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「集」から「個」を活かす魔法(2/5)

集団生活の観点からすれば欧米もまた集団主義的だと言えるんじゃないのか?そんな疑問を投げかけてみる。

例えば、

国を上げて星条旗をいい意味でブランディングし、ナショナルフラッグの元にみんなが集い、大統領の強力なリーダーシップを伴って、アメリカという巨大な国家に帰属する、その愛国心はむしろ日本のそれよりも集団主義的に見えたりする。

逆に、良くも悪くも日本的と言われる「チームのため」「みんなのため」「ワンチーム」などという理念もまた、集団の中でいかに個を輝かすための手段ではないのかと思ったりもする。実際に、日本ではアメリカのような愛国精神はうすい。代わりに哀愁や懐かしみを誘う場の意識が強く、その空気感の中で個人が周りに活かされながら自律的に生きている。日本の方がよほど個人主義的に見えたりする瞬間は少なからずある。

個別具体的に見ていくと、欧米にも集団主義的なものはあるし、日本にもまた同じ用に個人主義的なものがある。集団を最適化するのには個人を活かす必要があり、個人が活かされてこそ集団はより高度な活躍の場になっていくのだと考えれば、集団主義だとか個人主義だとかいう言葉は、だいぶ乱暴なくくりなんじゃないかという気がしてくる。

ようするに、その手段の違いが、それぞれの文化や生活のスタイルの違いに現れているにすぎないということではないかと思うのです。

つづく

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