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現場に資する組織開発とはなにか

最近は、自分の生業でもある組織開発を批判的に検証する、ということをおこなっている。社会人になって以降、ずっとこの界隈にいるので、組織開発を批判するということは自身のアイデンティティを批判するということと同義であり、つらい作業である。

とはいえ、批判的の組織開発を再検討することは以下のような理由で求められている。現場のプロフィットセンターで十数人をマネジメントする立場からすれば、組織開発はおおくの課題を抱えていると思えるからだ。

たとえば、組織開発は中長期的で、持続的な実践が必要な取り組みであり、投入したコストに見合う成果があがったのか効果測定が難しいという側面がある。短期的な成果をいかに出すかを求められる現場のマネジメントからすれば、致命的な弱点である。ぼくは以前、この弱点を認めつつ組織開発は信念のプロジェクトであると言った。

個人や組織の可能性の最大化のための実践を地道に信念をもって継続することが大事である、という主旨だ。とはいえ、現場のマネジメントは手持ちのリソースをどのタスクに振り分けるかを、刻一刻と変化する現場のなかで采配しているのであり、地道に実践すること自体の難易度が高いように思える。そういう意味で、ぼくの信念は薄れつつある。

そして、組織開発は往々にして人事や外部のコンサルタントによって進められることがおおく、その理論やべき論のほとんどが、現場の実態を無視した理想論に偏っているように思える。時間があればいくらでも実践できるが、その時間をどう捻出するのか、プロフィット創出のための時間とのバランスについて、人事や外部のコンサルタントは教えてくれない(ぼくは組織開発の実装論が必要だと考えているが、それについてはまた別の記事に書くことにする)。

組織開発の主体者は、人事や外部のコンサルタントではなく、現場で働く人々である。複雑化する組織において、もう少しは組織開発待望論がでていいはずだが、その声は少ない。組織開発は現場に資することができているのか。ぼくたちは考え続けねばならない。

最後に。こうした批判記事を書くと、シラけた態度を取られたり、敵認定され関係性を切られてしまうことが増えているように思う。特にSNSでは。とはいえ、ぼく自身が組織開発を生業にし、日々のマネジメント活動において組織開発をしている人間である。この記事における問題意識は、組織開発の発展を目指している。ぼくの真意はここにある。

組織開発の批判的再検討をともにおこなう仲間が増えることを願っている。

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