【3日目】私の最初の就職

父は公務員、実家はおもちゃ屋を営んでおり、おもちゃ屋の仕事は母がしていました。二人の姉は英語教師、歯科医(現在は子育てに専念)のため、どこにいても働ける、何歳になっても働ける、会社に所属しなくても働けるという意味での”手に職”ということはずっと意識していました。女性も男性と同様、一生働くものだと思っていました。

大学で演劇をやっていて、大阪や東京にお芝居を観に行くようになり、役者の夢も捨てきれなかった私は、東京で就職して働きながら役者を目指そうと決めました。

専門職だったら、辞めて役者を目指した時に、アルバイトの時給が高いだろうからという理由でSE職を選びました。

ただ、大学4年の頃、父と母が離婚したため、母に何かあったらいつでも帰ってこれるように、九州にも支社がある会社を選びました。

とはいうものの、このSEの会社、10カ月が経つころ(1999年)、まず先輩から解雇されるらしいと話があり、

そして、後日、社長から呼ばれ、向いていないという理由で、形の上では自己都合退職しました(会社側の都合にすれば今後の就職が不利になるからと言われて)。

会社側から解雇なの、私は役に立たないってこと
って思って、とても傷つきました。「能力がない」と言われたようで
(この時の自分に、今の自分は、「向き不向きであり、能力がないわけではないんだよ」と伝えたい)、

プライドの高さから、このことは誰にも言ったことがなく、親から辞める理由を聞かれても、役者をやりたいからとしかいいませんでした。

私はこれを機に、役者をやるなら27歳とかあとになって目指して、それでもしダメで、そこからまた就職するのは遅すぎるから、今、役者を目指したほうがもしダメだったとしてもどうにかなると思い、役者を目指すことに決めました。(このときの考えが「ダメ」前提、なんですねw)

劇場でアルバイトをして主な収入を得て、ダンスのレッスンやオーディションを受けたり、阿佐ヶ谷スパイダーズのスタッフをしたりしたのですが、ここではっきりと思ったことは

続けられている人は、
東京出身で家賃や生活費を稼がなくていい人か、
親が芸能関係か、
幼い頃から劇団ひまわりに入っていたりダンスレッスンをしている人。

わたしなんか無理。

でした。

大学時代からずっと役者になりたい(役者になりたいというより、鴻上尚史さん作・演出のお芝居に出たかった)と思っていたのに、

今まで何だったんだろう、東京まででてきて、あんなにみんなにも言ってきたのに。
これからどうしていけばいいんだろう。

八方ふさがり。人生で初めて死にたいと思った出来事でした。死んだら親が悲しむと思い、

これまでを振り返り
・高校から中国語を勉強し大学も中国語専攻(本当は心理系の大学に行きたかったが、父から姉の学費にお金がかかったから、地元の大学にいってほしいといわれた)だったのだから、なんだかよくわからないけど、中国に縁がある。

お金を貯めて中国に留学しよう!!

と決めて派遣社員として働き始めました。その勤め先のビルのコンビニに中国情報専門紙が置いてあるのを見つけて、こんな新聞があったことに驚きました。そして、なんと社員募集の記事が!!

2000年8月の出来事でした。
それから3年半勤めることに。

長くなりました。
今日はこの辺で~^^

#挫折 #就職 #キャリア #リストラ



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