをすぐに「教えてしまう」と、大事なことが抜け落ちてしまうのではないかと思うのですよ。

僕もそういう意味では「親切すぎる」のかもしれませんね。
「一照さん、"秘伝"みたいなことをすぐ言っちゃうのはダメなんじゃないですか?皆が学ぶ機会を奪っていることになってはいませんか?」ということを言われることがあるのですよ。
そう言われてみるとそうかもしれないのですが、僕はしゃべることに快感を覚えてしまうので(笑)。

これは、確か甲野善紀先生(武術研究者)から聞いた話だったと思うのですが、車なんか見たことがないような、オーストラリアの先住民・アボリジニの人を車の助手席に3日間乗せておくと、4日目からアボリジニの人は車を運転できるようになるのだそうです。自然の中で生きていると、そういう"見取りの力"が育っているので、彼らはちょっと見ているだけですぐに脳内に車を運転する回路みたいなものができてしまうらしいのです。翻って僕らがいかにそういう見取りの能力・感覚を眠らせてしまっているかということでしょう。


◆ 現代の仏制?

(塾生gさんからの質問)
この『学道用心集』は、鎌倉時代に道元さんが書かれた「仏祖正伝の仏法」で、そこには仏制という"型"があるわけですが、では、現代はどうなのでしょうか?
例えば、ティク・ナット・ハンさんが提唱した「エンゲージド・ブッディズム(社会に参画していく仏教)」や、「5つのマインドフルネス・トレーニング」といったものは、仏祖正伝の仏法の現代的展開といえるものでしょうか?

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〔一照さん回答〕
そうですね、「アップデートする仏教」とか言っている人がいるらしいですからね(笑)。
道元さんが説いている「仏祖正伝の仏法」や仏制を手がかりに、あるいはこれに基づいて、「今の時代の仏祖正伝の仏法」を作り出す必要があるのではないかと思います。この仏教塾のような学び方も、道元さんの昔にはなかったことだと思いますからね。

昔の人たちというのは、"歴史意識"というのはあまりないと思うのです。
例えば、経典は必ずアーナンダさんの「如是我聞(このように私は聞いた)」という言葉で始まっているので、昔の人は、経典に書いてあることはすべてブッダ自身がほんとうに言ったことだと思っていたと思うんです。
しかし、お経というのはブッダが亡くなってからずっと後になって"編集"されたものだということを僕らは知っているわけですよね。

聖書ですら、伝統的な考え方では「聖書は神の啓示によって書かれたもので、人間が作ったものではない」ということになるのですが、聖書にも様々なpoliticsがあって、文体の違いになどによってルカ派とかマルコ派とかがあって…というように、聖書も人間の産物なのです。

仏教経典も、すべてブッダがほんとうに言った言葉だというよりは「歴史的産物」なのであって、この時点で既に、道元さんと現代の僕らとでは、仏祖正伝にしても仏制にしても、受け取り方が変わってこざるを得ないわけです。道元さんにとっては、仏祖正伝の仏法というものを批判的に調査して『正法眼蔵』などを書いたわけではなくて、「そう信じた」ということでしょう。
僕らは近現代の批判的歴史学なり文献学などの"洗礼"を受けているわけですが、それでも、その批判性を通り抜けてきたものの中にも「真実」というのはあると思っているから、全ては歴史的な文脈の中で人間が作り出したものだということを踏まえて、「仏祖正伝の仏法NOW」、「現代の仏制」というものを作る必要があると思います。

それは、過去と未来の狭間にいる僕らが、

「過去から伝統を正しく引き継いで、未来へ向かって新しい伝統を大胆にクリエイトしていく」

という態度、そういうことが「アップデート」の中身だと思っていて、それは"菩薩"の態度に似ているところもあると思います。

ティク・ナット・ハンさんも、ある一面ではとても「伝統的」な人だと思います。1995年に来日された時に、京都で「出家者との出会い」という催しをしましたが、その時は日本の僧侶を相手にしているので、「Issho, smile!」というような普段の感じとは全然違う顔でした。
ダライ・ラマさんも、普段はにこやかに人々と話をしていますけれど、お坊さんに対する時には厳しいですよ。それは別に"二枚舌"とか"本音と建前"ということではなくて、期待しているものが違うからですね。

ティク・ナット・ハンさんは、「出家者との出会い」の中で、「道元禅師ほどの人が、具足戒を受けていないわけがない!」と言ったのです。
「日本仏教の再生の鍵になるのは"具足戒の復活"である」と。

具足戒というのは、出家者が守るべき戒のことで、250の戒があります。ちなみに、日本の曹洞宗は16の戒です。
お酒のことを「般若湯」と読み替えるようないい加減な、日本的なことではなくて、「お酒はダメ」といったらダメ…という戒を復活して、少数のお坊さんでもいいからそれをきちんと護持する人が出てきて、日本仏教を立て直さなければならない…と、ティク・ナット・ハン師はその時に言ったのです。

ところが「道元さんは具足戒を受けていない」と主張する道元学者の人がその場にいて、その人に対して、「あなたはそう主張するが、証拠を見せなさい。証拠を見せてくれなければ、私はそれを信じることはできません!」…と、それはそれは厳しい顔で言ったのでした。まさにそれは「伝統派の顔」でした。

ティク・ナット・ハン師は、西洋で長く暮らしてほとんど西洋人になりつつあったけれど、今はご自分が出家得度されたベトナムの「慈孝寺」というお寺で、死を待っておられます。

ティク・ナット・ハンさんが西洋で伝えた仏教は、ベトナムの伝統仏教とはまったく違うものです。
「ベトナムのお坊さんで最初に自転車に乗ったのは、実は私なんですよ」と言っていました(笑)。「若い時に僧院のカリキュラムを改革するために西洋哲学とか科学を学ぶべきだと主張したら、長老たちから総スカンを喰ったので、私はその僧院を出ました」とも言っていました。
このように、ティク・ナット・ハンさんは非常に新しい感覚をもった「アップデート」の人であったのと同時に、他方では伝統に対して敬意を払って忠実なものを持っていた方でした。

僕も、そこまでではないにしても、伝統を重んずる姿勢と革新性、この両方が必要なのではないかと思っています。

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……このあと、学習ノート⑤に続きます。


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