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日並べて日記

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日々の些細な日記です。
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荏原神社 品川

荏原神社 品川

品川神社から新馬場駅に戻り、高架下をくぐり荏原神社へ
川沿いを歩くと木々が生い茂り、品川宿の通りと交差する辺りでしょうか?

荏原神社があります
うまく、伝えることが出来ないのですが、目黒川に沿って社殿が
あるわけではなく、川の横なのだけど川からそれた感じに鳥居があり、
不思議だわぁ~が最初の印象でした

御祭神
高龗神
天照皇大神
須佐之男尊
豊受姫之尊
手力雄之尊
高龗神が龍神なのですね、実は

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品川神社

品川神社

品川駅 高輪出口から歩いて15分ぐらいの所にある品川神社
最寄りの駅は、新馬場駅で歩いてすぐの所にあります

「品川」は、目黒川の下流部を指す河川名で駅周辺は、
明治初期に埋め立てられた場所です
近くには、品川宿があり磯の香がする品川湊でした
また、品川宿のはずれの位置する丘を「八ツ山」と呼ばれ
この地に八つの岬があったので「八ツ山」と名づけたという説が
あります

源頼朝が海上交通安全と祈願成就

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川越城跡

川越城跡

川越城は、上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子が
築いたといわれています。

私は、川越氷川神社から歩いたので、市立博物館側からはいったのですが、
多分、入ったすぐのあたりが土塁

太田道灌の伝承がある場所には、だいたい山吹の里がある

日本で2つしかない「本丸御殿」
1848年に空き地だった本丸御殿の場所に新しく御殿を建設しました。
それが今残っている本丸御殿です。

ここは、石垣は用い

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川越氷川神社

川越氷川神社

古墳時代の欽明天皇に創建された神社です
その後、室町時代に太田道真・道灌父子によって川越城が築城されて以来、城下の守護神・藩領の総鎮守として歴代城主により崇敬されました。

先にごめんなさいしておきます
人が多くて、上手く写真が取れず本殿の写真はお借りしています

主祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)
脚摩乳命(あしなづちのみこと)
手摩乳命(てなづちのみこと)の夫婦神様
その娘であり素盞嗚尊の妃

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神楽坂 善國寺

神楽坂 善國寺

赤城神社から坂を下り水道橋方面に歩くと「善國寺」があります
毘沙門天を祭っているこちらのお寺は「寅の日」にお参りにいくと
ご利益があるそうです

毘沙門天は寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻にこの世にお出ましになったことから、寅毘沙と呼ばれる。 石虎は本堂左右に鎮座している。
江戸後期の作です。

あと、2枚目の石虎の台座にも注目です
昔の地図の目印が掘られています
個人的には初めて見ました

何度も

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明治神宮

明治神宮

代々木八幡宮から代々木公園に抜けて明治神宮まで歩きました

江戸時代初期には肥後藩の加藤家の別邸で、

その後、彦根藩の井伊家の下屋敷だったところを明治政府が買い上げた土地です

有名な話ですが、ここの鎮守の杜は人工の森です
天然更新を続ける「永遠の森」として、参道の落ち葉も森に還され
また、森の土壌を豊かにしていくサイクルが実っている森でもあります

明治神宮は見どころ満載なのですが、この頃、

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代々木八幡宮

代々木八幡宮

去年の秋に行った代々木八幡宮
小田急線「代々木八幡駅」より徒歩5分
私にしては珍しく迷子にならず到着!(それだけでも嬉しい私w)

創建は鎌倉時代となっておりますが、こちらには

縄文時代の竪穴住居の跡もみつかっており、発掘調査の結果

縄文土器が発掘され、境内に展示されています
遺跡の案内板によると、当時この場所は幡ヶ谷丘陵の南方に突き出した半島の端で、海の退きはじめた沼のようなところに面し、背

