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さすらいの旅

デボラ・エリス著『生きのびるために』の続編。母親、姉、妹、弟を探すべく、パヴァーナは父親とともに旅に出る。だが、その道中でパヴァーナの父親は亡くなり、パヴァーナひとりで旅を続ける。

「実際に死ぬ前から、死んだようになる人もいる」

戦乱でなにもかも失い、絶望した人。精神科の専門医に診てもらえるだけの環境とお金、そして将来への希望があれば治せるかもしれないが、その日の食糧や生活物資さえ手に入れることができるか定かでない状況でそんなことができるわけがない。助けたくても医療関係者でない限り難しい上に、下手をすればこちらの希望も吸い取られ、同じようになってしまう。

パヴァーナが出会った人々ほどひどくはなくとも、こういう人はいたるところに存在すると思う。死んだように生きる。生き生きと希望をもって生きたくても、自分自身ではどうすることもできないのだ。

「立ち止まれば、死ぬだけだ」「前進あるのみ」

独りぼっちになって、疲労と空腹で足を止めそうになるパヴァーナを奮い立たせるのは父の言葉。立ち止まれば二度と歩けなくなるかもしれない。助けてくれる人も、食べ物も水もないところでそうなってしまったらどうなるだろう。ただ独り死んでいくだけだ。歩みを続けている限りは生き続けることができる。

どうして食べることだけが、日常のものとならないのだろう?

頭上を飛び回る戦闘機も、それが降らせる爆弾も、パヴァーナたちにとっては生まれたときからあるものだ。地雷が爆発したり、タリバン兵が人を殴ったりすることもよくあることだった。飢えや恐怖や、パヴァーナたちを苦しめるものは日常茶飯事なのに、食べることは日常にならない。常に食べ物を求め、得られてもわずかでお腹いっぱい食べることはできない。この一文から伝わる悲痛は計り知れない。

「もう、自分が自分だっていう気がしない」

死ぬ前から死んだようになってしまった人たちのように、パヴァーナもなりかけていた。爆撃におびえながら逃げる人の波の一部で、相変わらず飢えていて、何度も人の死を見送ると感情を失ってくる。父親も、父が残してくれた本も失い、バラバラになった家族は生きているのか、会うことは叶うのかすらわからない。「わたしの中から、わたしがいなくなっちゃった。わたしはただ、この人の流れの一部よ。わたしなんて、もうなにも残ってない。わたしなんて、いないも同然よ。」

もしパヴァーナが独りぼっちのままだったら、立ち止まってしまっていただろう。しかし、このときパヴァーナには新たな仲間を手に入れていた。ハッサンという赤ん坊、アシフというちょっと生意気な少年、レイラというおしゃべりな少女。「おまえはいないわけじゃない。」とアシフが声をかけなければ、パヴァーナは再び生きる力を得られなかっただろう。存在を認める者の存在は大きい。

「どうしてこの世界は、こうもたくさんのわたしたちの子どもの命をうばうんでしょう⁉」

難民キャンプにたどり着いたものの、地雷によってレイラを失う。小さな女の子は家族に看取られることもなく死んでいく。「この子の両親は?親はいないの?まったくなんて国に成り果てたんでしょう。こんな小さな女の子が、母親にもみとられずに死ななきゃならないなんて!」
パヴァーナたちのもとにやってきた女性が嘆く。ブルカをかぶっているので顔はわからないが、その声はパヴァーナの心にまっすぐと届く。その女性の正体とは…!

******

父親を失い、タリバン兵に引き渡されそうになりながらも生きのびたパヴァーナは、ある村で赤ん坊を拾いハッサンと名付け、寝泊りしようと入ったほら穴でアシフと出会い、地雷原にいたところをレイラに助けられる。血のつながっていない、奇妙な兄弟姉妹で旅をする。一番年上のパヴァーナでさえまだ13歳。年齢が2ケタになるか否かの少年少女がこんな状況に置かれていることが、同じ地球上で起こっていることだと思うと心が痛む。

そして物語のほとんどは子どもたちだけで進んでいく。大人は出てくるが、ハッサンの母親はがれきに挟まれてすでに死んでいたし、パヴァーナがひとり歩いていたときに見つけた女性とレイラの祖母は「死ぬ前から死んだようになってしまった人間」だった。

前作『生きのびるために』よりも劇的要素が強い展開ではあるが、いずれにせよ、メッセージ性は強い作品だ。

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