自己紹介
いつも記事を読んでくださってありがとうございます。コウスケです。これまで長らく自己紹介記事を作らずにnoteに記事をアップしていたのですが、ここらでひとつ自分自身の経歴ややりたいこと、伝えたいことなどをまとめたいと思い、自己紹介という形で表現することといたしました。
略歴
1982年、福島県原町市(現・南相馬市原町区)生まれ。
原町高校、法政大学法学部政治学科卒業。
一部上場企業(ベネッセコーポレーション)、ベンチャー企業を経て2011年の311をきっかけに地元のNPO法人理事に。様々な復興支援事業に参画後、独立。結婚を機に縁もゆかりもない北海道へ移住。自給自足の暮らしや育児、二拠点暮らしなどを経験し合同会社を起業。現在は衆議院議員秘書。
7色の経歴を持つ男
略歴の後半、情報量が多すぎて「ん??」となった方も多いはず。丁寧にご説明していきます。
実は私、
という7色の経歴を持っているのです。調査したわけではないですが、日本広しと言えども、これだけあれこれやった経験がある方はほとんどいないのではないかと思います。
ひとつずつもう少しだけ詳しく説明します。
大企業時代
ベネッセコーポレーションという一部上場企業にて高校営業という部署に配属されました。高校向けに進研模試などの学力テストを販売し、学力分析や学生向けの講演まで行う仕事です。仙台にある東北事業所で、初年度は宮城・山形と福島の一部を担当し、翌年度は岩手と青森を担当しました。
さすがの大企業で、休みもしっかりとしているし社員研修制度も整っているし、後で振り返ってみると一番待遇が良かったんじゃないかと思います。ただ、環境が整っている分、レールに乗って仕事をしている感覚がありました。
ベンチャー(ブラック)企業時代
元々僕はマスコミ志望でした。学生時代はテレビ局と広告代理店を何社も受け、ことごとく落ち続けてきた経験があります。なので、やっぱり憧れがあったんですね。広告業界に転職をしました。とはいえ、第二新卒で大手広告代理店の募集なんてあるわけもなく、社員三十人もいない、小さなベンチャー代理店に受かりました。
小さいとはいえ、大手広告代理店の企画と制作を担っており、メジャーな案件をいくつも抱えているイケイケの会社でした。人数が少なく、イケイケ。ということは、そう激務でした。今で言うブラック企業で、入社してから1年は毎月の労働時間が300時間を切ったことはありません。取引先のD社の担当からも日々暴言や脅しの言葉を頂戴しながら、心臓がヒリヒリする毎日を送っていました。
転機は中国での制作管理の仕事をメインにするようになってから。海外というのが肌に合っていたらしく、中国語も覚え仕事もようやく楽しくなってきました。仕事が楽しいと不思議なことに成績もぐんぐんと伸びていきます。人の倍働いたこの会社で、挫折も失敗も成功も成長も経験し、僕の社会人としての基礎を作り上げてくれました。
ここで学んだ、S P(セールスプロモーション)、マーケティングがその後の仕事のベースになっています。
詳しくはこちらもご参照ください。
NPO法人時代
2011年に東日本大震災が起こり、地元が大変なことになっていることを知った僕は「震災復興に携われるのは今しかない!」と考え、周囲の反対を押し切って会社を辞めて被災地に飛び込みました。南相馬で立ち上がったばかりのNPOに参画し、理事として経営に携わりました。
ここではこれまでの人生では決して出会うことのなかったであろう大手企業のお偉いさんや政治家、官僚や大使館、ミュージシャン、芸能人などと共に事業を行うという貴重な経験をたくさんさせてもらいました。
本当に多くの人と出会い、事業を作るということ、経営というものについて学ぶことができました。認定NPOの資格取得まで行いましたが、残念ながらこのNPOは僕が辞めた後理事長の横領が発覚し解散することになりました。
詳しくはこちらもご参照ください。
任意団体時代
先ほど紹介した僕が理事を務めていたNPO法人と、株式会社と一般社団法人の3社でコンソーシアムを組んでIT事業を興したことがありました。アプリ開発者の育成事業です。僕はそこの役員として事務局長を担いました。この事業には南相馬市を経由して約5000万円の補助金を調達しました。
これと並行して、以前勤めていた広告代理店から日本初上陸するボランティア型音楽フェス、ロックコープスのコーディネーターの依頼も受けました。福島で開催する際のボランティア案件のまとめ役ということでしたが、さすがに僕一人では荷が重かったので別に任意団体を立ち上げ、受託することにしました。
しかし、結婚と移住という決断のためにこの2つのプロジェクトからは道半ばで外れることになりました。
フリーランス時代
形式上ではありますが一番長くやっているのがフリーランスかもしれません。会社員だろうが役員をしていようが、個人事業は細々とできますからね。NPOでも任意団体でもない仕事を受注する受け皿として開業届を出すことにしたのがきっかけです。
当初はイベントの企画や運営を主な仕事としていました。そのうち、営業資料の作成や講演資料の作成、記事のライティング、販促企画、経営企画やWebマーケティング、映画の広報など幅広い領域に携わらせてもらいました。
