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心地よい居場所をもとめて - 愛すべきひとと居れるところ
ーー家族のかたち
人間は共同体をかたちづくる知性をもった存在です。
人と人の絆はとても流動的でダイナミックなもの。互いを繋ぐ共同体も同じように多様で流動的であるべきです。誰もが好きなときに好きな場所で過ごすべき人といれることが成熟した絆の在り方だとわたしは思います。
ところが、現代の共同体は、その殆どがとても排他的な条件によって形成されているように思うのです。地上で最も大きな単位である国は「生まれた地域」によって決まってしまいます。最も小さな単位である家族は「血のつながり」によって決まってしまいます。
共同体は、生まれや血のつながりなど自ら選択できないものを条件に形成されるべきではありません。これは、より大きな対立を生み、抜け道のない問題を抱えます。そしてなにより助け合うための理由を失ってしまうのです。
わたしたちの社会では「何を所有するか」でその価値を図ろうとします。根っこにある最も強いつながりをもった家族ですら、夫が妻を所有し、親が子を所有する、財産を所有する、所有性を強く主張します。そしてその関係は「血のつながり」という、とても排他的な条件によって強要されるのです。これが出口のない競争社会の礎になっていることに気づいている人はあまりいません。
わたしたちは、もっと大胆にもっと広く他者を助け合う基盤を構築できるはずです。
その境界はもっとゆるくあってよいし、広くあってよいのです。好きな人と、愛すべき人、居るべき人との絆を「家族」と呼べあえたらよいのにと思います。心の在り方を見つめ直し、その定義の枠を広げたい、そんなことを思うのです。
りなる
[あとがき]
ほとんどの人にとって、家族はとても大事なもの。とてもポジティブなイメージを持っていると思います。
もちろん、わたしも家族が大好き。
ただ、恵まれない境遇に育った子、程度の差はあれすべての子供は抜け道のない鎖にずっとしばられて生きることになります。
そして、このとても排他的な家族基盤が、ゆきつくところ今の権威主義的な社会の礎になっているのじゃないかと思うのです。
この社会構造が社会の秩序を生んでいるという見方もあります。でも、わたしはその秩序には、よりよいカタチがあるのではないか、なんてことを妄想したりするのです。
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