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僕の走る世界/見え過ぎないから良い

ご存知の方も多いとは思うが、僕は愛知県新城市に住んでいる。愛知県の北東部、奥三河と呼ばれるエリアの入り口に位置する人口約45,000人弱の自治体だ。人口の割りに面積が広く、県内では豊田市につぐ2番目の広さ、そして面積の8割ほどを森林が占める典型的な山間地域と言えるし、愛知県の中にあっては数少ない過疎地域でもある。「自然豊で…」という使い古された常套句で表現される様な場所だ。まぁ、しかしものは考えようで、長野の様に高い山も、沖縄の様な美しい海もないけれど、親しめる山や森、そして川があり、人口密度が少なく、愛知県にしては車の往来も少ない。そんな我がまち新城(しんしろ)は僕らの様に自転車やトレイルランニング、アウトドアアクティビティーを楽しむためにはまさにぴったりな土地でもある。

さて、昨日綴った「ランニングにまつわる悲喜交々」の中で書いた様に、今日も仕事後、走りに出た。田舎の良いところで、Door to Doorで基本誰にも合わない。まぁ、走りに出たといっても今日はたった2kmと少し。とは言えたった2kmされど2kmだ。ちゃんと自分で決めた一歩一歩が大切だ。相変わらずペースは早くないものの、今日は調子が良いのか、あの嫌な苦しさはあまりない。そう、こうやって少しづつ少しづつ、そんな積み重ねがスタートしている。

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僕は夜のランニングが好きだ。ヘッドライトの照らす独特の視界、世界観。ここ新城は都市部と違い居住エリアを離れ、田園エリアに入ると街灯も少なく、あたりはすぐに暗闇に包まれる。そこは街灯が標準装備の都市部の公園や市街地と違い、やはりここ新城でのランニングにライトは必須だ。 聞こえて来るのは今の季節ならカエルの大合掌だ。僕はランニングする時に音楽やラジオはほとんど聞かない。カエルの合掌、風や川の音、自分の呼吸、足音。こんなに有機的で豊な音の種類があるのにどうして安全面的にも、季節折々の音を楽しめるのに、わざわざ耳を塞がなければならないのかわからない。そうした世界に加え、その暗闇の世界を照らすスポットライトの様なヘッドライトの光に照らし出された限定的な視界を見ながらぼんやり独特の、ひとりの世界に浸るのが楽しみのひとつでもある。限定的に照らされる世界の中で耳から感じる自分の調子、そして自分の暮らす街の豊な自然の呼吸。その世界観は「限定的」であり「見え過ぎない」から良いのだと思う。現代は多くの事柄は多分あまりに明るく、あまりに見えやすく、あまりにはっきりくっくりが良いとされ、あらゆる側面で合理性を求められ、その結果あまりにその鮮明さや、速度が早くなり過ぎている様にも思える。そうした暮らしの中には考え立ち止まる余裕も、想像力を働かせたり、自分と向き合う時間など、人が人らしい大切な陰影のある、有機的な部分が失われていく様にも思える。

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そんな中、真っ暗とも言える田舎の闇の世界を照らしてくれるヘッドライトの光の輪と、耳から伝わる自分のリズム、自然のリズム、息遣いを感じる時間は例えそれが2kmという短い時間であっても、やはり格別で特別な時間なのだ。たった2kmというわずかな時間でも、日常の中にそうした時間があることがとても幸せである。

ただひとつ気になるのは、それぞれがどんな世界感や意図、趣味趣向を持つにせよ、このほぼ真っ暗な田舎で夜の散歩やランニングに、ヘッドフォン&無灯火の人を時々見る。自身の無用心で自分が痛い目に会うのは仕方ないが、その無用心のせいで、意図しない車のドライバーとお互いにヒヤリとしたり、結果残念な事故になってしまうこともある様なので、運動公園など車両通行のない限定的な場所でならともかく、夜のランニングを無灯火や大音量のヘッドフォンをお供とすることは是非避けて欲しいと切に願う。

※写真はwebより使わせていただきました。

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