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キャリアから考える自分が持つスキル〜20代編

ここ何回かアップロードしているnoteは、僕がInstagramを活用するにあたって、どんなコンセプトでアップロードしていけば良いのかを考えている過程を公開しています。

そっと記事を見ていただいても結構ですし、コメントなどで僕の人生に介入してくださる方も大歓迎です。


スタートからいきなり大挫折

僕のキャリアのスタートは商社でした。ところが、拘束時間の長さや寮生活など学生時代とのギャップにやられて3ヶ月で退社してしまいました。

社会人になって早々、ものすごい挫折感でした。自分のキャリアを早速台無しにしてしまったという気持ちでいっぱいでした。まさしく黒歴史ですね。面接で聞かれた以外で、今回初めて公に晒しました。

【学んだスキル】
●社会人マナー


「大人チャレンジ」で転職を決意

再度就職活動をして今度はベネッセコーポレーションに入社しました。学生時代塾講師を4年間していて教育というものに興味を持っていたのと、単に超大手だったからという理由です。

ベネッセでは高校営業として東北事業所にいました。模試を高校に売る仕事です。1年目は宮城・山形を担当し、2年目は岩手・青森を担当。ルート営業もあれば新規営業もありました。地図や過去のデータから効率の良いルートを考えたり、営業の優先順位をつけていったり、戦略的な営業というものを学びました。

ベネッセ自体はとてもホワイトで良い会社でした。しかし、当時会社内部は随分とドロドロしていまして、経営不振で創業者一族ではなく外部から社長を招聘し経営の立て直しを図っていたところでした。そして業績が回復してくるや否や、外様社長が邪魔になってきたようで、足の引っ張り合いが行われ始めます。

社内では「社長派」と「会長派(創業者一族)」とに分かれて政治争いが繰り広げられます。会社の飲み会も「お前はどっちだ?」という話題で持ちきり。まさに島耕作の世界そのものでした。

そしてついに社内リークにより、社長と秘書の路チューがフライデーされたのです。「大人チャレンジ」というウマい見出しとともに。結局僕は1年半でベネッセを退社しました。

【学んだスキルと教訓】
●戦略的な営業思考
●生徒への講演(60〜90分)の経験
●社内恋愛は本当に見つからないようにやること


石の上にも3年、耐えて耐えて耐えたその先にあるもの

次に転職を決めたのは東京の小さな広告代理店でした。元々僕は学生時代の就職活動ではメディアと商社を中心に動いていました。

この会社を選んだのも、30人ほどの小さな会社ながら大手飲料メーカーなどのキャンペーンの仕事を多数受注していたためです。華やかな世界を夢見ていました。

しかし、実情はかなりどハードな勤務状況。入社3ヶ月で上司がいなくなり1人チームに。トラブルを抱え、失敗をしまくり(幸い金額面ではそれほど大きな損失を出しませんでしたが)、会社のお荷物社員となりました。

依頼先である大手広告代理店D社からは連日怒鳴られ、なじられ、詰められて、毎日心臓が締めつけられるような苦しみの中で働いていました。当時、月の労働時間は330〜350時間。そんな日々が1年以上。

余裕がなさすぎて結婚を考えていた彼女とも別れてしまいました。ここが1社目だったら速攻辞めていたかもしれません。でももう3社目。後がない。石に齧りついても、すぐ辞める訳にはいかない。その一心でツラい毎日に耐えに耐え続けました。

そんな僕に転機が訪れたのはチーム異動でした。

【学んだスキルと教訓】
●責任の取り方
●トラブル処理能力
●自分の体力の限界域
●死んだら楽になるかもという精神の限界値
●社会人の遠距離恋愛はマジ無理


僕を地獄から救い出してくれた中国大陸

部署移動になりお客さんが変わりました。大手玩具メーカーさんがメインクライアントです。これまではキャンペーンの企画提案がメインでしたが、異動によって提案よりも製作が主な仕事になりました。

主にプラスチック製品の製造についての知識が必要でした。製作現場である工場は中国にあったため、中国出張が増えました。元々海外で働いてみたいという思いがあった僕にとって、これは正直何よりも楽しかった。

