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麺の歴史②

これは麺の歴史①の続編になる無料noteである。前作は主に東洋の面についての歴史を書かせてもらった。そこで本作はいわゆる西洋の麺について調査したことを紹介したいと思う。また東洋の麺と交流の場があったのかなどについても一応、可能な限りで調べたことも記述したいと思う。本稿も最後の欄に200円の投げ銭を用意しておく。

1. 前回のまとめ

本稿は麺の歴史①の続きであり、まず基本事項は麺の歴史①に記述があるので、まず読者は読んでない人は以下を先にさらっとでも読んでほしい。一応、繰り返しになってしまうが、小麦そのものはメソポタミアで栽培が始まり、それは中国にも伝わっていったが、一方でローマ(イタリア)の方にも伝わっていった。

ちなみに英語圏では小麦粉に水を加えて調製したものをドウ(dough)といい日本語訳するとパン生地になる。これを応用した料理は薄く伸ばして餡などを包んだ料理(ダンプリング、dumpling)があり、日本や中国では餃子が挙がる(ダンブリングの世界も大変面白く、いずれnoteを書くかもしれない)。そして切る、伸ばす、ぎる、穴や型から押し出すなどの方法で成形した料理(ヌードル、noodle)に大別される。日本語の「麺」はnoodleに相当するものを指す。ちなみにパスタとスパゲッティの関係であるが、パスタは、イタリア語の「こねる」という意味の「impastare(インパスターレ)」が語源である。つまりパスタとは小麦と水を混ぜて、手でこねて作る食べ物全般のことを意味する。スパゲッティはその中で日本ではJAS規格で「1.2mm以上の太さの棒状、または2.5mm未満の太さの管状に成形したもの」と定義されており、要はパスタの一種がスパゲッティである。パスタ自体は500種類以上も現在では存在していると言われる。


2. ラガヌム

西洋麺の歴史
https://world-noodle-dictionary.com/images/roots/origin.png

上の西洋麺(パスタ)の歴史を見ると分かるように西洋麺の起源はラガヌム(laganum, 複数形はlagana)である。イタリアのラツィオ州ローマ県のチェルヴェーテリにある紀元前4世紀のエトルリア人の遺跡からは現在のものとほぼ同じ形態のパスタを作る道具が出土している。古代ローマの詩人ホラティウス(紀元前1世紀)によると、その時代にはすでに前述のラガヌムはあったが、現在のように茹でて食べるものではなく、焼いたり揚げたりして食べたという。

ラツィオ州(州都はローマ)

古代ローマのラガヌムという言葉は残ったが実際には、途中でパスタ料理についてはゲルマン民族侵攻の影響で一度断絶というか大いに衰退したとも言われているが、最終的にはラザニア・アル・フォルノ (lasagna al forno)という形で、我々も食べることもあるラザニア(lasagna、複数形ラザニエlasagne)の語源となったようである。

lasagna casserole
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6b/Lasagna_%281%29.jpg/800px-Lasagna_%281%29.jpg

3. タリアテッレ

タリアテッレ(tagliatelle)はイタリア北部で開発されたパスタの一種で、1549年には文献に登場している。卵パスタであり、伝統的に小麦粉100 グラムに対して卵 1 個の比率で作られている。上の系譜図によるとラガヌムから生まれているか、その影響を受けて誕生しているようである。

タリアテッレ
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/67/Nests_of_tagliatelle_bolognesi.jpg
Tagliatelle al ragù
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cc/Tagliatelle_rag%C3%B9_bolognese_01.jpg/800px-Tagliatelle_rag%C3%B9_bolognese_01.jpg



4. スパゲッティ

スパゲッティは前述したように長くて細い、固い円筒形のパスタであり、アラブの乾燥麺であるイットリーヤ(itriyya)の影響を受けていると言われる。イットリーヤは中東由来の麺でありシチリア島がアラブ人たちに侵略された際 (7世紀-11世紀)に、イットリーヤがもたらされたという。そして12世紀にはシチリアにて細長い麺が既に作られていたという記録もある。

シチリア島
イスラム側に侵略され、征服されていた時期が数百年にも及んでいた。

実際にスパゲッティという言葉が登場したのは19世紀である。19 世紀にスパゲッティ工場が設立され、イタリア市場向けのスパゲッティの大量生産が可能になってから、スパゲッティは人気となりイタリア全土に広がった。また19世紀末頃のアメリカで、スパゲッティはレストランでは調理された麺と、クローブ、月桂樹の葉、ニンニクなどの簡単に入手できるスパイスや野菜で味付けされたマイルドなトマトソースで構成したもので提供されていた。そして数十年後、オレガノやバジルを使って一般的に調理されるようになった。

