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「足るを知る」を考えてみる

「足るを知る」という言葉は、もともとどういう意図から出てきた言葉なのか?
調べてみると、ブッダ、老子の言葉ということになっているんだけど、
この2人とも同時代に生きていた方々のようです。
この2人が同じ時代に同じことを言っていたというのは興味深いね。
まあそんなことはいいんだけど。

人間には限りのない欲求が湧くようにできていて、
良いとか悪いとかは置いといて、
この欲求があってこそ成長と進化をしてきたわけだから
生きていく上で「欲」というのは必要な感情なわけです。

しかし、この際限のない感情(欲)が行き過ぎて
知らず知らずのうちに周囲の人や環境やらに
迷惑をかけることになったりする。
そういう時に欲は「強欲」と言われる。

これを戒める、気付かせるための言葉が「足るを知る」。
俺はそう理解してます。

ウィスラービレッジ 11月

でも、「足る」っていう状態が分かる人ってどれだけいるんだろうか?
これは本当に難しい。
他人を見た時、自分より満たされている人には
「足りてるじゃん」って思ったりするけど、
自分のことを見た時には「ぜんぜん足りない」って思わない?
だから、足りてるって感じられる人はかなり希少なんだろうなって思うわけ。

そこで、こんな視点から「足るを知る」を考えてみてはどうか?
と思ったので紹介しておこうかな。

➡ 「マズローの5段階欲求説」

これは人間の欲求レベルを5段のピラミッドで表していて、
低階層の欲求が満たされると、より高次の階層の欲求を欲するという理論。
欲求が下から上へ移っていくんだね。
ピラミッドの下から解説します。⇩

UX TIMES様 サイトより

第一階層 「生理的欲求」
 生きるために必要なこと。
 分かりやすく言うなら「生存欲求」かな。

第二階層 「安全欲求」
 死にはしないけど、
 この社会での安全や安定を確保したいという欲求。

第三階層 「社会的欲求」
 社会で生きていく上での友情や愛情など
 「つながり欲求」っていう感じ。

第四階層 「尊厳欲求」
 社会(集団)の中でも確固たる自分
 という存在を認識したいという欲求。
 個として認められたいっていうことかな。

第五階層 「自己実現欲求」
 自分の能力を最大限に
 発揮したいっていう欲求。

この欲求ピラミッドの下4つ(1~4)は「欠乏欲求」と呼ばれていて、
つまり「足らない」という感覚の元になる欲求。

下3つ(1~3)は外的に満たされたいという低次の欲求とされてる。
加えて、ピラミッドの下2つ(1&2)は「物質的欲求」で、
上3つ(3~5)は「精神的欲求」と呼ばれているようだね。

このピラミッドを見た時、ピラミッドの一番下の生存欲求
ぜったい確保したいし、「足るを知れ!」と言われても
言うこと聞きたくないよね。
だって、生死にかかわる根本欲求だからさ。
でも、食を確保する欲求が行き過ぎるとどうなるかな?
 ➡ 食べすぎて肥満体質になる?
 ➡ 買い込み過ぎて食材が捨てられていない?

そして下から2番目の安全欲求
これもくせ者。
例えば、身の安全を確保するために、
 ➡ より新しい家やら道具を持ちたいって思ったり
 ➡ 財産の維持のためにお金をもっと欲しいと思わない?

おっと、こんなこと言ってたらどこで「足る」の境界線を
引けばいいのか分からなくなるね。

マズローによれば、下の4つ(1~4)は「欠乏欲求」だから、
俺たち人間は「足りない!」と感じるということだね。

で、下2つ(1&2)は「物質的欲求」だから、
いわゆる「物欲」ってやつになる。
そしてこの世の中で「足るを知る」を知らないなって思わせる人たちは
大体この「物欲」が暴走しているように思える。
どうかな?

