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「集」から「個」を活かす魔法(3/5)

欧米文化としてひと括りにしてしまうのもいささか抽象的すぎるので、あくまでわたしのアメリカ滞在記として読んでください。

渡米して最初にわたしが体感した「個人主義」は、ディベートの文化でした。自分の意見を主張し、また一方で他人を受け入れる。クラスの教師に対してだけでなく、職場のボスに対してですら様々な主張が飛び交うさまにはいつも面食らいました。そこには決して高尚な議論だけではなく「そんなこと言わなくてもわかんだろ。。。」的なまったくもって稚拙なものも混在するのです。同じ空間にいても感じることは人によって様々。みんながその違いを承知し、一度はそれを飲み込み議論を重ねる。感情的でなくロジカルに「主張」し「受け入れ」る。そんな生活が確かに根づいている。

そして、目標管理の習慣。これにも驚きました。人生のゴールまでの道のりを細分化し積み上げていくことで、いずれは大きな波を越えてゆける。そんなことを個々が自己管理の一環として若い頃からやっている。学生のころ「卒業したらどうする?」こんな些細な質問が会話に登場するたび、誰しもがすらすらと細かなロードマップを描くんです。それがまったくできないわたしは焦りを感じたのを覚えています。こういった文化が、多種多様な個人が集団としてより大きなゴールを見据えて力を発揮する礎になっているのだと感じました。

上手く機能している表面だけをみていると、なんとすばらしい国なのだろうという感覚だけが残る。しかし、日常レベルには「言わなくたってわかんだろ」的な議論はいつもあるし、目標管理にせよ、自分の能力や時流が伴わなかった時の補正コストは多分にかかっている。だらしのない生徒ほど、自分の成績に併せて目標そのものが数ヶ月ごとにころころと変化してくような生徒もたくさんいるんです。長く生活しているとその反面見えてくる影の側面もあるということが次第にわかってくる。そういった側面を教育で補いながら、多種多様な文化からなる社会を底支えするために歴史が編み出した独自のプロセスだったと思うのです。

それは日本で思っていた「個人主義」とは、少し違っていた。

多くの人はアメリカは自由の国だと思っている。ただ、そこには多分に誤解も含んでいると思う。多様な人種や思想がある中で、フラッグの元に強力なリーダーシップを伴って集結する力が発揮できる。ともすれば集の中に個が埋もれてしまう。そういう環境にあるからこそ、個の自由が尊重されなければならなかった。

これはアメリカ流の「集団主義」のカタチじゃないか?

こういったアメリカの文化や習慣を称賛するのはよいのですが、その礎にある背景を見ないと大きく見誤ることになりかねません。アメリカと日本の生活様式や主義をひと括りに同じものとして捉えてしまうと、個人の多様性を活かすべきだなどと主張しながら、文化の多様性を失うことになる、そんな風に思うのです。

つづく

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