スパゲッティ


Spaghetti pomodoro e basilico

5. マカロニ

マカロニというのは筒状の短いパスタ(ショートパスタの一種)のことを指す。そして調べたところ、どうも古代ギリシャにルーツがあるようで、マカリア(Macaria)というヘラクレスの娘の名前に行きつく。そしてヘラクレスの子孫たちと時の王たちの戦いの時に、マカリアが冥王のいけにえとして犠牲にあり、ヘラクレス側が勝ち、そこで葬儀の時の料理をマカリアと呼ぶようになったという。ただこれがどういう経緯をたどってパスタのマカロニになっていったのかは調査しきることはできなかった。

マカロニ
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ad/Macaronis.jpeg/800px-Macaronis.jpeg

有名な料理であるマカロニ&チーズは1390年には既に紹介されていた。ちなみにこちらはその後、アメリカにもたらされて大いに人気の料理となるのであった(主に19世紀以降)。

マカロニ&チーズ

少なくとも14~15世紀のイタリアでは、小麦粉を練って成形、茹でて料理したものの総称にもはやマカロニの語が使用されていた。今日のように穴の開いたパスタを表わす語となったのは、17世紀以後らしい。

ちなみに私の大好物であるグラタン(gratin)という料理があるが、こちらはフランスの料理になる。日本で見かけられるマカロニグラタンは、19世紀から20世紀前期のフランスのシェフであったジョルジュ・オーギュスト・エスコフィエ(Georges Auguste Escoffier)が執筆した料理の手引きにあるMacaroni au Gratinであり、マカロニと刻んだマッシュルームなどとベシャメルソースを混ぜ、バターを塗ったグラタン皿にのせて、おろしチーズとパン粉をふってオーブンで焼くというものである。

グラタン
https://oceans-nadia.com/user/484627/recipe/450287

6. ニョッキ

最後に紹介するパスタはニョッキ(Gnocchi)である。ジャガイモと小麦粉との組合せで作られるイタリア料理になる。ジャガイモは元々アンデス山脈原産であり、このジャガイモがヨーロッパに持ち込まれた7世紀になって、イタリアでも栽培されるようになってからニョッキに導入されるようになった。その前までは小麦で作られており、ローマ帝国時代から存在したとされる。ニョッキをダンブリング(餃子など)のカテゴリに入れようとする文献もあるが、ニョッキの中には何もないので、これはパスタに該当する。

ニョッキ自体は家庭でも普通に作ることができる。またジャガイモのかわりにカボチャなどを使うことも可能である。


かぼちゃのニョッキ
https://cdn.sbfoods.co.jp/recipes/08434_l.jpg


7. 終わりに

さてと色々と紹介したところでこの辺でいいかなということで、concluding remarks(結語)みたいな話を書こうと思う。前作の麺の歴史①を見る限りは、湯餅がかなり重要な中華麺などの起源になっていたようだが、西洋麺(パスタ)の場合、ラガヌムが最初のパスタ(後にラザニアになるが)と言って良さそうだが、その後のパスタ類の発展は必ずしもラガヌムから生まれているのかどうかは定かでは無かった。ただし面白かったのはスパゲッティが、シチリア島がイスラム勢力に占領されることで、イットリーヤが導入され、その影響力を受けるようになったという話で、中東の影響は受けているということである。またマカロニはイタリアで開発されたが、アメリカで大いに食され、またフランス料理であるグラタン(ジャガイモなどもある)にマカロニが導入されたのが日本人にとても受けていたというのも調べて分かった。そしてニョッキは実はかなり歴史が長かったが、今我々が食べているスタイルはジャガイモがイタリアに入ってくるまで待たなければならなかったということである。ジャガイモは今時、我々日本人も普通に食べているが、元々アンデス原産なので、長く日本人にも西洋人にもジャガイモは縁がない世界だったということも知るに至るところである。
 よく議論になっているのが、東西の麺のクロストークがあったのかという話であるが、そこで最初に有名だったのがマルコポーロであったのだが、マルコポーロはどうも今では中国に行っておらず色々と嘘だったのではないかと疑われるようになっているのが、和文英文どちらの調査文献にも書かれていた。またマルコポーロがパスタの大元を中国から持ってきたという話もあったのだが、それもやはり怪しいという話になっている。ただし、中東のイットリーヤがシチリアを経由して西洋にもたらされたところで、中東は中国と交易はあったので、確たる記述が明確な文献は見つけられなかったがイットリーヤ自体が中華麺の影響を多少でも受けている可能性自体は完全に否定はまだ出来ないという話であった。

まあ色々と夢がある話もあるが、とりあえず確実なのは、スパゲッティだろうとラーメンだろうと十分に美味しいということである。読者諸氏も本稿を読んだ後、大いに健康には気を付けつつ東西の麺を楽しんでもらえばよいと思う。本稿はここまでにしておく。投げ銭欄200円を用意しておくので、御礼欄を見たい人は課金しても良いと思う(マガジン購読者はそのまま見ることができる)。

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