「集」から「個」を活かす魔法(1/5)
日本は「集団主義」で欧米は「個人主義」だなんて、たまにそんな話になる。言いたいことはわかる!すごくわかる。だけど、話した後にいつもうっすらモヤモヤが残る。
小さいお子さんのいる親と話していた時のこと。「これからは多様性の時代でしょ。だから、右ならえの教育じゃなくって子供が活きる個性をぐんと伸ばしてあげたい。でも、日本では個性を活かせないのよね。。。」と語っていた。
また、会社の若い従業員と話していた時のこと。「日本から無意味な残業はなくならないですよ。だって個人の権利が重要視されないですもん。周りの同調圧も強いし、ひとりで帰ることもはばかられる。欧米のように個人を活かさないといい人は育ちませんよ。」と語っていた。
なんか全部とっても身にしみる、その話。
わかるだけに、あれもこれも日本は集団主義だからという結論で締めくられてしまってよいものなのか、頭の片隅にモヤっとしたものが残る。
日本は本当に「集団主義」なのだろうか?
みんなが夢見る「個人主義」ってなんだろう?
”○○主義” っていうラベリングは便利。みんなのあるある話を共通の問題認識へと昇華させることができるから。だけど、あまり大雑把に囲い込みすぎると変なバイアスがかかってしまうこともある。
どうも置かれた状況や場面、そして人によって「個人主義」だとか「集団主義」だとかいう言葉に込められる意味が異なっているように感じる。
この辺りにモヤモヤを解くカギがあるかもしれない。もう少しこの不思議と共感を誘う言葉の意味を探ってみませんか?
つづく
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