マズローが言うように、この下2つの欲求は
生存や安全が「欠乏」してるから、
それを確保するために出てくる感情ということになる。

つまり、この欲求の根本にあるのは

➡ 怖れ、不安

であることが分かるね。
だから際限なく「ほしい!」と思うし、
物欲を満たすことで「足りない」という不安を打ち消そうとする。
意識していないのに求めてしまう、ということなんだね。

つまり、「自分は足りている」と思えない限り
この不安や恐れを抱えながら物欲と共に生きないといけない。
そんな人生になってしまう。

ウィスラービレッジ 11月 2

人類の歴史を見ると、持てる強者は滅び、
持たざる弱者は生き残ってきたって知ってた?
持てる強者は自分たちに変わる必要性を感じないから
時代の変化に適応できずに消えていき、
持てない弱者は変化に適応して自分たちも変化してきた。
弱いからこそ進化&成長(チャレンジ)を受け入れ、
結果的に生き残ってきたってことだよね。
これも「足りない」を補うために必要だった生存欲求のひとつ。
 ➡ 安全&安定を確保したいという原始的な本能

際限のない不安をあおる現代社会。
貧富の差がさらに広がる社会構造。
俺たちは生存本能からくる「足りない」を感じやすい
社会に生きているのかもね。

じゃあやっぱり競争のない共産主義社会がいいじゃないか、って?
でも、共産主義社会では人間の自由意志はリスペクトされていない。
さらに社会貢献度にも個人差が出てくるから、
結局そういことに目が行く人は「恐れや不安」が湧き出ることになる。
まあそれは置いといて。

俺は「足りない」という感情の多くは他人との比較から
来るんじゃないかなって思う。
「自分は他人より持っている」と思えれば欠乏欲求は満たされる。
ついでに、間違った方向の「自己実現欲求」を満たしてたりする。

では、満たされたなら満たされていない者に与えることはできないのか?
これがなかなかできない。
個人の集合体、国家。
この国家間レベルでの関係性を見ても顕著でしょ。
何千年も「十分ではない」という恐れから、
奪い合い(競争)を続けているよね。
大国でさえ「まだ足りない」と思っているのが現実。

ウィスラービレッジ 11月 3

まだ多くの若者が金持ちになって、高級車を乗り回し、
タワーマンションを購入して。。。
なんて憧れていると思うけど、それはつまり
満たされることのない「物欲」のために生きようとしているってこと。
そして、それに気づいていない。

これも元をたどれば、幼少期から親や社会に
教え込まれた「常識」が原因。
常識 = 強者が生き残り、弱者は淘汰される。
 ➡ 弱肉強食、適者生存。

この「怖れ」をもとにした考え方が、何千年も社会を
「共存」ではなく「競争」の中に作ってきた原因だよね。

この競争社会のために、個人レベルでの格差はもちろん顕著だけど、
地球レベルで多くの問題が発生してる。
「もっともっと」が余剰な食の生産を加速させて余らせ廃棄する。
自然という完璧な循環システムは壊されて、
奪い合いによる戦争によって多くの犠牲者が出て。。。

こうやって考えると「足るを知る」っていう思考は
とてつもなく世界を変えるけど、
ものすごく難しいことだって見えてくるね。

どうやったらこの「足りない」を「足りている」という価値観に
書き換えることができるのか?
ブッダや老子は軽く言うけど、そこを教えてほしんだよね。

ウィスラービレッジ 11月 4

成功者の多くが、この歯止めの効かない強欲を経験した後、
節約、質素な生活に戻っています。
ミニマリストになっていくみたいだよ。
物欲を満たそうとしても何も満たされない自分に気付くからだね。

そりゃあ行くところまで行って満たされれば。。。
って思うけどさ、そういう「ひがむ」こころは捨てて
ここから学ぼうという姿勢を持ちたい。

で、こういう成功者の行動心理から分かったことは、

物質的欲求を「満たした」という目安 ➡ なし

悲しいけど、人間の生存本脳を考えた時に
まずはここを受け入れることから始めるしかないような気がするね。

かといって、お手上げですってことではなくて、
俺はここからさらに学びを見つけようと思う。⇩

◉ 自分の根本的な不安や恐れを払しょくしない限り、
  「足るを知る」ことはできない

そう、自分で自分の「不安や恐れ」を洗い出せれば
「足るを知る」レベルが見えてくる。
俺はそう思う。

<参考に>
「足りない」の多くの原因になっているのは「お金」。
(他にもあるかもしれないけど)
ダニエルカーネマンの研究によると
「年収$75000になるとアメリカ人の幸福度は変わらなくなる」
という結果が出てるんだよ。
物欲が止まらない人はこれを目標額にしてもいいね。
($75000が日本人の生活スタイルに当てはまるかは別の話)

