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才能を活かして好きなことをしている人へのザワつき半端なかった

いつのころからか、自分の気持ちを置き去りにしたり、自分のコトよりも人のコトを優先するようになっていました。

私自身、そういう心の癖やパターンがあることに、四十になるまでまったく気づかず。

友人や相談に乗ってもらったカウンセラーさんから、「めちゃめちゃ自分が最下位だね」と言われて、ハッと目が覚めました。

たとえば、誰かから相談やお願いごとのメールが来ると、自分がやろうとしていたことをストップして、それにかかりっきりになるとか。

仕事やプライベートで、誰かが「こうしたい!」と強く主張したときに、多少違和感があっても「それでいいよ!」とオッケーするとか。

誰かが夢を熱く語り出した日には、「いいね! 応援するよ」と二つ返事で、時間を割いて手伝うこともしばしばでした。

相手の夢を応援しようと決めたのはまぎれもなく自分で、その時はホントに力になりたいと思ったからプロジェクトにジョインしましたが、なんだか人の夢ばかり力を注いで、自分の夢には一歩も近づいた感じがせず、モヤモヤするという……。

おかげで相手からの信頼は得たように感じましたが、自分の疲労は溜まっていく一方でした。

たぶんね、相手からの信頼は積みあがっても、自分が自分のやりたいこととか要望に応えてないから、自分への信頼が目減りしちゃったのですね。すると人ってパワーが弱まるみたい。

当時はそのことに気づかなくて、なんで相手はいつも私に頼んでくるんだろう? 私のことを何でも言うこと聞いてくれる「都合のいい人」だと思ってないか? なんなら搾取してないか? と、被害者意識が膨らんで、人付き合い自体がおっくうになってしまいました。

好きなことをしている人をわがままだと捉えていた


そういう時、私の心を最もザワつかせたのは、

「自分の才能を活かして、好きなことをして生きている人」の存在でした。

なんでそんなに楽しそうに生きて、お金も楽々と稼いでいるんだろう、と。

「自分の好きなようにやってるから、周りは迷惑しているのかもな」
「わがままに生きてるから、きっと夫婦仲とかよくないんだろうな」

ジャッジ、批判が止まりません。

才能を活かして好きなことをして生きている人
=自分を常に第一優先にするわがままな人


そう捉えてしまっている自分がいました。
どういう方程式で、こういう答えが出てくるんでしょうか。

人って自分を後回しにしすぎると、被害者意識とともに、批判のつぶやきが増大するようです。

ヒトゴトを優先すれば、ジブンゴトをやらずに済む


私の場合、自分を後回しにしたほうが都合がよかったんです。

家族、友人、知人、クライアントの用事をやっていれば、その忙しさを理由に、自分が本当にやりたいことにチャレンジしなくていいですから。

それに、常にいろんなことで忙しくしていれば、周りからも「精力的に活動している人」と思ってもらえ、

私に自己肯定感と「この社会に存在していいんだ」という自己価値をもたらしてくれました。

クライアントからの要望にきちんと応えている私。
友人からの悩み相談に親身になって応えている私。
友人が立ち上げた社会貢献事業を応援している私。
仕事しながらも親の介護に励んでいる私。
病気の姉をサポートしている私。
会社で忙しい夫のために家事全般を担う私。

たくさんのヒトゴトに囲まれて、私は私の存在価値を感じることができた。

心の中では、なんかこのまま年を取っていくのは違うんだよなと思いながらも……。

やりたいことに挑戦して玉砕するダメージは大きい


じゃあ、そのヒトゴトを全部相手に押し戻して、ジブンゴトに本気で取り組むか?というと、その勇気もパワーもなく。

自分が大切にしていることに本気でチャレンジして、玉砕した時のダメージって大きいから、無意識に時間を作ることを避けていたんでしょうね。

結局、ヒトゴトで奔走するほうが楽だったんです、私。

2017年に母と姉が亡くなって、お世話をする相手がいなくなって、自分のために生きる時間が増えたわけでして。

それでも、ジブンゴトになかなか取り組めないでいましたが、もういい加減、自分のやりたいことに挑戦するフェーズにシフトしつつあります。

ただ、長年自分を後回しにしてきたので意識を転換させるのに大変苦労しました。失敗も多々ありました。

実際にどうやってシフトしていったのか? 日常の中に自分がやりたいライフワークをどう組み込んでいるのか? 具体的なことは長くなってしまったので次回語りたく思います。

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