麺の歴史①
本稿はたまたま私が今、うどんを食べたい気分でいたので、書こうと思った与太記事ではある(ただしカバーは蕎麦であるが)。私自身は別に麺の専門家でもなんでもない。なので、完全にアマチュア記事になるが、腹が減ってくると食べ物についての好奇心が増してしまうのでしょうがない話である。本稿は無料で全部読むことができるが、支援したい人は200円で投げ銭の欄を用意しておく。
1. はじめに
私は麺類が大好きである。うどん、ラーメンが大好きだし、蕎麦も食べるにはたべるし、そうめんも食べる。そしてスパゲッティも食べるし、グラタンも食べる。しかしどれも楽しんで食べているわけだが(私は特にうどんが好きである)、そもそも麺とはどこから来たのであろうか。また今述べてきた麺は相互に関係性はあるのだろうか。そんな好奇心を多少抱いたことから少し調べてみることにしたのである。
2. 麺の定義
まあ、そもそも麺とは何であろうか。
下のオックスフォード辞典の定義は大変分かりやすく、むしろ麺の本場が中国とイタリアであることも教えてくれるのであるが、厳密には上に書いたように、穀物類で特定の形に成形した食品である。最も使われているのは言うまでもなく小麦であるが、蕎麦やフォー(米をつかっている)のように、他の穀物類をつかった麺も広く知られる。
3. 麺の起源(東洋編)
小麦は東地中海沿岸(イラン、イラク、トルコあたり)がその起源とされており、最初に栽培されたのはメソポタミア(現在のイラクあたり)であり、紀元前9000年~7000年頃にはなされていたようである。
そして中国に伝わったのは実は紀元前126年で、前漢のころであったという。つまりこれは中国はその前の春秋戦国時代では実は(少なくとも東地中海沿岸由来の)小麦は食べられていなかったという驚くべきことが分かる。話が脱線になるが、古代(始皇帝の秦の時代、紀元前3世紀ころまでを指す)の主要な料理は、細切れにした肉や野菜を、多めの汁の中で煮た羹(あつもの)であり、王侯も庶民もそれらを食べていたらしい。「羹に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)」という故事成語があるが、これはまさしく戦国時代の楚の歴史書に書かれている言葉である。
そして麺が登場するようになる。
上の引用にある通り、餅は必ずしも我々日本人が考える餅と同一ではなく、小麦粉食品全般を指すという。そして4つに大別できる。
・水で煮る湯餅
・蒸して作る蒸餅
・焼いて作る焼餅
・油で揚げる油餅
麺は一番上の湯餅(タンピン)に当たるのである。
そして上の系譜図をみると、麺の起源として極めて重要なのが今紹介した湯餅(タンピン)であることは言うでもない。湯餅とは小麦粉を練って煮て食べる料理で、探してみたところ以下のようなものらしい。
これがアジア世界における様々麺の元となり、上の麺の系譜による通りの進化をしていったという。
4. 各地の麺類(東洋編)
4-1 切り麺系列
唐の時代に不托と呼ばれ、練った小麦粉の生地を麺棒でのばし、包丁で切って細くする製法で作られたのが切り麺である。この末裔にうどん、そばなどがある。日本へ切り麺が伝わったのは鎌倉時代と考えられているが、文献に登場するのは室町時代になってからで切り麦と書かれているのが最初ということである。
切り麺系列として、そばうどんは既に上で写真はお見せしているので、各国の例を見せると、刀削麵は中国山西省由来の熟練した調理人により作られる麺類である。日本でも中華料理店などで食べることができる。私も食べたことがあるが、基本的にはラーメンに近いように思う(国内で食べたので、日本人向けにラーメン的にアレンジされている可能性もあるが)。ミーゴレン(Mie goreng) はインドネシアの麺料理であり、ミーは「麺」、ゴレンは「揚げる」の意味がある、つまり麺を炒めた料理である。ちなみにナシゴレンはご飯を炒めた料理である。中華麺を炒めた焼きそばという感じであるが、インドネシアはイスラム教徒が多いために豚肉は使われず、鶏肉やエビでハラル(イスラム教徒が食べて良いという認定)がされたものを使用することがある。カルグクス(칼국수, Kalguksu)は、韓国(あるいは北朝鮮)の麺料理であり、小麦粉と玉子(鶏卵、そこに大豆の粉が加えられる場合もある)をこねた生地を包丁で切って作る。イワシや貝類、昆布、鶏肉などで出汁を取り、塩または醤油で味をつける。うどんに近い料理と言われている。
上の麺料理はネットで検索すれば色々なレストランがヒットするので、読者諸氏は食べたくなったら自分の住んでいる地域にあるかどうかを検索してみるのが良い。