例えば、自分で毎月の収支を記録して、
冷静に論理的に「要るもの、要らないもの」を洗い出すと
自分の「幸福度が変わらない」境界線が見えてくるね。
だって「要らないもの」を手に入れているってことは
強欲による行動の結果だから。
ちなみに、その額は人や環境によって代わるから
比較するものではないからね。

この収支記録という作業をさぼって、
現実を見て見ないふりをする限り
「足りない」という目に見えない「不安、怖れ」を
永遠に抱えて生きることになる。
いくら稼いだとしても幸福感を感じることはないまま死んでいく。。。
かもしれないね。

ちなみに、この作業は自分のなかにある不安や恐れを
洗い出す方法の一つでしかないからね。
でもこういう作業の共通点は

◉ 見えていない不安を目に見えるようにする
◉ 見えるようになるから具体的な対策が立てられる
◉ 結果として「安心」という幸福感を得る=「足るを知る」

こういう結果を得るための作業ということ。

バンクーバー ダウンタウン

こうやって「安心」を積み上げて「足るを知る」という感覚を得てきたら
次はこういう風に生き方を変えてみたいね。

➡ 「お金、時間、健康」、これらのバランスを保った人生を設計する

人や環境によってこのバランスは変わってくるけど、
お金を考えないで良いなら、きっとほぼ全員が
「もっと時間と健康が欲しい」という言うはず。

「健康」は言わずもがな。
毎分毎秒、「時間」は2度と戻ってこない授かりものだからね。
「時間」においては使い方をじっくり考えてみたい。
考えるというよりも、自分の情熱や充実感に従ってみたい。

時間を手に入れたら何に使うか?若いなら特に
 ➡ 自分の「成長」にお金を使う
こう考えたいね。

忘れたくないのは、人生は

「どれだけ持っているか?」ではなく、
「どれだけ成長したか?」ということ。


さらに、「時間」の考え方を変えたい。

 ➡ 時間とは「創造活動を行うために与えられた機会である」


つまり、クリエイティブになって、自分という作品を創り上げていく。
そして、他人や社会のために自分の能力を活かす喜びを体感する。
そういう時間の使い方を習慣にしたいね。

こういう生き方なら「足るを知る」どころか、
「毎日充実している」という人生になるかもしれない。

時間をかけてじっくり自分の人生の価値観を洗い出し、
その洗い出した価値観のために時間を使う。
「7つの習慣」でも書いてあったね)

お金が有り余る人は、お金でもっと時間を買いたいし、
モノ(快楽)を買うより投資したいよね。
健康に投資、株に投資とかね。

最後に、「足りない」という見えない不安に動じない心を養うために
こんなことも実践してみてはどうかな。

1.幼少期に大人や社会から教え込まれた「当たり前」を書き換える
2.自分の能力を疑わない
3.他を成長させるから自分にも還元されるという真実を知る

「自分の心が現実を創り上げている」と
量子力学や仏教でも言われていることを考えると、
怖れを抱いている時点で「足りない」という現実を引き寄せて
それを経験しているということになる。

俺自身も「自分にはちゃんと与えられる」と疑念を抱かなくなった時に
「足りている」という現実を今も体験してます。
もちろん積極的な生き方をした上での話だけど。

いくら君たちが懸命に生きたとしても、この不安を抱えたままだと
「足りない」という現実をありがたく頂くことになる。
俺ももちろんずっとそれを経験してきた。
だってそういう観念を親やら社会から植え付けられてきたからね。

だから、周囲のせいにしても「足るを知る」状態は経験できない。
自分の心(観念)を自分で書き換えないと「足りている」状態は
経験できないんだよね。

「7つの習慣」でも主体的に生きろ!って言っているけど、
人生は自分でしかコントロールできないから
自分の思考や感情もすべて自分で変えて行かないと
人生は変えることはできないのさ。

「足るを知る」という境地を会得できれば、
穏やかで、しかしパワフルに生きることが可能になる。
だったらできることを今日から始めようって思うでしょ。

俺は今回少ししかアイデアを提供していないけど、
君なりに探してできることを実践すればいいんだよ。
年齢も関係ない。
自分を書き換えた時に人生は変わり始めるのさ。

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