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キャリアから考える、自分が持つスキル〜人生のターニングポイント編

インスタグラムのコンセプトを考えるにあたって、自分自身について整理をしております。前回の20代編から引き続き、人生の大きな転機を迎えた出来事について振り返りたいと思います。この出来事はキャリアどころか価値観さえも大きく変化させました。


2011.3.11.14:46

今年でまるっと10年を迎えますが、この日が人生の大きな転機になりました。僕の311の体験は別に綴っていますので詳しくはこちらをどうぞ。

311は僕だけでなく、日本中いや世界中に大きな影響を与えた出来事だったのではないでしょうか。


トラブルはチャンスだ!!

311の影響を受けたのは日本だけではありませんでした。僕がいた会社では311が金曜日だったので週が明けた314から約1週間の自宅待機を命じられました。

原発の爆発が続いているというニュースを聞いた僕は地元南相馬に家族が住んでいるので気が気ではありません。毎日テレビにかじりついて東北の様子をただただ眺める毎日でした。この時の出来事や気持ちはこちらの記事に書いています。


日本は1週間止まったままでしたが、中国の工場は動いていました。そして品質を管理する者のいない現場では大変な事態に。

日本に送ってもらった商品の品質が著しく悪い。震災から10日後、僕は中国に飛ぶことになりました。担当している案件全てでトラブルが発生。リスケジュールや資材調達、工場ラインの再設定などすることに。

さらには、別部署の案件も炎上しているらしく、現場に詰めている僕が合わせて確認、管理をすることになりました。しかし、トラブルは雪だるま式に増え続け、3月末から4月いっぱい日本に帰れず、夜寝る間も惜しみながらトラブル処理にあたっていたのでした。

地元のことが気になるけれど、目の前のトラブル対応に忙殺され、文字通り心を殺されていったのです。忙しすぎたのと震災の影響が気になりすぎたのとで、精神が蝕まれていき、ついには2度目の自殺願望の境地にたどり着きました。この時は中国にいたのでチベットまで逃げて出家しようとか意味のわからないことを実行しようとしていました。

そのため、1度ゴールデンウィークに日本に一時帰国(2泊3日)させてもらい、被災地に足を運んでまた中国へとトンボ帰り。6月上旬まで中国でトラブル処理をし続けることとなりました。

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2011年5月の南相馬市原町区北泉

膨大なトラブルをなんとか着地させ、報告資料と改善案を作成して役員と一緒にクライアントに謝罪と説明に出向きました。1つ1つのトラブルの原因と、今後それを起こさないための物理的な対応策。ある種「失敗」と捉えられてしまうトラブルですが、逆に今回のトラブル処理をクライアントに評価していただき、「伊藤さんじゃなきゃダメだ」とかえって信頼してもらえるようになったのです。大きな仕事も指名してもらえるようになり、ますます会社の貢献度は高くなっていきました。

【学んだスキルと教訓】
●キャパオーバーした時はとにかく業務の手離れを意識する
●自分にしかできないことと、人に依頼することを選別する
●トラブルはチャンスである
●解決策は理想論ではなく物理的に
●キャパオーバーしすぎるとありえない現実逃避を行動に移しそうになる


辞めるなら今しかない

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南相馬市役所

中国から日本に帰って早々に高校の同級生から電話がありました。
「助けてくれ!」
と。

彼が手掛けている復興支援活動を手伝い始め、僕は会社と復興支援活動との2足の草鞋を履き始めました。会社も株式上場を果たし、昔のように350時間も働くことは滅多に無くなりましたが、広告代理店業務というものは生半可ではありません。

非常に悩みました。メリットやデメリットなど色々なものを書き出して比較検討しました。

どこからどう考えても順調に行っている今の仕事を続けるのが正しい道でしたが、心が福島の復興をやりたがっていたのです。

サラリーマンはいつでもできる。大変な状態の地元の復興支援をやれるのは一生のうち今しかない。

そう考え、今しかできないことを選択しました。

僕はこの会社に入社して1年くらいはつらくて辞めたくて仕方ありませんでした。給料は低いし残業ばかりでプライベートな時間もない。上司にも客にも怒鳴られる毎日。でも、今辞めたら逃げだと考えていたので耐えました。

いつか会社に必要な人材になってから辞めてやる、そう考えていました。その時が来たのです。ちょうど昇格したばかりでした。あと数ヶ月会社にいたら、恐らく数百万円のボーナスをもらえたことでしょう。

でも、それがなんだ。一番いい時に惜しまれながら辞めることができるのは幸せなことなのだと思います。おかげで僕は少しだけ自分に自信が持てるようになりました。

【学んだスキルと教訓】
●考えて考え尽くしたから最善の道が見える
●一番いいタイミングで辞めるのは個人としては幸せ
●きっと会社としては悪いタイミングだったに違いない
●迷ったら心に聞く。そして後悔しない方を選ぶ


人生のターニングポイント編まとめ

僕の20代のサラリーマン人生で最も充実していたのが28、29歳のこの時だったように思います。トラブル処理は辛かったけど、一番輝いていたようにも感じます。

だって自己有用感をものすごく感じられたから。この時のトラブル処理は僕にとって、ある種の成功体験でした。おかげで社内外で認められるようになったのです。

人に認められると自信に変わります自分に自信が持てるからチャレンジができる。当時の僕の自信なんて本当にちっぽけなものでしたけど、会社を辞めて生きていくという決断ができたのはかなり大きなことでした。


次回予告

いよいよ20代が終わり30代に突入します。特に福島でやっていた活動はものすごく濃くて、全部書いていったら大変なことになるんじゃないかって思っているので、できるだけ簡潔にまとまるように工夫します。次は福島で得たキャリアです。この時得た経験と人脈が10年後経った今でも続いているのです。

ありがとうございます!これを励みに執筆活動頑張ります!