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「今ここに在ること」に喜びが感じられたら

2020/12/06 日曜日 晴れ 外はすっかり寒くなった。ただ、日本の冬はもっと寒かったような記憶があるが、東欧の寒い国で2年間以上生活していたので、そっちに慣れてしまったのかもしれない。

久しぶりのエアロバイクで45分間、23km走った。心拍数120-130をキープして、程よく汗をかき、そのままお風呂へ直行。汗をさっぱりと流し、頭と体を洗い、湯船へダイブ。
外を走る車の音と、近所の物音、そして静かな浴室に響く水滴の落ちる音。入浴剤で白濁したお湯の中でじっと体を温めている自分。なぜだかわからないが、心が落ち着いているような気がした。
「今この空間に確かに自分が存在していること」そのことこそが喜びであり、幸せなのかもしれない。
人間の欲は無限大で、あれも欲しいしこれも欲しい、あれもしたいしこれもしたい。幸せを感じるために、外に何かを求めてはいけないのかもしれない。いや、それはそれで1つの生きる喜びではあるが、それに固執する必要はないのかもしれない。
今、この流れ行くときの中で、混沌とした世界の中で、たしかに自分が存在している。この存在があって初めて、食べたいものを食べれるし、やりたいことをやれるし、なりたいものになれるのである。
どんなに辛いことや苦しいことがあったとしても、自分の存在があって初めてそれを感じられる。
もしも、生きていることが幸せなのであれば、その上で発生するすべての苦難は、本当は苦難ではなく、ただの人生におけるイベントの1つに過ぎないのかもしれない。確かに辛いが、それもまた一興ということである。

「今ここに在ること」それを幸せだと思えたら、世界が今までとは違うように見えるかもしれない。
今こうやってキーボードで文字を打っている、プラスティックの感触とタタタタというリズミカルな打鍵音、外には車の行き交う音。蛍光灯の明かり、暖房を消した後の徐々に冷たくなっていく室内の空気、風呂上がりの眠気、明日から仕事が始まるというちょっとした憂鬱感。それらを今、感じられるということが幸せだと思えたら、1分1秒を真剣に生きているような気がしてきた。そういう人に、なってみようかなあ。

ああ、そろそろ夕食の時間だ。今日はカレーライスだ。子供の頃は、飛び跳ねて喜ぶほど母の作るカレーライスが好きだった。しかし、最近のはあまり美味しくない。不味いわけではないが、なにかが足りない。「おふくろの味」も変わるものなんだなあと、感じられることが幸せなのかもしれない。