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牛込見附跡

牛込見附跡

JR飯田橋駅から歩いて2分
駅ちか好物件!なんてねw

上州道に通じる江戸城外郭門のひとつです。外濠に面した見附のなかでも、江戸の遺構がもっともよく残ります。1639(寛永16)年、徳島藩の初代藩主蜂須賀忠英らによって築かれました。

わりと目立つ存在感のある石垣なのですが、通行人はあまり気にしてない
ようで、立ち止まる人もも少ないですね

田安門から江戸城外郭の神楽坂や高田馬場を経由して、
板橋

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由比若宮(元八幡)

由比若宮(元八幡)

源頼義が、この地に源氏の守り神である石清水八幡宮の祭神を
移しまつったといわれる
源氏と鎌倉とのつながりができた初めである

その後、源頼朝が現在の鶴岡八幡宮がある場所に社殿を移してから、ここは元八幡と呼ばれるようになったといわれる

源頼朝は安房から大軍を引き連れて鎌倉入りを果たした時、
源氏の守り神を祀った、この源氏ゆかりの八幡に最初に訪れている

境内は、きれいに掃除されており過ごしやすい場

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鎌倉 御霊神社

鎌倉 御霊神社

江ノ電と鳥居が映えるスポットとして有名な御霊神社
この日は、私にとっての絶好のお天気!「曇り、もうすぐ雨」
だったためか、あまり人がいませんでした
予想していたので極楽寺ですでにヘロヘロになっていたのですが、
好奇心には逆らえないので頑張ってしまいました

権五郎力餅で有名な力餅屋の前に
「五霊社鎌倉権五郎景政」の道標があります
有名な話ですが、御霊神社=五霊社です
本来、御霊神社は鎌倉・梶原・村

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星の井と虚空蔵堂

星の井と虚空蔵堂

極楽寺の切通しの鎌倉入り口に星の井の井戸があります
1600年(慶長5年)6月、京からの帰りに徳川家康が星月夜ノ井に立ち寄ったという記録が残されている(新編相模国風土記稿)
この辺りは山深く、うっそうと木々が繁り、昼でも暗かったため、井戸を覗くと星が輝いて見えたという伝説からこの名がある

ここは、行基が井戸から出てきた光り輝く石を虚空蔵菩薩の化身と思い、お堂を建て虚空蔵菩薩を祀ったのが現在の虚空

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極楽寺切通し

極楽寺切通し

極楽寺から鎌倉方面に進む一般道となっている場所が
極楽寺切通しと言われています
極楽寺の忍性が開いたとも言われておりますが、言われなければ
普通の一般道です

鎌倉時代後期に開かれたこちらの坂
その前は海岸線なのか稲村路を使っていたようなのですが、
どこだろうね?
どちらにしても、極楽寺の末寺の西方寺跡も戦で燃えてしまったようなので
激戦地だったことには変わらないでしょうが・・・

極楽寺から鎌倉

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極楽寺

極楽寺

円久寺で手弁当を食べた後、Googleマップを見ると
「常盤山文庫跡地」があったので行ってみました
途中、やぐらもあり期待に胸をふくらませましたが

関係者以外立ち入り禁止でした・・・
そこで、大仏切通しに戻り一升桝遺跡に行こうと思います

大仏切通しと極楽寺方面への交通の防衛をしていた場所と聞いていたので
行ってみたかったのですが、大仏切通しと大仏ハイキングコースの分岐まで戻る必要があります

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再び円久寺

再び円久寺

前回、訪問したのは北条氏常盤邸跡で地元の方に
「円久寺の裏に大きなやぐらがあるんですよ」と教えていただき
行ってみると、本当に大きなやぐらがありました

帰宅後、円久寺を調べたらそんなものがあったのかと知り
再訪を心に誓ったのであった・・・w

さて、前回いった時より改修工事は進んでいて、
本堂は左右非対称という珍しい状態が見えてきた

我ながら写真の撮り方が下手くそです
前回調べて「北条政村の常

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