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カトラリーは外側から順に


最近嬉しいことに友人・知人の結婚式、披露宴にご招待いただける機会が増えている。

2023年1月〜2024年4月現在で計17回出席させていただいた。
また、2024年末までにご招待いただいてるのは8件。
つまり、このままいくと2年間で25回である。

平均1ヶ月に1回以上ハレの場に参加させて貰うことになる。

大変うれしく大変楽しみである。

どのご夫婦とも幸せに満ち満ちており大変華やかで、参加者までも幸せにしてくれるものばかりであった。

なによりお声がけしてくれる友人・知人を持てて自分自身言い難いほどの幸せを感じている。


当然普段の食事会、飲み会の場で集う学友たちも家庭を持つ者も多い。
昔のように遊戯王、ポケモンをやっているというだけで会話の波に乗っていける訳ではなくなってきている。

家庭の話、お金の話、保険の話、健康の話


まだ20.0cmの靴を履いていたあの日
親に連れられて行った焼き鳥屋でクリームソーダを飲みながら聞いていた隣席の知らないおじさんの会話を同級生がしているのである。

なんというか、ノスタルジーに浸ると同時に
どうしようもない時の流れを感じる。

日が暮れるまで一緒に公園で遊び
草野球でスイカバー片手にピッチャーを務め、打たれるとしゃっくりがでるくらい泣いてた友人でさえ
『外貨積立やってないとやばいだろ』などと一丁前に語り出していた。

まぁ、それは無視してやった。

内心「お前は一生今日は誰がゲームボーイの通信ケーブル持ってきてくれるかの心配だけしとけ」と思った。

そのセリフは思ったと同時に口から出ていた。


そんな距離の近いやつ達とどんなに楽しくお酒を飲んで語り合っていてもふとした時に
「あぁ、こいつには今家で帰りを待ってくれている人がいるんだな」と思うと
途端にとんでもなく輝いて見えてくることがある。


焼酎お湯割にオプションで梅干しを追加するか悩ませてる場合ではなく、 私の役目は早急にこいつを家に帰すことだと使命感を帯びてしまう。
最近私が飲み会を早めに解散(させようと)する理由の9割はこれである。


他人と生涯を伴にする
そう決意をして誓いをたてることで
その『他人』は『家族』になる。


どれだけ考えてもやはりなんとも不思議である。


自分のことを振り返ると20年近く前に腰痛とその決意と誓いを立てていた。
否応がなく。

則ると、つまりもう腰痛は私にとって家族である。


今日も私はロキソニンテープを買い足して
いつ腰痛が帰ってきてもよいように準備をしている。


幸せのかたちとカーテンを洗う頻度は人それぞれ。



よろしくどうぞ。

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