4-2 水引餅系列
いわゆるラーメンが生み出された系列である。練った小麦の生地を手でのばす製法が手延べラーメン系列になる。ちなみにラーメン自体は江戸時代末に開港した横浜、神戸、長崎、函館に多くの外国人移住してきた際に日本に流入した、中国の麺料理がルーツであると言われている。またラーメン店の原点は1910年に東京浅草に開店した来々軒であると言われる。ラーメンについては星の数ほどの解説や案内もあるので本稿では最低限のことを記述するのにとどめたい。ちなみにラーメンは拉麺とも書くが、中国の拉麺(lā miàn)は醤油ベースのスープに麺を入れて野菜や肉を載せた、あっさりした品が多いそうで、中央アジアのラグマン(後述)に対応していると言われる。中国では蘭州拉麺や河南拉麺が有名で、日本のラーメンは日式拉麺と言われている。拉麺の起源は明代の山東半島が起源と言われてる。そして山東出身の料理人が、華北や東北(旧満州)などに伝えたものだと言われているが、日本や東南アジアに伝播したのは主に20世紀になってからということである(前述の来々軒)。ちなみにモンゴルにはゴリル(guril)という麺料理がある。羊独特のうまみがよく溶け込んでいるこの肉汁に麺を入れて食べるという。そして、中央アジアではラグマン(laghman)という麺料理が発展しており、中華麺の影響でウイグルやカザフスタン、キルギス、ウズベキスタンなどで発展している。手延べ麺(日本だとうどんに近い)を茹で、羊肉、野菜、唐辛子といった具材を炒めて用意した具をかけ、さらに牛のスープにトマトペーストを加えた汁をつくり、麺と混ぜて食べるということだそうである。中国系の拉麺とラグマンが食べられるレストラン(東京)のリンク先をいかに貼っておく。
4-3 索麺
日本ではそうめん(素麺)が当たる。練った生地をひも状にのばし、表面に植物油を薄く塗り、2本の竹の棒にかけてさらに引きのばしてつくる。そのもととされる索麺は、中国の元の時代に登場している。油で生地をコーティングする索麺は、日本へ伝えられ、そうめんとなりました。鎌倉時代に留学僧によってその技術が持ち帰られたと言われている。
4-4 押し出し麺系列
押し出し麺は緑豆やそば、米などの粘りの出ない生地から麺を作るのに考えられた方法になる。生地をトコロテンのような感じで押し出し細長する。原料によって、緑豆粉の麺、そば粉・ハダカエンバクの麺、米粉の麺の3つに分けられる。米粉(ミーフェン)は中国で作られるが、ぴゅるんとした舌触りとさっぱりとした米のピュアな風味が持ち味ということである。米粉麺自体は、相当歴史は古く、秦代に大元の由来は遡るとも言われている。またシンガポールなどで食べられるラクサは、米で作った麺を使ったガランガルやターメリックなどの香辛料が効いた東南アジアの麺料理になる。
5. 終わりに
ここまで書いたら疲れたので、無料noteだし今回はこの辺でいいかなと思うようになった。続編として後日、麺の歴史②(要は西洋編)で続きを書きたいと思う。しかし麺の由来は基本的にはやはり中国であるということで、中国がいかに偉大な国であるのかは分かる。ただ途中でも実は驚きの気持ちを記述しているのであるが、小麦自体は中国に伝わったのはかなり遅く、漢代だったという。となると紀元前の春秋戦国やその前の殷や周では麺類はおそらくなかったということになるのかと。食文化と各時代の対応というのはとても興味深い。また調査していて分かったが、カルグクス、ラグマンやラクサなどはうどんでもそれなりに代替できるらしい。うどんというのはそれなりに普遍性のある麺だなと改めて思ったのである。ここまで書いて、改めて私の素性を確認するが、私は本業は分子生物学者であり、遺伝学とか生化学を駆使して難病やその治療薬などの研究をしている人間である。そういう点では、本稿は完全に専門外のアマチュアの与太記事であるが、まあ空腹がここまで各モチベーションを与えてくれたというのには笑ってしまう。私はパスタも、そして特にグラタンも好きなので、西洋の麺の歴史もちゃんと書きたい。次の麺noteで書こうと思うのだが、この辺のルーツとかそういうのも、進化論的な生物種の系統をみているようで面白いと思っている。果たして東西の麺は独立なのか、それとも一定のクロストークがあったのか、その辺は次回までに調査したいと思う。それでは本稿はここまでにしたいと思う。私を応援してくれる人は200円で投げ銭を用意しておくのでよろしくおねがいする。投げ銭もしくはマガジン購読をすると御礼の文を見ることができる。
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