3泊4日の出張が35泊36日に延長されたり、通訳なしで1週間現場とやりとりさせられたり、大変なことは多々ありましたが、クライアントに詰められて毎日心臓が痛い思いをしながら働いているよりずっとまし。毎日が新鮮で、初めて仕事が楽しいと思えたのです。

現地スタッフや工員と少しでもコミュニケーション取れるようにと中国語を勉強しました。金型の作り方や塗装方法、パッキング、アソート、工場ライン管理など、インジェクションの製作工程やマネジメントについても身につけました。

現地スタッフとのコミュニケーションも良好で信頼してもらっているし、現地で1人で買い物をしたり友達を作ったりもしました。いつしか僕は社内でも1、2を争う中国(製作)マスターになっていたのです。自分のスペシャリティがあるとこれだけ自信が持てるようになるのだと実感しました。僕の中国出張は多い時で年間120日を超えていました。

【学んだスキルと教訓】
●インジェクション、製造の知識
●工場のラインマネジメント
●中国人とのビジネスの仕方
●中国人と仲良くなる方法
●仕事を楽しむと成果が出てくる
●中国で彼女を作る方法


上司が変わった日

順風満帆な中国ライフを謳歌していた僕ですが、ある日大事件が起こりました。ある金曜日、僕は日が回ってもまだ残業をしていました。一緒に残業していた先輩(42歳)から「ご飯食べいくか?」とお誘いを受け、1時過ぎてから新宿南口に飲みに行きました。

そこから歌舞伎町に場所を変えて、先輩が大好きなキャバクラをはしご。朝キャバなるものも体験しました。飲みに飲み続けて家に帰ったのは午前11時。休日だったのでそこから爆睡です。

週明け、出勤すると先輩が入院したという話を聞かされました。どうやらあの後家に帰って脳梗塞で倒れたのだとか。ひとり暮らしだった先輩は発見が遅れ、植物状態に。先輩はそのまま1年ほど入院していたものの、意識を取り戻すことなく亡くなりました。

先輩が倒れて、間も無く新しい上司がやってきました。他部署で実績も十分ありかなり怖いという噂の方でしたが、これまで関わったことのない事業ということで僕らのやり方に対して非常に寛容でした。僕は当時自分で受け持っていた案件が10本近くになっていること、この新しく来た上司に進捗を説明する手間を省くという二重の意味で「進捗管理表」を自分が使いやすいようにまとめました。そして面談の際にこれを見せながら上司に啖呵を切りました。

「既存の案件は僕らがしっかりとやりますので、新しい案件を取ってくることに集中してください」

と。事実、その年のチームの売上は6億円から10億円超えに急上昇。うち6億円分の案件を僕が担当しました。「ゴミ」「クズ」「お荷物」と呼ばれた僕が、名実ともにチームのエースとして活躍できた瞬間でした。もちろん、僕に任せてくれサポートしてくれた新上司のバックアップがあってのことです。

【学んだスキルと教訓】
●複数走らせている案件のマネジメント
●自分がチームの柱になるという意識改革
●積極的に仕事に関わると自分を中心に仕事が動いていくこと
●チームマネジメント
●仕事が楽しすぎると彼女ができない


20代編のまとめ

今の僕の仕事観のベースを作っているのは間違いなく広告代理店時代です。理不尽なこともたくさんありました。辛いことも、そして楽しいことも。

元々、自信があった方ではなかったのですが、叩かれ叩かれ叩かれて、僕は自分に対して自信をすっかり失くしてしまっていました

それでも中国出張というきっかけを通して立ち直り、実績を積み上げることができたのです。どん底からの立ち直り方という点は、今会社でツライ思いをしている若手社員に伝えたいなと思います。

意識改革をすれば、実績はついてくる、と。自分が変われば周囲も変わる

そして、過酷な労働環境でツライ思いをする人を1人でも減らしたい自分らしくその人に合った仕事ができるような社会にしていきたいと思うのです。


次回予告

順風満帆な広告代理店時代も終わりを迎え、僕は次のステージに進みました。その人生のターニングポイントは2011年3月11日でした。次回は、311後に選んだサラリーマンじゃない生き方をまとめようと思います。

ありがとうございます!これを励みに執筆活動頑張ります!