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読書のはなし

私が読書をする目的はふたつある。ひとつは「現実から逃げるため」であり、もうひとつは「現実を見つめるため」だ。この正反対の目的を読書という体験によって達成するのである。
 
現実から逃げるために読むのは、もっぱら小説である。私は小説を読むことで、その世界を旅する。感染症の流行で国内外の渡航が制限されているときこそ、この方法は有効だ。ファンタジー小説を読んで異世界への空想にふけるのもいいが、私は海外文学を読むことで外国を旅行することが特に好きだ。

エーリヒ・ケストナーの『ふたりのロッテ』を読み、ドイツのベルリンやオーストリアのウィーンに思いを馳せる。ルーシー・モンゴメリの『赤毛のアン』を読み、カナダのプリンスエドワード島の風を感じる。トルーマン・カポーティーの『ティファニーで朝食を』を呼んで、ホリーと一緒にアメリカのニューヨークで少し破天荒な生活をしてみる。ポール・アダムのヴァイオリン職人シリーズでは、主人公と一緒にイタリアのクレモナからイギリスやフランス、ノルウェーを旅する。文章から景色を想像したり、登場人物のセリフから情景を描いてみたり、章を読み終えるごとにインターネットで画像検索をして実物を見たり、グーグルアースで実際に街を歩いているような気分になってみたりする。読書をすることで、家や図書館にいながら気軽に海外旅行ができるのだ。

読書は現実から逃げ出す手段になる。だが、同時に現実を見つめる手段にもなる。本はときに、テレビのニュースよりも強く何かを伝えるメディアになりうると私は考えている。過去に起こりながらも時の流れに風化されそうになっている事実や、地球の裏側で今まさに起こっている重大な事象、さまざまなことをフィクションの体をとりながら切実に訴えかけてくる。

特にそれを感じたのが、デボラ・エリスの『生きのびるために』とその続編『さすらいの旅』だ。タリバン政権下のアフガニスタンの状況を、難民キャンプで著者が取材した内容をもとに書かれた物語だ。地球の裏側とまではいかないが、遠く離れた異国のことはなかなか日々のニュースでは知ることはできない。また、『アンネの日記』のようにしばらく時間が経ってから書籍として完成するものもある。こういったものは過去のことではあれど、歴史上の事実として風化させてはならないものだ。イ・ジョンミョンの『星をかすめる風』では「フィクションはときにノンフィクションよりも多くのことを語る」という箇所がある。事実をそのまま受け入れるのはたやすいことではないが、フィクションとして語ることで記録として残しているのである。

読書は私たちの心を現実から解放し、そして現実を見つめ直すよう促しもする。相反するこのふたつの事象に共通することは、「自分の知らない世界を見せてくれること」。本屋や図書館はいわば、別世界への入り口なのだ。

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この記事に登場した本
エーリヒ・ケストナー『ふたりのロッテ』(岩波少年文庫)
ルーシー・M・モンゴメリ 『赤毛のアン』(新潮文庫他)
トルーマン・カポーティ 『ティファニーで朝食を』(新潮文庫)
ポール・アダム  『ヴァイオリン職人の探究と推理』
         『ヴァイオリン職人と天才演奏家の秘密』
         『ヴァイオリン職人と消えた北欧楽器』
         (創元推理文庫)
デボラ・エリス 『生きのびるために』
        『さすらいの旅』
         (さえら書房)
アンネ・フランク 『アンネの日記』(文春文庫)
イ・ジョンミョン 『星をかすめる風』(論創社)

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