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トンネルを抜けると、そこは絶景、五つの村であった イタリア チンクエ・テッレ

 漆黒のトンネルの向こうには、果たしてどのような光景が広がっているのであろうか、と淡い期待を持たれたことはあるであろうか。

 スウェーデンからトンネルを越え、南下するとデンマークが出現する。日本では本州からトンネルの中をジョギングして南下すると九州に出る。北海道では、トンネルに入り込む前では視界が通っていたのに、トンネルを出たら濃霧の世界に包まれた。新潟県と長野県では、トンネルを出たら次のトンネルがあった。((日本でトンネルの数が一番多いのは大分県))

  それではイタリア北西部の La Speziaのトンネルを抜けたところには何があるのであろう。


  トンネルを抜けると、そこは五つの村であった。


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 2017年9月中旬、電車に乗り、トンネルを出たところにはイタリアの世界遺産、チンクエ・テッレ(Cinque de terre)、五つの土地があった。何世紀にも亘り、リグリア海の断崖に佇んでいた村々である。

 ここは、「死ぬ前に行きたい世界の絶景」の一つとも評されているようなので、ジェノバ、ピサ、フィレンツェ、ボローニャまでいらして、二泊ぐらい余裕がある場合は、是非お勧めさせて頂きたい場所である。

 興味のある方は、チンクエ・テッレで検索すれば、太陽の輝く日に撮影された色彩豊かな多くの写真が出て来るので、そちらの方を見て理想を描いて下さったほうが楽しいかもしれない。

  私の写真は、曇天の秋のチンクエ・テッレであるが、それはそれで、また風情があった。

 

  ここでは、私が、一旅行者として、どのようにこの場所を訪ねたのか簡単に紹介させて頂きたい。旅行の仕方は十人十色であると思うため、どの人の旅行記も参考になるものであると思う。

 

 私はLa Spezia(ラ・スペツィア)の鉄道駅付近のゲストハウスに合計二泊してチンクエ・テッレを訪問した。ゲストハウスの詳細に関しては後日、ゲストハウス記事にて紹介させていただきたいと思う。

  

 さて、朝食のあと、駅まで歩き、チンクエ・テッレカードを購入した。訪問した時は一日券で7ユーロ強ぐらいであった。このカードで五つの村を自在に周れた。

 

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 注釈されなければ、イタリアか日本か見分けの付かないようなラ・スペツィア鉄道駅である。

 写真では人影があまり見られないが、当時の電車の中は観光乗客が押し合い東海道線顔負けの混みようであった。

  

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トンネルを向こう側に出たところ。

  

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断崖に打ちつけるリグリア海の荒波。

  

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 色とりどりの家並み。断崖の上にそびえている家々。  


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 近くから見ても不可解な入り組みかたの家並み。

   

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 ハイヒールを履いていたことを後悔した瞬間。

     

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 右手に付きだしているレストランの奥でspaghetti frutti di mare(シーフードスパゲッティ)をいただいた。

 チップとして五ユーロをコップの下に置いてレストランを出たところ、給仕の若い青年が驚いたようで走り出て来た。

 彼は何度もお礼を言って握手を求めてきた。

 この反応にはこちらの方が驚いた。

 

 最近はチップを残して行く人が少ないのであろうか。

 

 あの青年は、パンデミックの影響で、おそらくレストランに観光客が居なくなってしまった春の間を一体どのように過ごしていたのだろう、と時おり考える。

 

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 この村々に住んでいる人たちは、毎朝、窓を開けてリグリア海を臨み、その機嫌を伺っているのであろうか。

 現実的な人間なので、これらの建物の作り、およびインフラはどのようになっているのであろう、と考えてしまう。果たして暖房、冷房等はあるのであろうか。

 また、トイレなどはどうなっているのであろうか。

 この時のイタリア旅行では便座のあるトイレを探すのに難儀した。

 また、これらの家並みの裏側はどのようになっているのであろうか。

 

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  この辺はストックホルムの旧市街を彷彿される。

 雨の中の小道というものは独特の表情を演出する。

    

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 これは非常階段なのであろうか、二世帯住宅なのか、時間があれば研究をしたいところであった

 

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 電車の中は満員であったが、村に到着したらそれぞれ分散するのでそれほど混みあっては居なかった。

 観光客が多勢のグループで移動していたフィレンツェなどから移動すると落ち着けるかもしれない。 


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  訪問した時は秋であったが、夏にはここも半裸の人たちで賑わうのであろう。

 

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 ここは、五つの村の中では西北端モンテロッソ・アル・マーレ(Monterosso al Mare)、すなわちラ・スペツィアからは鉄道で訪問する場合には一番最後の村である。

 モンテロッソ・アル・マーレには雰囲気の良いレストランが多く点在していたが、性格的に、滞在先から遠くのレストランで夕食を頂くと落ち着かないため、夕食は滞在先のラ・スペツィアでいただくつもりであった。

 

 未練はあったが、私を見つめていた魚の目とスパゲッティの束に手を振りながら帰路を急いだ。

 

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 これらの雰囲気のあるカフェバーは現在どうなっているのであろうか?

 おそらく観光収入が激減したであろうチンクエ・テッレの現在は?

 

 ネットで調べてはみたが、あまり情報は見つからなかった。

 

 この土地は北イタリアに属している。

 トンネルの向こう側までには疫病が広がらなかったことを祈る。

   

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 イタリアと言えば、私にとってはカンツォーネである。

  以下は私の一番好きなカンツォーネであるが、歌詞がわかったら素晴らしいかもしれない、あるいは落胆するかもしれない。

 歌われている内容を勝手に想像しているほうが哀愁が感じられる場合もある洋楽もあるかもしれない。



イタリア、死ぬまでには一度は訪ねられて欲しい国である。 


ご訪問いただきありがとうございました。

今回の写真はIphoneで曇天小降りの日に撮ったものですが、将来的に五つの村を再訪する機会があれば、天気の良い日を選んでカメラの高画質で朝景から夜景までを撮りたいものです。



 

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