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苦しみからの脱却

こんにちは。お久しぶりです 閉鎖病棟。です

最近は毎日鬱々とした日々を過ごしていますが、皆さんはどうお過ごしでしょうか。

自分は、毎日死にたい死にたいとしか思えず、ただただ涙を流して寝て起きてまた泣いて、の繰り返しの生活をおくっています。

そういえば、4月ですね。新生活や入学式、出会いと別れの季節ですね、
この季節は毎年苦手です。明るくなる空とは反対にずっと沈んでいるこの暗い気持ちを比べてしまい、辛くなるから、、

そんなことより本題です。今日話すのはズバリ
    「過剰服薬した時のこと」 です。

私はこの記事を書いたあとに薬を過剰服薬し、
倒れて救急車で運ばれました。

その時の話を詳しく書いていこうと思います。

2023年2月10日 
私は死にたかった。その時死にたかったと言うより、3年ほど慢性的な希死念慮に悩まされていた

2月10日を遡り、2022年12月23日
精神科を退院した。それから初回の外来のみ行き
あとは家に引きこもる生活を送っていた。

外来に行かなかった理由は何か?簡単に言えば
医療者が私を狙う集団のように思えて怖かった。
 
退院してから、幻聴 幻視 (自分では幻聴と判断できない)や、被害妄想 監視されているなどなど
明らかに統合失調症のような症状がでていた。
その時の自分にはそれが本当だと思っていたし、今振り返っても、やっぱり本当だったんじゃないか、、?と思ったりもする。

そうして、元々あった希死念慮+統合失調症のような症状が重なり、自殺念慮が増していった。

幻聴の内容は主に死ね 生きている意味が無い
お前は社会のお荷物だ ブス デブ ゴミ など、
自分を否定するものばかりで、こんなに辛くて苦しい毎日なら、いっそ終わった方がいいのかもしれない。と思い始めた。

そうして私は着々と死ぬ準備をしていった。
まずは致死量の薬を、そして遺書 身辺整理
でもやっぱり私は未練タラタラだった。
外来は母のみ通院して貰っていたのだが、何を思ったのか私は主治医に手紙を書き出した。
内容は、最近の様子 困っていること、そして死を匂わせるかのような文

そう、私は死にたいと言いながらも助けて欲しかったのだ。文章の最後に、

先生がこの手紙を読んでいる頃にはもう意識が無いかもしれません。そんな勇気あればだけど、

と書き残し、母が外来に行っている間に薬を飲み、ぼーっとしていたら五分ほどで意識が無くなっていた。目が覚めると病院で、点滴やら心電図やら沢山の機械に、繋がれた自分を認識して
あぁ死ねなかったんだな。と、涙が出てきた。

あとから話を聞くと、倒れてから3時間後くらいに母が帰ってきて(病院は車で1時間半かかる)
倒れてる自分を見つけ7119に電話をして救急車が必要かどうか聞いたそう。呼びかけても意識がないならすぐに救急車を呼んでくださいとの事で救急車を呼び運ばれた。救急隊員が部屋に入った時薬の空の瓶が置いてあるのをみつけ、過剰服薬だと判断して病院について直ぐに胃洗浄を行った

そのまま意識が戻らないので点滴、心電図 尿道カテーテル をつけICU入室 呼吸が上手く出来ていなかったため、人工呼吸器挿管  そのまま一日が経ち、ようやく目覚めた。

ここまでが、過剰服薬をするまでから、した後の経過の話です。最後まで見て下さりありがとうございました!次回また生きて会いましょう(*^-^)ノ


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