クライアントも多様で、有名企業、外資、地元の中小企業、第3セクター、一次産業従事者、行政などなど。
その中で今も継続的にお声をかけていただいているのはライティングとSNS関係、P Rやイベント企画です。
合同会社起業時代
2017年6月に妻と合同会社番を設立しました。当初はこれまでそれぞれがフリーランスで行っていた仕事を法人化するイメージで立ち上げたのですが、コンセプトなどブレブレで思ったようにうまく経営はできませんでした。
会社立ち上げて妻と一緒に仕事もするようになって余計に喧嘩が増えたように思います。それぞれやりたいことや趣向が違うのに一緒に何かやるっているのは相当難しいことなのだと実感した次第です。フリーランスと法人の差は確定申告でも大きかった。相当苦労しました。
それでも、少しずつ軌道修正をしながら番としてコンセプトも固めながら細々と継続をしているところでございます。現在は『小さな広告代理店』ということで、広告の企画制作、Webマーケティング、ブログの運営などを行っています。
国家公務員時代
起業したはいいけれども、コンセプトはどうするのか、自分が本当にやりたいことはなんなのかもやもやとしている時期がありました。起業したものの当初はそれほど収入もなく苦しい時期で、生活を立て直す必要性にも迫られていました。
そんな中、見つけたのが自分自身の原点であった歴史好きというポイントでした。そういえば歴史が好きだから大学で政治を専攻したのだったと気づき、友人の選挙を応援に行き、一度この道に入ってみようと決心しました。
元々の知り合いであった政治家秘書に紹介をお願いし、秘書業を始めることになったのです。国会議員の秘書には国から給料が支払われる公設秘書と、政治家本人が雇う私設秘書があります。幸いなことに、僕は公設秘書として採用され国家公務員特別職という待遇になりました。
現在までに2人の衆議院議員に仕え、日々業務に取り組んでいます。
noteを通して伝えたいこと
長々と私の経歴の振り返りにお付き合いいただきありがとうございました。自分で自分自身のことを書き出して客観的に見ていく作業というのはとても重要であると僕は考えています。何度も繰り返し行うことで自分自身の軸が見えてきますし、自己受容にもつながります。新たなチャレンジをする際にも参考になります。
僕自身、20代から30代を通して迷いと変化の連続でした。やってみようと思ったことには積極的に取り組んできました。周囲からの反対やバッシングもたくさんありました。でも、自分の人生です。人にどう思われるかよりも自分がどうしたいのかを大切にしてほしい。20代の自分にそう伝えたいと日々思っています。
当時の僕のように、人生に迷っている人、キャリアという概念に縛られている人、苦しい思いをして辞めたいのに辞められない人に、こんな生き方や選択肢もあるよと僕の人生を通して伝えたい。
僕はキャリアというものはイコール仕事のことだけではないと考えています。パートナーや家族、育児など暮らしに関することもその人のキャリアの一部であり、重要な経験です。僕は仕事なんかしないで100%育児に専念していた時期もありました。お金はなくて生活は苦しかったけど、その時期にしか得られない貴重で幸せな体験を得ました。
辛く苦しい日々ではなく、自分が幸せと感じられる日常を送れるようなヒントを発信していきたいと思います。やろうと思えば社長にだって公務員にだってなれるんです!自分の環境や人生を変えられるのは自分だけ。
もし少しでも内容が気になって下さったら、フォローをしていただけると嬉しいです。皆様、今後とも宜しくお願いします。
おまけ:趣味や好きなことなど
ごくごく個人的な趣味嗜好などを追記していきます。気が合う方がいたら嬉しいです。
●歴史好き
歴史好きと言っても色々あるかと思いますが、僕はストーリーが好きな派です。ゆえに大河ドラマや司馬遼太郎の小説などをよく読みます。寺社仏閣巡りも好きで、好きなお城は鶴ヶ城、好きな仏像は百済観音と半跏思唯像です。当時の情景に思いを馳せることにロマンを感じます。
最初は日本史専門だったのですが、大学に入る頃から中国史にもハマり、現在では世界史の方も研究するようになりました。
●漫画好き
好きな漫画はたくさんありますが、朝まで語れるぜ!というものをピックアップ
他にも色々ありますが、これが熱いかな。
●中国ドラマ好き
中国のドラマを見ると言っても、時代劇専門です。近年の中国はふんだんに予算を使用していることもあって本当にすごい。スリーキングダム、宮廷女官若曦などが好きです。
●ベガルタ仙台サポーター
10代の頃からベガサポです。2001年の京都戦での財前の昇格決定ゴールは忘れられません。
●方言好き
昔、テレビ神奈川で「方言彼女」という神番組がありよく見ていました。地方に旅行に行った際には方言が聞きたくて仕方ありません。方言好きが高じて、20代の後半には中国語にハマりました。
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